雑草の言葉

登って来た梯子を蹴落として来たから・・

2007/12/17
Economic Fascism 2
ロナルド・ライト[Ronarld Wright] は、その著書 『暴走する文明』[A Short Story Of Progress] で、以下のように述べています。[第2章 p47]

 ・・・文明は危なっかしい。私たちは進歩の階段を登りながら、下の段を蹴落としてきた。後戻りすれば破局が待っている。文明が嫌いで、それが倒れて傲慢な顔が潰れるのを期待している人たちは、現在の私たちのような人口や生活状態にある人類を支えるのに、ほかの方法などないということを心に止めるべきだろう。私たちは全員この虎の背中にまたがっており、生きて飛び降りられる人はいそうにもない。 

 この部分は愛読したこの本の中で、私が最も同意出来ない部分かも知れません。

私たちは進歩の階段を登りながら、下の段を蹴落としてきた
と言うのは事実として同意するところです。

 しかし、後戻りすれば破局が待っていると言うのは、経済成長を基本原理と考える人々の脅迫概念ではないでしょうか?
 破局は、今までどおり下の段を蹴落としながら進歩の梯子を登り続ければ、その先に確実に待っているのです。

 考えてみて下さい。バベルの塔でも、タワーでも、どんどん上に上に積み上げながら高くしていけば、不安定になり、いつかは崩れるのです。崩れないためには、富士山のような成層火山みたいに裾野もどんどん広げなければなりませんが、地球は有限ですから、裾野はどんどん広げられません。かなり以前から「グローバル化」の言葉が頻繁に使われていると言う事からもわかるとおり、もう裾野が世界規模にいっぱいいっぱい広がっているのです。もう限界を超えて、不安定になり、崩れはじめているといった所でしょうか・・・・。
 確かに、現在の人口や生活レベルは、エコロジカル・フットプリントの観点から考えて見ても、地球の持続可能な容量を既に超えています。・・・このまま、人口と生活レベルをドーピングのような科学技術に頼ってもっと上げようと言う事こそ破局へ向かうことでしょう。・・・・じゃあどうするか?・・確実な方法は一つでしょう。下へ向かってまた梯子をかけるのです。つまり、人口を徐々に減らして、生活レベルも下げる・・・それは困難な事かも知れません。・・・しかし、破局を出来るだけ小さく押さえる為には、梯子を下に向かってかけて上手く下りる事以外には見つからないでしょう。・・飛び下りる必要はないのです。持続可能な高さまで梯子をかけてみんなで降りるのです。


「文明が嫌いで、それが倒れて傲慢な顔が潰れるのを期待している人たち」
ってそんなにいないような気がしますが、ロナルド・ライトはどういう人たちを想定したのでしょう?いわゆるディープ・エコロジスト達の事でしょうか?
 原始的な生活を送っている先住民達;自然破壊の文明に反対するインディアンなどの人達については、彼は大きな理解者の筈です。南北アメリカの先住民の迫害史を白人側で初めて深く掘り下げた『奪われた大陸』を書いたのですから・・・同じ自らの著書『暴走する文明』の中で進歩の罠の危険性を警告しているロナルド・ライトの意図がよくつかめません。・・No Way Out・・・どう進んでも 出口無し・・と言う事を言いたいのでしょうか?確かにどの方向に進んでも困難な道でしょう。しかし、本書で解決策に触れていない彼でも、下に梯子を掛ける道を否定しないで欲しいと思います。これを否定する事は、そこらの経済成長主義者と変わらないか、もしくはもう絶望しているという事でしょうか?(理性が十分ある人が考えれば、悲観的にならざるを得ない部分は十分にありますが・・)

 確かに私自身も、文明の便益を十分享受致しておりますが、それがこのまま続けられるとは考えられません。理性的に考えれば誰でもそういう結論に達するのではないでしょうか?いわゆるディープ・エコロジーというレベルでなければ解決出来ないでしょう。
 下向きに梯子をかけ直して、十分安全な高さまでみんなで下に下りる事より安全で確実な方法は思い浮かびません。これまでこのブログでしつこく繰り返している部分です。技術的には何ら困難な事はありません。あとはその手の欲望を抑えられるかどうかでしょう。・・・既に禁断の実を食べてしまった人類の事ですから、その欲望を抑えられるかどうかが問題です。・・人々の意志による政治的な決断がいつ出来るかでしょう。

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Comments 2

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おかっぱ頭

戻る事が持続する事

 「蹴落としてきた」という表現は、今日の経済成長がいかに破壊行為や弱者切り捨てという犠牲の上に成り立っているかという事ですね。
増え続ける人口、贅沢という贅肉を身にまとった生活、そして廃棄物等々・・。この進歩の梯子は倒壊寸前で、これ以上登り続ける事の方が破局だと私も思います。

 全く話が逸れますし、内容も噛み合っていないかとは思いますが、ヘンゼルとグレーテルという物語の一部を思い出しました。
両親に森の奥に連れて行かれて捨てられる、と死を予感した兄妹が知恵を働かせて、森へと進んで行く途中途中に白い石を落として、それを目印にまた家に戻って来るという部分です。

 過去の文明崩壊が地球規模という大きさで目の前に迫りつつある今、この破局を避ける為には、これからは梯子を下にかけ直して行くという事=脱成長、雑草様の意見に納得させられます。

2008/01/27 (Sun) 07:25

雑草Z

みんなで一緒に梯子を下に掛けて降りられたらいいですね。

    おかっぱ頭 さん

 賛同のご意見有難う御座います。嬉しく思います。このような考え方を広める事こそこのブログの大きな目的です。
 はやく梯子を上向きに掛けるのをやめて、下向きに掛けて持続可能な高さまで降りる事が何より優先でしょう。
 崩れるより先に下に降りられるか・・が問題です。
 もっと高く上りながら、現在の技術を使って、足元を固めて環境問題にも対処しようと言う方策は、既にかなりの負担が生じてあちこちで崩れ始めています。無理と言うべきでしょう。そんな事にも気づかないほどに人間は開発と成長神話の虜になっているのでしょうか?
『人間は、便利さを知ってしまったら過去には戻れない』なんて詭弁です。甘く見ているからそんな事を言えるのです。

ヘンゼルとグレーテルってそんなお話でしたか!?暗示的ですね。彼らのように、過去への目印はしっかりつけて置くべきですね。人類も過去からの梯子を外さないで置けば良かったのですがね・・。

 このブログでも梯子を下向きに掛けて降りる事についてもそろそろ描きはじめようかと思います。それは、早ければ早いほど困難も少ないでしょう。達成できれば、きっと辛い世界でもなく、現在より幸せな社会だと思います。・・その記事を描いた際には、またご意見等宜しくお願い致します。  

2008/01/27 (Sun) 15:11
☘雑草Z☘
Admin: ☘雑草Z☘
無理に経済成長させようとするから無理に沢山働かなければなりません。あくせく働いて不要なものを生産して破局に向かっているのです。不要な経済や生産を縮小して、少ない労働時間で質素にゆったり暮らしましょうよ!「経済成長」はその定義からも明らかなように実態は「経済膨張」。20世紀に巨大化したカルト。
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