現代人類は有利な条件を使えるか?
2008/03/05
昨年読んだジャレド・ダイアモンドの『文明崩壊』[Collapse]は、上・下巻に分かれています。私にとって下巻がより興味深い面白い内容でした。ジャレドは、慎重な楽観主義者としてその下巻を以下のようにの締めています。
・・今日のわたしたちは、テレビやラジオをつけたり、新聞を開いたりすれば、数時間前のソマリアやアフガニスタンでの出来事を見たり聞いたり読んだりすることができる。テレビのドキュメンタリー番組や書籍は、イースター島や古代マヤ、その他の過去の社会がなぜ崩壊したかを、まるで現場にいるようにつぶさに見せてくれる。わたしたちには、遠くにいる人々や過去の人々の失敗から学ぶ機会があるのだ。過去のどの社会も、これほどの機会には恵まれていなかった。現代に生きる人たちがその機会を活かして、失敗しない道を選んでほしいというのが、本書を執筆するに際してのわたしの希望だった。
この内容は下巻の帯にも書いてあります。・・・そしてそれが、上巻を読み終えてから下巻を読みはじめるまでに時間が空いた理由です。・・・・あまりにも効力に乏しい、無策で根拠の弱い希望・・という結論が見えて、読む気が引いていました・・・・。
さて、上巻を読み終えてから、間に何冊かの本を読んで、半年ほど経って優先して読む本も手元になくなって来たので読みはじめた下巻は、予想に反して、上巻よりもずっと面白く読めました。・・・・ニューギニアで4万年以上持続している社会、ルワンダの大虐殺の背景、ドミニカとハイチの独裁者(特にパラゲール)・・・・個別の国の例も環境対策の実態や考察も面白く読めました。・・・アメリカ人らしい甘さも感じましたが共感できる部分が沢山ありました・・・しかし、内容の素晴らしさとは別に、最後の結論の部分に至るまで、私の抱いた「根拠の弱い希望」の感じは否めませんでした。
何故なら、現代人は過去の失敗例をしっかり学習出来るから、失敗しない道を選択出来る・・・という事に対して、皮肉的に捉えるしかない状況が実際に進行しているからです。確かに情報という意味では、「過去のどの社会も、これほどの機会には恵まれていなかった。」事は確かですが、この情報化社会は、どんなジャンルにも相対する反対の情報も飛び交い、「環境危機を煽ってはいけない」なんて事をいう輩が大手を振って蔓延っています。まあ、嘘の情報はそのうち駆逐されるでしょうが、環境問題にそんな猶予はありません。つまり、情報も諸刃の剣なのです。
そして、何より現代人が昔の人よりも劣っている点は、自然の摂理に対する感覚です。
特にここ数十年、20世紀の終わりの頃から自然の摂理に対する感覚が、完全に壊れている人間だらけです。
「人間は、便利な快適な生活を知ったら、もう元には戻れない・・・」などというお気楽な論理をかざして、この社会が未来永劫どんどん発展していくと楽観的に考えています。経済成長は、ずっと続く・・と、考えていると言う事だけでも壊れているとしか考えられません。
民主化社会といいながら、一部の資本家と結託した政治家が・・・・大部分が自然の摂理に対する感覚が壊れているのですが・・・持続可能な社会をこれでもかとばかりに壊して来て、民衆もそれに踊らされています。・・・とても現代が有利とは思えません。
昔の破壊された社会は、逃げようと思えば、地球上の別の地へ逃げることは理論上可能でしたが、グローバル化した現代は、地球全体の人類社会の崩壊の危機にあり、・・・No Way Out です。
こんな状況は史上最大最悪の危機と呼べても、絶好のチャンスと呼ぶのは、悪い冗談としか思えません。流石にジャレドもお気楽アメリカ人であっても、そんな楽観論を思って本書を書いた筈は御座いません。
ジャレド自身、人類全体の文明崩壊の危機は切迫している事は十分に感知していて、駄目かも知れないと危惧しつつ
自ら『慎重な楽観主義者』と言っているのは、最後まで諦めないという自戒を込めた言葉でしょう。
「失敗しない道を選んでほしいというのが、本書を執筆する際のわたしの希望だった。」
これは彼の切実な祈りに近い悲壮感を持った希望でありましょう。
本書の彼の提言等を読んで、ジャレドはこれでも甘過ぎる・・・と感じつつも、やはり『慎重な楽観主義者』と言わざるを得ないと感じます。
崩壊の恐怖を実感して、多くの人、為政者に過去の失敗に謙虚に学ぶ気持ちが出て、脱成長、脱開発を決断するのが崩壊に間に合うか?・・が問題の全てであり、その決断を下すのが現代人・・と言うのが吉と出るのでしょうか?
・・今日のわたしたちは、テレビやラジオをつけたり、新聞を開いたりすれば、数時間前のソマリアやアフガニスタンでの出来事を見たり聞いたり読んだりすることができる。テレビのドキュメンタリー番組や書籍は、イースター島や古代マヤ、その他の過去の社会がなぜ崩壊したかを、まるで現場にいるようにつぶさに見せてくれる。わたしたちには、遠くにいる人々や過去の人々の失敗から学ぶ機会があるのだ。過去のどの社会も、これほどの機会には恵まれていなかった。現代に生きる人たちがその機会を活かして、失敗しない道を選んでほしいというのが、本書を執筆するに際してのわたしの希望だった。
この内容は下巻の帯にも書いてあります。・・・そしてそれが、上巻を読み終えてから下巻を読みはじめるまでに時間が空いた理由です。・・・・あまりにも効力に乏しい、無策で根拠の弱い希望・・という結論が見えて、読む気が引いていました・・・・。
さて、上巻を読み終えてから、間に何冊かの本を読んで、半年ほど経って優先して読む本も手元になくなって来たので読みはじめた下巻は、予想に反して、上巻よりもずっと面白く読めました。・・・・ニューギニアで4万年以上持続している社会、ルワンダの大虐殺の背景、ドミニカとハイチの独裁者(特にパラゲール)・・・・個別の国の例も環境対策の実態や考察も面白く読めました。・・・アメリカ人らしい甘さも感じましたが共感できる部分が沢山ありました・・・しかし、内容の素晴らしさとは別に、最後の結論の部分に至るまで、私の抱いた「根拠の弱い希望」の感じは否めませんでした。
何故なら、現代人は過去の失敗例をしっかり学習出来るから、失敗しない道を選択出来る・・・という事に対して、皮肉的に捉えるしかない状況が実際に進行しているからです。確かに情報という意味では、「過去のどの社会も、これほどの機会には恵まれていなかった。」事は確かですが、この情報化社会は、どんなジャンルにも相対する反対の情報も飛び交い、「環境危機を煽ってはいけない」なんて事をいう輩が大手を振って蔓延っています。まあ、嘘の情報はそのうち駆逐されるでしょうが、環境問題にそんな猶予はありません。つまり、情報も諸刃の剣なのです。
そして、何より現代人が昔の人よりも劣っている点は、自然の摂理に対する感覚です。
特にここ数十年、20世紀の終わりの頃から自然の摂理に対する感覚が、完全に壊れている人間だらけです。
「人間は、便利な快適な生活を知ったら、もう元には戻れない・・・」などというお気楽な論理をかざして、この社会が未来永劫どんどん発展していくと楽観的に考えています。経済成長は、ずっと続く・・と、考えていると言う事だけでも壊れているとしか考えられません。
民主化社会といいながら、一部の資本家と結託した政治家が・・・・大部分が自然の摂理に対する感覚が壊れているのですが・・・持続可能な社会をこれでもかとばかりに壊して来て、民衆もそれに踊らされています。・・・とても現代が有利とは思えません。
昔の破壊された社会は、逃げようと思えば、地球上の別の地へ逃げることは理論上可能でしたが、グローバル化した現代は、地球全体の人類社会の崩壊の危機にあり、・・・No Way Out です。
こんな状況は史上最大最悪の危機と呼べても、絶好のチャンスと呼ぶのは、悪い冗談としか思えません。流石にジャレドもお気楽アメリカ人であっても、そんな楽観論を思って本書を書いた筈は御座いません。
ジャレド自身、人類全体の文明崩壊の危機は切迫している事は十分に感知していて、駄目かも知れないと危惧しつつ
自ら『慎重な楽観主義者』と言っているのは、最後まで諦めないという自戒を込めた言葉でしょう。
「失敗しない道を選んでほしいというのが、本書を執筆する際のわたしの希望だった。」
これは彼の切実な祈りに近い悲壮感を持った希望でありましょう。
本書の彼の提言等を読んで、ジャレドはこれでも甘過ぎる・・・と感じつつも、やはり『慎重な楽観主義者』と言わざるを得ないと感じます。
崩壊の恐怖を実感して、多くの人、為政者に過去の失敗に謙虚に学ぶ気持ちが出て、脱成長、脱開発を決断するのが崩壊に間に合うか?・・が問題の全てであり、その決断を下すのが現代人・・と言うのが吉と出るのでしょうか?
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