全3361文字

「ガンダムの生みの親」として知られるアニメーション映画監督の富野由悠季氏は、生成AI(人工知能)を「よくできている」と評す。ただし、クリエーティビティーを求められる分野では人間に届かないとみる。生成AIの進化を認めつつも、自身の存立基盤を脅かされるとは思わないと断言する。

(聞き手は浅川 直輝、永田 雄大=日経クロステック/日経コンピュータ)

アニメーション映画監督の富野由悠季(とみの・よしゆき)氏
アニメーション映画監督の富野由悠季(とみの・よしゆき)氏
1941年、神奈川県小田原市生まれ。アニメーション映画監督・小説家。日本大学芸術学部映画学科卒。1964年、虫プロダクションに入社。『鉄腕アトム』の脚本・演出を手掛ける。その後フリーに。1979年に『機動戦士ガンダム』、1980年に『伝説巨神イデオン』ほかの原作・総監督として作品を生み出している。2014年に『∀ガンダム』以来14年ぶりとなる新シリーズ『ガンダム Gのレコンギスタ』をスタート。2019年から2022年にテレビシリーズを再構成した劇場版5部作『Gのレコンギスタ』を公開。(写真:的野 弘路)
[画像のクリックで拡大表示]

昨今のChatGPTをはじめとする生成AIのインパクト、社会の熱狂をどう見ていますか。

 うわ、やばいなと思いました。僕のこの2カ月ぐらいの感触で言えば、(生成AIの登場で)ますます人間はばかになっていく。ものを考えないで済むから。本当の意味でものを考えるということがなくなっているんですよ。

 ここ30~40年の人類史で、一番突出した技術は何だと思いますか?インターネットやSNS(交流サイト)です。通信がこれだけ簡便にできるようになったら便利になるはずでしたよね。

 ところが、この1年で露呈したのはどういう状態か。フェイクのまん延です。つまり地球上において瞬時に伝達可能な手法を持ったことで、本来なら地球全体をいい形で統治できるシステムができたにもかかわらず、そのシステムを悪用することしかできない人類って何よと。

 技術によって我々はむしろ基本的に自分たちの生活圏までも狭くしている、地球を使いつぶす考え方をしているんじゃないでしょうか。

 AIうんぬん、それからChatGPTみたいなことに代表される技術論というのは、(人類にとって)いい形で作動するということはもうないんですよね。技術革新があることで、人間はそれを便利に使っているんだけれども、結果的には全部悪用になっている。

人が育たないだろう

生成AIにはどのような問題があるのでしょうか。

 生成AIやChatGPTは、しょせんデータ量をベースにしたものを統合しているのだけど、データ量が多いので、統合した回答はかなり分かりやすく間違いのないものが出てくるだろうというのはよく分かります。

 例えばガンダム総合誌「月刊ガンダムエース」の記事で、ガンダムエースというのはどういう雑誌なんですかと編集部が(ChatGPTに)質問した際の回答を読みましたが、文章として「へえ、よくできている」と思いました。

 世の中にはお仕着せの回答で済むような物事っていっぱいあるわけですね。お役所の仕事もそう。自分で文章を書くのが不得手な人がいっぱいいるなかで、そういった方々にとってはとても便利だと。日常業務を保持する上ではとても便利だろうからということで、そのぐらいは認めます。だけど、やっぱりその人を鍛えることにはならない。人が育たないだろうなとは思います。

人間はデータ論では語れないということでしょうか。

 そうです。人間は質感や色合いなどを識別する能力があるという意味で、かなり感度が高い動物です。ところが勉強を積み重ねた人間の感度が高いかというと、必ずしもそうではない。むしろ専門家になるほど視野狭窄(きょうさく)に陥ってしまう。

 名誉ある職責に就いた瞬間、人が変わったようになることもあります。実務に没頭するより、名誉職に落ち着いているほうが気持ちいいといった感覚が人間にはみんなある。このあたりの感覚は、データ論ではないですよね。

生成AIはクリエーターの活動やオリジナリティーにどのような影響を与えると考えますか。

 AIが生成した絵を見ましたが、分かりやすく言うと「ちょっと変」です。よくできてはいる。俗に言う鑑識眼がない人はだまされるでしょう。だけど、おそらく生身の人間が作ったものは、どこか柔らかいんですよね。堅くないんです。そういうものは(鑑識眼のある人は)見抜く。

 生成AIとの付き合い方について言えば、行政府とか裁判の最終的な文章を作るときに利用するのは構わない。柔らかくあっちゃいけないんだから。だけど、俗に言うアーティスティックなもの、本来の意味でのクリエーティビティーを求められるものは、やっぱり柔らかさを考えなくちゃいけない。

 独創というのは、伝承を無視するものではない。つまり過去の作品を無視するものじゃなくて、そういう創作の定石に精通して、その上で新しい定石を打てることなんです。そう考えると、コンピューターは(アーティスティックな分野で)新しい定石を打つことができるとは思えない。