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 国土交通省の出張所長の男性がランニング中に歩道で滑って大けがを負った事故を巡る訴訟で、福岡地裁は道路の安全性に不備があったとして管理者の福岡県那珂川市に約280万円の損害賠償を命じる判決を言い渡した。男性は坂になった路面上のぬれたコケで転倒し、5mほど滑り落ちた。判決では、市と男性の過失割合を6対4と認定した。

転倒事故があった那珂川市の市道。6度ほどの下り勾配になっている。事故発生後、市はコケを除去し、擁壁の漏水対策を実施した(写真:日経クロステック)
転倒事故があった那珂川市の市道。6度ほどの下り勾配になっている。事故発生後、市はコケを除去し、擁壁の漏水対策を実施した(写真:日経クロステック)
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 事故現場は、山を切り開いて造った那珂川市の市道だ。男性が2020年8月10日午前8時45分ごろ、歩道をランニング中に萩ノ原峠付近の下り坂で転倒し、複数の肋骨を折る大けがを負った。男性は市道の管理に瑕疵(かし)があったとして、国家賠償法に基づき市に約1652万円の損害賠償を求めて福岡地裁に提訴した。

 23年10月19日の判決で、福岡地裁は市道の管理に瑕疵があったと認定。一方で、路面の状態は容易に視認でき、コケを避けた走行は可能だったとして、男性側にも漫然とコケの上に走り込んだ過失があるとした。

 裁判資料によると、男性は国交省の出張所長として河川を点検する際、背中の痛みで作業効率が悪くなったと主張していた。判決では、男性が転倒事故の10カ月前にも肋骨を折るなどのけがを負っており、その影響を指摘。後遺障害に関する損害額を、男性の請求額よりも大幅に減額した。

 福岡地裁は、全体の損害額を約425万円とした上で、過失相殺した額に弁護士費用を加えて賠償するよう市に命じた。市は判決を不服として11月2日に控訴した。

転倒した男性の診断状況(出所:裁判資料を基に日経クロステックが作成)
転倒した男性の診断状況(出所:裁判資料を基に日経クロステックが作成)
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 建設関係の訴訟に詳しい江副哲弁護士は、市の過失を6割と認定したこの判決について、「裁判官は相当、迷ったのではないか」と話す。コケを放置した市の過失と、漫然と走り込んだ男性の過失を比較するのは、なかなか難しい。

 一般的に行政の過失を認める場合、相殺する被害者側の過失をもっと低い割合に抑える例が多いという。「原告側の過失4割は、かなり高い」と江副弁護士は見る。

事故が発生した頃の状況。歩道をコケが広範囲に覆っていた(出所:福岡地裁の裁判資料)
事故が発生した頃の状況。歩道をコケが広範囲に覆っていた(出所:福岡地裁の裁判資料)
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 福岡地裁が市道管理の瑕疵を認めた決め手となったのは、コケの状態だ。アスファルト舗装された歩道の路面上に、約5mの範囲で広がっていた。歩道に面する擁壁からの漏水で路面が常にぬれていたと考えられる。

 コケの厚さは、最大で2~3mm程度。一部は歩道の幅員全体を覆っており、それを避けるには車道を通行しなければならない状態だった。

 男性側は、この歩道付近を市が2カ月に1回パトロールしているのだから、コケの除去や漏水の補修は容易にできたはずだと主張した。一方、市は裁判で、市職員がパトロールした際には、コケが視認できる状態には至っていなかったと説明している。

 日経クロステックは市に対し、道路パトロールの頻度などについて尋ねたが、係争中であることを理由に回答を断られた。

 裁判所は、現場の状況を見て、相当以前からコケの生えた状態だったと判断し、市はコケの存在を知ることができたと指摘。コケを視認できなかったとする市の説明を否定した。

 コケの状態が歩道の通行・走行に支障のない軽微なものとする市の主張も一蹴。その上で、歩道上のランニングは当然、想定される利用方法なので、転倒の危険性は予見できたはずだと結論付けた。

 さらに、市が転倒事故の発生後、現場のコケを除去し、漏水対策の工事を実施したことを挙げ、対策に大きな手間や費用は必要なく、事故前に実施することは困難ではなかったと指摘した。

那珂川市役所(写真:日経クロステック)
那珂川市役所(写真:日経クロステック)
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 この判決を巡っては、転倒した男性の自己責任とする声もある。しかし、前出の江副弁護士は現場の写真を見て、「さすがにこの管理状態はひどい」と感じたという。「公共インフラの大前提は安全であること。普通の人が特別な注意を払って歩かなくても安全な状態に維持することが、インフラ管理者の責務だ」と江副弁護士は話す。