核抑止
核抑止
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/13 07:45 UTC 版)
「3Vボマー」も参照 イギリス単独の核抑止力として、最初にブルー・ダニューブを搭載した。ブルー・ダニューブは核分裂によるエネルギーを使用する核爆弾であった。イギリスは水素爆弾の開発に乗り出し、これらが準備ができるまでの繋ぎとして、ブルー・ダニューブとグリーン・グラスなど400 ktの核出力をもつ強力だが重い核爆弾を装備した。 最初の水素爆弾イエロー・サンは、アメリカ製Mk 28核弾頭のイギリス向けレッド・スノーを搭載した。バルカン以外にもヴィクターにもイエロー・サンは搭載された。より小型のレッドベアードは、1962年からキプロスとシンガポールにおいてバルカンとヴィクターによって運用された。バルカン B.2Aには、スタンドオフミサイルであるブルースティール Mk.Iを搭載した。1962年のキューバ危機の際には、ソ連への攻撃に備えて緊急即応体制が取られている。 初期のころは核爆発の閃光から自身を守るため全面を白色に塗装し、国籍マークも薄く描かれていた。その後ソ連が地対空ミサイルの配備を進めると、ソ連領空外から目標を射程に収めるアメリカ製空中発射弾道ミサイル、スカイボルトの配備も計画した。しかし、ブルースチール Mk.Iの退役、同Mk.IIの開発中止、およびスカイボルトの取得失敗によって、イギリスの核抑止は戦略原潜から発射されるポラリスSLBMが主となった。このため、スカイボルトを搭載した型式であるバルカンB Mk.3は少数配備で終わった。その後、シンプルな低空侵攻による自由落下核爆弾WE177による戦術核攻撃となり、迷彩塗装も施された。迷彩は当初機体上部にのみ施されたが、1977年のレッドフラッグ演習にて山地を背景に急旋回すると迷彩のない下部を見せた際に目立ってしまい地上から容易に視認されるという指摘があったことで全面に施されることになった。 なお、1960年に行われたスカイシールド演習では、キューバを発進したソ連の爆撃機を模した仮想敵機役を務め、優れた低空侵攻能力とECMによりアメリカ合衆国の防空網を突破してニューヨーク上空への進入に成功している。
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