引き揚げ船とは? わかりやすく解説

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ひきあげ‐せん【引(き)揚げ船】

読み方:ひきあげせん

外国から引き揚げ本国帰る人を乗せる船。特に、第二次大戦後、外地での生活を引き払って日本に帰国する人を乗せた船。


引き揚げ

(引き揚げ船 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/07 02:30 UTC 版)

引き揚げ(ひきあげ、英語: Repatriation)とは、1945年昭和20年)8月15日日本第二次世界大戦連合国に降伏したことを受け、日本の外地[注釈 1]日本軍占領地[注釈 2] または内地ソ連軍被占領地[注釈 3] に生活基盤を有する一般(民間)日本人が日本の本土内地)への帰還を指す[2][注釈 4]。引き揚げの対象となった者は引き揚げ者と呼ばれ、引揚者給付金等支給法や引揚者等に対する特別交付金の支給に関する法律によって給付行政の対象とされた。


注釈

  1. ^ 台湾朝鮮関東州及び南洋諸島
  2. ^ 満洲国(法律上は外国)及びその他日本軍の占領地。
  3. ^ 南樺太及び千島列島
  4. ^ 軍人や軍属を召集解除または解雇し、軍籍から外すことを「復員」という。軍人軍属が日本本土以外にいる場合は、日本への帰還が完了することで最終手続きとなるため、所定の「復員手続」を済ませて、帰郷旅費を支給するまでの面倒を見ることまでが「復員業務」とされた。本項では、一般日本人の「引き揚げ」に加え、軍人軍属の「復員業務」を併せて扱う。以上は河原後掲書による。
  5. ^ 海軍については解員

出典

  1. ^ #引揚援護の記録
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 河原(2011年)12ページ
  3. ^ 「 戦後引き揚げ 大国の思惑/国文学研究資料館・加藤准教授 全体像描く研究書」『読売新聞』朝刊2021年7月7日(文化面)。加藤聖文『海外引揚の研究 忘却された「大日本帝国」』(岩波書店)の紹介記事。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m #引揚援護の記録 p.1
  5. ^ 久しぶりの母国に感激の顔『大阪毎日新聞』昭和16年11月15日夕刊(『昭和ニュース事典第7巻 昭和14年-昭和16年』本編p456 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  6. ^ 第二船大洋丸にはハワイの四百四十七人『大阪毎日新聞』昭和16年11月16日夕刊(『昭和ニュース事典第7巻 昭和14年-昭和16年』本編p456)
  7. ^ 第三船氷川丸が横浜入港『朝日新聞』昭和16年11月19日夕刊(『昭和ニュース事典第7巻 昭和14年-昭和16年』本編p456)
  8. ^ 蘭印から高千穂丸、門司へ帰る『朝日新聞』昭和16年11月23日夕刊(『昭和ニュース事典第7巻 昭和14年-昭和16年』本編p456)
  9. ^ ボルネオ、マレーには浅間丸が『朝日新聞』昭和16年12月6日(『昭和ニュース事典第7巻 昭和14年-昭和16年』本編p457)
  10. ^ 在米残留邦人、龍田丸で最後の引き揚げ『朝日新聞』昭和16年11月30日夕刊(『昭和ニュース事典第7巻 昭和14年-昭和16年』本編p457)
  11. ^ 終戦の詔書”. 国立公文書館. 2024年3月20日閲覧。
  12. ^ a b c d e f g 河原(2011年)3ページ
  13. ^ a b c d e ポツダム宣言”. 国立国会図書館. 2024年3月20日閲覧。
  14. ^ 井出孫六 2008, p. 82
  15. ^ 井出孫六 2008, p. 83
  16. ^ a b 井出孫六 2008, p. 86
  17. ^ 井出孫六 2008, p. 87
  18. ^ 引揚援護の記録』引揚援護庁、1950年3月31日。doi:10.11501/1707048https://dl.ndl.go.jp/pid/1707048/ 
  19. ^ a b #引揚援護の記録 p.11-13
  20. ^ a b c d e f g h i #引揚げと援護三十年の歩み pp.149-167
  21. ^ #引揚援護の記録 pp.55-62
  22. ^ #引揚援護の記録 続々 pp.311-344
  23. ^ #引揚げと援護三十年の歩み pp.60
  24. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 河原(2011年)4ページ
  25. ^ a b c d e f g #引揚援護の記録 pp.13-30
  26. ^ a b c d 若槻(1991年)50ページ
  27. ^ a b c d 若槻(1991年)51ページ)
  28. ^ 若槻(1991年)255ページ
  29. ^ 若槻(1991年)251ページ
  30. ^ 若槻(1991年)260ページ
  31. ^ a b c d e f 若槻(1991年)261ページ
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  33. ^ a b c d 伊藤(1993年)134ページ
  34. ^ a b c d e 加藤(2009年)183ページ
  35. ^ a b c d e f g h i j k l 朝日新聞夕刊 2015a, p. 3「あのときそれから/サハリン残留/離別 望郷」
  36. ^ a b c d e f g h 加藤(2009年)214ページ
  37. ^ a b c d 加藤(2009年)215ページ
  38. ^ 加藤(2009年)81ページ
  39. ^ a b c d e f g 加藤(2009年)82ページ
  40. ^ a b c d e 加藤(2009年)196ページ
  41. ^ a b c d e f g h i j k 厚生省援護局(1978年)145ページ
  42. ^ a b c 若槻 1991, p. 284
  43. ^ a b c d e f g h i 厚生省援護局(1978年)147ページ
  44. ^ a b 朝日新聞夕刊 2015b, 1面「シベリア引き揚げ資料・東寺百合文書」
  45. ^ a b c 朝日新聞朝刊 2015d, 34面「守った遺産 世界へ未来へ」
  46. ^ a b c 朝日新聞夕刊 2015c, 9面「抑留、風化させぬ」



引き揚げ船

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/17 03:43 UTC 版)

興安丸」の記事における「引き揚げ船」の解説

敗戦後興安丸GHQ日本商船管理局en:Shipping Control Authority for the Japanese Merchant Marine, SCAJAP)によりSCAJAP-K086の管理番号与えられた。 1945年9月1947年昭和22年4月仙崎博多釜山間に就航し海外邦人引き揚げ朝鮮人帰国輸送などに当たる。引き揚げ者上陸した仙崎漁港には、跡地記念碑がいまも残り記念碑には興安丸活躍記されている。1947年12月下関市天皇全国巡幸時の御宿泊所とされた。1948年昭和23年4月関釜連絡船は公式に閉鎖された。 1949年昭和24年6月1日運輸省鉄道総局引き継ぐ形で日本国有鉄道設立されたことに伴い移籍したが、翌1950年昭和25年3月朝鮮郵船(後の東京郵船昭和郵船)へ国家賠償に伴う補償として払下げられた。 1950年7月1953年昭和28年4月朝鮮戦争時にはアメリカ軍傭船され佐世保市釜山国連軍輸送就航し朝鮮戦争終結後政府傭船により中華人民共和国河北省秦皇島-舞鶴間、ソビエト連邦(現ロシア)ナホトカ・ホルムスク-舞鶴の引き揚げ船として日本赤十字社救護班乗せて1957年昭和32年)に至るまで延べ22回の活躍し舞鶴港の「岸壁の母」の悲話国民胸を打った

※この「引き揚げ船」の解説は、「興安丸」の解説の一部です。
「引き揚げ船」を含む「興安丸」の記事については、「興安丸」の概要を参照ください。

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