日本に帰国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/11 03:57 UTC 版)
しかしこの時期から台湾内の治安は急速に悪化し、日本軍は先に日本に引き揚げて真理子たち民間人ばかりが取り残され、財産は全て没収されるなどして一家は貧乏のどん底に突き落とされた。外出も困難になり、12月になって一家は金目のものはほとんど奪われて、中国人や台湾人の群衆から逃げるようにして、日本へ向かう船に乗船して脱出することが出来た。引揚船は東シナ海から瀬戸内海へ入り広島県の大竹市に入港することが出来たが、途中船上で力尽きて亡くなる人間もいたほど過酷な船旅であった。港では上陸したとたん、進駐軍によって頭からDDTの洗礼を受けた。 日本に着いても、どこに行く当てもなく、とりあえず一家は東京へ向かったが、そこは空襲で一面焼け野原であった。仮住まいの避難所として上野の寺にあった一時収容所に泊まることが出来たが、次から次にと家を失った者であふれかえって長居は出来ない状況であった。上野は戦争罹災者と外地からの引揚者、浮浪児などでごった返し、闇市にはパンパンが米兵と腕を組んで歩き、真理子は戦争で日本が負けたことの意味を痛感する。結局、一家は次の年の3月まで行く宛てもなく、そのまま収容所に留まることになる。 そのうち父方の叔父と連絡がとれて、一家は栃木県宇都宮市へ向う。住まいは兵舎跡であった。父は「台湾のことはすべて忘れたい」と名字を本家筋の武山姓に変えてしまい、真理子も武山真理子となる。苦しい生活が続き、台湾から引き揚げる時に隠し持ってきた金目になる物を少しずつ売って、一家は何とか生活をしのいだ。小学生だった真理子の唯一の愉しみは、近所で催すのど自慢大会への出場だった。ラジオさえさほとんど普及していなかった当時は、のど自慢大会は庶民の中心的な娯楽であったが、真理子にとってはこれは生活がかかっており、優勝しては商品や賞金を手にして、それが一家を支える稼ぎの一部となっていた。こののど自慢荒らしは中学、高校と続けた。高校の方は栃木県立宇都宮中央女子高等学校へ進学、文化祭では得意の歌や踊りを披露し人気者となった。踊りの方も地元の舞踏団に所属してバレエやフラメンコ等の舞踏を学び、会社の慰問会などで芸を磨いた。やがて3年ほどは仕事のなかった父は金庫会社を興し、それが当たって無一文だった一家には再び経済的余裕が生まれる。 1952年(昭和27年)、高校を卒業した真理子は上京し、引き揚げた時は焼け野原だった東京が、すっかり都会に変貌していたことに驚きを覚える。19歳になった真理子は世田谷区に落ち着き、いくつかの仕事を転々としていたが、バレエを学びたいという欲求が抑えられなくて、松竹歌劇団出身のダンサーの付き人になり本格的に習い始める。両親も上京してきて、父は新聞を発行する会社を興していた。父からは、それまで踊りを禁じられていたが、バレエシューズと稽古着を買ってもらい、立川市、座間市、福生市等の米軍基地での進駐軍相手に無給で踊り、腕を磨いた。
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日本に帰国
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1992年、スペル・エストレージャ'92というシリーズにて再度帰国。モモタロウのマスクを被り、モンキーマジック・ワキタのリングネームで試合に登場したが、三本勝負での二本目でスペル・デルフィンのマスクの上に被っていたモモタロウのマスクを脱ぎ捨て、以降はスペル・デルフィンとして活動することを表明した。
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日本に帰国
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2001年に、父ミッキー安川の経営する「ミッキーラーメン」事業の立て直しのために帰国。ラーメン店から、カリフォルニア料理を提供するバーに業態転換を図って立て直しを図るが、2006年に閉店した。飲食店の経営と並行して、アメリカのプロスポーツエージェント支援時代に培ったノウハウを活かして、鈴木の他、相川亮二、谷繁元信、多村仁志ら横浜ベイスターズ選手のトレーニングパートナーとして活躍。2004年のシーズンには、多村のエージェントとして契約し、3割、40本塁打の達成を支援した。
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