天空の都、チベット・ラサを眺める
2020年1月
拉薩の布達拉宮
これは中国語でラサのポタラ宮のことである。今回の目的地は「ポタラ宮」でありチベット文字で「ཕོ་བྲང་པོ་ཏ་ལ་」と書く。
真冬1月の凍てつくチベット・ラサ(Lhasa)に僅か2日だけ滞在するという短い旅だった。2020年1月7日に成田を出発して上海経由で西安で一泊。翌日1月8日にチベットのラサ(拉薩)に向かった。約3時間半のフライトであるがそこはチベット高原の南東、海抜3700mにある。これは富士山山頂とほぼ同じ高度にある都。
チベットの強風
二日目の1月8日に西安からラサの中国東方航空のフライトがラサ空港に着陸態勢に入った直後、地上の強風の影響により滑走路に乗れなくなり急きょ着陸中止となった。なんと着陸場所を青海省の西寧に変更すると言う機内アナウンス。ラサから約2時間の距離にあり蘭州の近くの都会である。西寧で4時間程待機して再びラサへ向かった。空気は薄いが無事にラサに到着できて良かった。
シャングリラ
神秘的な禁断の地チベット。これは昔のチベットを呼ぶステレオタイプな表現である。あるいはチベットのことを「第三の極地」と呼び、南極、北極に次ぐ極地であるかのように言う。つまり陸の孤島というイメージ。一方で未知の桃源郷であるかのように憧れた。例えば「シャングリラ」と呼ぶ。シャングリラ(Shangri-La)は、英国人James Hiltonが1933年に出版した小説『失われた地平線』に登場する理想郷の名称である。第二次大戦前のヒットラーが政権を取ったヨーロッパでは世紀末思想もあり混乱期だったからユートピア思想も人気があった。映画化もされて登場人物はチベット衣装を着けていた。
神秘的な禁断の地チベット。これは昔のチベットを呼ぶステレオタイプな表現である。あるいはチベットのことを「第三の極地」と呼び、南極、北極に次ぐ極地であるかのように言う。つまり陸の孤島というイメージ。一方で未知の桃源郷であるかのように憧れた。例えば「シャングリラ」と呼ぶ。シャングリラ(Shangri-La)は、英国人James Hiltonが1933年に出版した小説『失われた地平線』に登場する理想郷の名称である。第二次大戦前のヒットラーが政権を取ったヨーロッパでは世紀末思想もあり混乱期だったからユートピア思想も人気があった。映画化もされて登場人物はチベット衣装を着けていた。
ブラッド・ピット主演の「Seven Years in Tibet」は1939年にインドで捕虜になったドイツ軍人ハインリヒ・ハラーの物語だった。彼は登山家(オーストリア人ナチ党員でアイガー北壁に初登頂)であったからインドの捕虜収容所を脱出してヒマラヤ山脈を越えてチベットに逃げ、ラサで14歳のダライ・ラマ14世(1935年生まれ現在インド亡命)に会う。この映画はとても面白かった。
ポタラ宮のライトアップ
1月10日、ラサ2日目の夜、ポタラ宮のライトアップを見に行った。極寒1月の夜は冷え切った体中の関節が痛む。海抜3700mのラサは満月だった。チベットのシンボルであるポタラ宮は世界最高所にある世界最大級の宮殿。荘厳な夜のポタラ宮は本当に神々しい。
祈るチベット美人に会う
ライトアップしているポタラ宮殿を背景にしてチベット美人の撮影が行われていた。しばし、幻想的な美の雰囲気に呑まれた。こんな美女が住んでダライ・ラマに仕えていたのか。21世紀の美女はチベット伝統の衣装をまとい祈りのポーズをとっていた。中国人のプロモデルに違いない。
ポタラ宮の見学
1月の厳冬期のポタラ宮。観光客は皆無にひとしい。敬虔なチベット人巡礼者だけだった。夏季最盛期では観光客が激増していることもあり、個人観光客が予約券を手に入れるためには、深夜のうちから予約券発行所に並ぶ必要がある。きわめて入手困難。この時期はホテルも安く、空いていた。
地図にない国
チベット国という国名はなく、チベット自治区という名前だけが地図に明記されている。現在のロシア連邦には自治共和国というものがあり、例えば「タタールスタン」などを2019年に訪れた経験もある。中国では自治国はなく、自治区と呼ぶ巨大な地理的地方がある。そこへ行くことをチベット自治区に入境すると言う。入境にはビザが必要になる。中国のどこでも同じであるが監視・検査は厳しい。ラサ市中の公園、広場、街角など公共施設からレストラン、商店まで監視カメラが鋭く視ている。
禁じられているチベット国旗
1911年辛亥革命が起こるとダライ・ラマ13世が独立を宣言。その後の人民解放軍の激しい侵攻により、1959年、ダライ・ラマ14世はインドへ亡命。以後チベットは中華人民共和国の統治下となる。
インドに亡命政権があるが、独立は千年後になるだろう。それまでにチベット族は漢族に同化されたチベット人なのだろうか。中国の自治区としての現代チベット、確かに大発展していた。西蔵自治区成立50周年を祝う中国共産党のポスターは巨大だった。
『失われた地平線』
James Hiltonの小説『失われた地平線』はシャングリラと呼ぶチベットにあるユートピアを描いていた。ヒマラヤ山脈のカラカルという名の8,500mの高峰があり、そのふもとの霧の漂う調和に満ちた谷間に、シャングリラという僧院が建っている。シャングリラに住む人々は長生きで、その楽園で平和に暮らすことができる。そこは桃源郷なのである。パキスタンのフンザ地方こそシャングリラであると言う人もいるがイスラム世界とチベットは異なる。『失われた地平線』の舞台は正しくチベットである。
21世紀のシャングリラとは独裁であっても全体主義的であっても安全に暮らしていけ、富みを与えてくれるシャングリラに生きていることなのだろうか。
世界最大級の建築
ポタラ宮は高さが約117m、東西の長さが約360m。およそ1000の部屋がある。外から見ると13階建てに見えるが、実は内部は9階建て、世界でも最大級の建物である。チベット仏教の中心であり、内部に数多くの壁画、霊塔、彫刻、塑像を持つチベット芸術の宝庫でもある。
チベット仏教
チベット仏教は、インド仏教の流れを直接受け継いでいる。サンスクリットの原典を正確に翻訳し、思想哲学や実践修行の面でも、インド仏教の伝統を忠実に踏襲している。本家インド大陸はヒンズー教やイスラム教に変わってしまい仏教はスリランカだけに残った。そしてヒマラヤ山麓にも残り、ヒマラヤを越えてチベットで信仰されることになる。インドから直接に仏教を取り入れた。そのため、インド仏教の伝統が途絶える寸前の時代に伝来した後期密教が継承されている。 正当な大乗仏教である。ラマと呼ばれる師僧を尊崇することから、ラマ教と呼ばれる。ニンマ派、カギュ派、サキャ派、ゲルク派の4宗派が存在する。
日本仏教と密接な関係
日本では明治時代に能海寛ら仏教学者に注目され、日本人初のチベット探検者である河口慧海に続いて、1900年代から大正時代にかけて多田等観、青木文教、寺本婉雅など日本の僧侶がチベットへ渡った。この話は、私にとり新たな知的興奮となった。仏教の研究にはチベット仏教から始めよう。
吐蕃国
7世紀のソンツェン・ガンボ王の時代は吐蕃国と呼ばれていた。ソンツェン・ガンボ王はラサを都とし、唐とネパールから妃を迎えた。唐からの妃は文成公主、ネパールからの妃はティツン妃だった。2人の妃が熱心な仏教徒だったこともあって吐蕃国はアミニズム宗教から仏教国に変わった。
吐蕃国は西域の天山南道まで勢力を拡大したが、9世紀には内紛により分裂した。17世紀にダライ・ラマ5世が再統一を果たし、ラサを再び都と定め、チベット文化が花開いた。
ポタラ宮の由来
ポタラの名は観音菩薩の住むとされる補陀落のサンスクリット語名「ポータラカ」に由来する。ポタラ宮は1642年にチベット政権「ガンデンポタン」の成立後、その本拠地としてチベットの中心地ラサのマルポリの丘の上に十数年をかけて建設された。
輪廻転生と鳥葬儀式
チベット・アミニズム宗教の信仰形態として特徴的なものは、マニ車、タルチョー(経旗)、鳥葬などが残っている。鳥葬は古代ペルシャ・ゾロアスター教徒と同じものだ。違うのはゾロアスター教では死体は悪魔の住処。それを火を使い火葬するなど火を崇拝するゾロアスター教徒にとりタブーである。死体は放置されてハゲワシの餌になる。インドへ逃げたパーシー教徒は「沈黙の塔」に置きハゲワシに食わせる。
チベットの鳥葬の考え方は全く異なる。貰った命を還元する。魂が抜け出た肉体を他の生命ハゲワシに布施として与えることで、 前世の罪を洗い流し天に還る。ハゲワシは魂が去った後の肉体を天へと届ける。鳥葬師により細かく裁断され、骨も石で細かく砕く。これぞ天空チベットの信仰「輪廻転生」である。宗教よりもチベット哲学と呼ぶべきもの。全てを無に戻し再生を願う。戒名や墓地に葬るなどは欲望の証。鳥葬という思想は、私がこれまで抱いてきた世俗邪念を圧倒した。こんな思想とGAFA(IT概念)が戦ってもIT側に勝ち目はない。物凄い真理の力をもつチベット信仰に心酔する。まさに「鳥葬」は思想なのだ。ここで関係ないがインカの歌『コンドルは飛んでいく』の一節を変えたもの。日本のボケ老人(ハゲワシ)よ大志を抱け。
飛べ飛べハゲワシ
飛べよ
果てしない空を
ヒマラヤのやまに
影を落として
裏切られたチベットの
笛の音かなし
自由のため死ねと
果てしない空を
ヒマラヤのやまに
影を落として
裏切られたチベットの
笛の音かなし
自由のため死ねと
100万都市ラサ
人口は約50万人であるから藤沢市40万人よりも大きく、ダイナミックに発展中の都会であった。チベット本土には約600万人の人々が暮らしている。その内チベット人は8割程度。やがて逆に漢族が8割近く占めるだろう。西安からの鉄道も繋がり高速道路もあり中国本土から便利になった。青蔵鉄道はラサから伸びてヒマラヤ山脈を越えてネパール・カトマンズまで近い将来繋がる。ブータン、シッキム、ラダク、ムスタン、ネパールなどチベット文化圏を包括する巨大なヒマラヤ地域が一体化できる。「一帯一路」と呼ぶ中国の国際政策は着々と進んでいる。その中心となるラサはまもなく100万人都市になるだろう。ラサは日々躍進して、町行く人々も若くお洒落だった。BurgerKingやマクドナルドなど、スパーマーケット、フランスパンの専門店もあった。ただお酒はラサ・ビールだけだった。ワインが飲みたい。
チベット人のアイデンティティー
チベットが独立していたとしても経済的・技術的発展はないだろう。もし独立していても政教一致の中世アラブ諸国に似た封建的な国になっていた。資源の少ない寒冷な高地国家なのでタジキスタンやキルギス程度の国で精いっぱいだろう。貧しい独立国よりも豊かで安全な自治区で満足できるだろうか。チベット人の本音を知ることは難しい。現在も独立を求めるチベット人に対する弾圧は続いている。ポタラ宮広場や街角には武装した軍人でいっぱいだった。チベット人にとりアイデンティティーとは何か。チベット語とチベット仏教(ラマ教)そしてチベット文化だけなのか。それだけでは貧しい。
聖山カイラスを拝もう
経済の発展、豊かな人々の生活。地下資源の発見の可能性とヒマラヤ山脈の観光資源。中でも観光資源は巨大であり魅力的である。壮大なユーラシア大陸の屋根であるから規模がとてつもなく大きい。これに比べるとスイス・アルプスなど盆栽のように小さな観光資源に見えてくる。日本から4時間で行ける。時差は1時間しかない。ワインや旨い料理を提供するレストランやロッジ、スキー場を整備してほしい。草原と湖、遺跡も魅力的で、なによりも素朴で神秘的。
チベット高原西部にそびえ立つカイラス山(海抜6656m)はチベット仏教、ヒンズー教、ジャイナ教の聖山である。チベット人巡礼者は右回りに五体投地を繰り返しながら回る。インド大陸から巡礼に来たジャイナ教徒は左回りだ。ヒンズー教徒は岩に胡坐姿で祈る。遥々インド大陸に流れ出る聖なるガンジス河の源流もある。次回は聖山カイラスを回り、ヒマラヤを越えてインド大陸に行こう。
チベットの発展と平和、そして素朴で親切なチベット人の幸福を祈る。