- 『池上彰くんに教えたいニュース』(日テレ)
出演されていた木村利惠(きむら・りえ)氏*1のお話が鮮烈だった。
部分的に文字化しておく。
「国際霊柩送還士」の仕事は、大きく分けて二つ。
(1)遺体の輸送に関する複雑な手続きを代行
(2)エンバーミング(遺体の防腐・修復作業)
木村:「ご遺体が国境を越えるということは、簡単なことではない」
- 海外で逝去 → 飛行機での帰国時には、貨物扱い(特別貨物)
- 費用は国の事情で異なるが、約50万〜300万円(日本に到着するまでの金額)。
- さまざまな国をまたぐ貨物専用機では、《離陸→着陸》のたびに気圧が変化し、ご遺体の状態が悪化してしまう*3。それゆえ、よほどの事情がない限り、ご遺体は旅客便の、それも直行便を使う。
航空規定に基づき、特別な手続きを行なう。
- 物がいっさい表に出ないよう、木製の棺の中に鉄板を入れ、溶接まで要求する国もある。
- 「この棺の中にはご遺体以外は何も入っていない」という、厳重な封印など。
遺体への扱いは、国によってさまざま
- 日本では、多くは病院の霊安室で家族が対面する。
- よく外国の映画で、モルグ(死体安置所)に巨大な冷蔵庫があり、ズラッと引き出しが並んでいる。中に遺体が収納してあって、シーツをかけてあるだけ――という場面がある。
- 冷蔵庫のような施設すらない国では、帰国まで「そのまま」ということすらあり、遺体の状態はどんどん悪化する。
印象的だったお話
木村利惠: エンバーミングではなく、できるだけ今の姿で、家族の元へ連れて行きたいという思いがある。いろいろの不具合(遺体の損傷など)があるものを、お体をケアすることによって、なんとか魂を戻してあげて、ご家族の元に連れて行ってあげたい。
池上彰: 俗に言う「死に化粧」というものでしょうか。
木村: はい。我々はできるだけ、汚れたお体をきれいにして、ご機嫌を直してあげて、なおかつ、生前の面影、ほんとうに「行ってきます」と言ったときの顔に戻してあげたい。その思いで私たちは、死に化粧と言われているものを、やらせていただいてます。
池上彰: 「生前の顔にする」って、何がポイントですか?
木村利惠: やはりご本人には、それなりのお顔の表情ってありますよね。苦しい思いをしてご逝去された方は、やはり苦しい顔をしています。だけど、やはり皆さん、安らかな顔に戻してあげる。これが我々の経験上、いちばんご本人にとって、生前に戻る顔になる。 〔…〕 私たちは、ただ日本で口をあけて待っているだけではなくて、その人が亡くなったと思った瞬間、その人が亡くなった国にまで魂を掴みに行くっていう、そういう思いで仕事をしてます。
〔出演者たち、感嘆して「ハーッ…」という深い溜め息〕
池上彰: 遺体は魂が抜けているはずなのに、その魂を戻すんだ、というお仕事。
木村利惠: はい、その通りです。
池上彰: これまでで、最も大変だったことは何でしょう?
木村利惠: 私たちはプロなので、決して、…大変だったと思うことって、そうそうはないんですけれども、 〔後略〕
池上彰: なぜそこまでされるんでしょうか。
木村利惠: もし池上さんが、私の知識と技術とノウハウを持っていたら、なんとか、本人のため、ご家族のためにしてあげたいと思いませんか?
池上彰: そりゃそうですよね。知識や技術があったら、役立ちたいですよね。
木村利惠: そうですよね。ですから私たちは、家族が、またご本人の尊厳を尊重して、本当に向き合って悲しんでもらうために、それだけのためにやってます。
池上彰: あの、ちょっと待ってください。「悲しんでもらうために」やってるんですか?
木村利惠: そうです。
池上彰: 悲しみを癒してあげるのではなくて、悲しんでもらうために。
木村利惠: しっかり悲しむということは、死を受け入れるっていうことです。それがないと、家族は前に進めないんですよ。
池上彰: しっかり悲しんでこそ、やがて時間によって死を受け入れるようになる。
木村利惠: そういうふうに私は思っています。「機嫌の悪かった〔損傷の激しかった〕主人を、よくここまで直してくれた」、「これだったら親戚みんなに会わせて、最後にお別れが言える」――そのときの家族って、笑顔が出るんですよ、泣きながら。それが私は、死に対して家族があらためて向き合える瞬間だと思ってます。ですから私は、微力ですけれども、そういったお手伝いを、胸を張ってさせて頂いてます。
【感想】: 死と生の間にあるお仕事
木村氏の語られた信念は、「オリジナル」というようなものではないかもしれない。しかし、実際にご遺体に接して勝負しておられることで、宗教家や哲学者・芸術家などに(本来なら)要求されるような、腰の据わった凄みを感じた。――逆にいうと、日常のどこを向いても、死との接点は隠蔽されている。
感銘を受けたのは、
- 「技術的に処理される死」の専門家ではなく、喪の作業の援助職であること。
- 耐えられないものを「耐えられるように変える」仕事ではなく、耐えられないものをそのまま受け入れるのを助ける仕事であること。
「勝利する」のとは別の、職業上のミッションを感じた。
私は、現象経験が外傷的でしかない事実を、どうしても受け入れられずに来た。それが私にとって、最も基本的な思想経験であり、それを無視して別のモチーフに従事するのは、絶対に許されてはならない、欲望の譲歩であり、逸脱である――この囚われから、今も抜け出せずにいる。
もし、経験の外傷性が*5――ということは、私たちが日常的に接している死が――有限な身体たる「ひと」に変えられない性質なら、*6
むしろ私の倫理は、《死から眼をそむけないこと》、
死と生のあいだに入り込んで誤魔化さない努力にある。
いつ何が起こるかわからない、起こったことは変えられない――ヒトも世界も初期設定を変えられない、にもかかわらずそれが「耐えられない」なら、そこから眼をそむけないという以外に、どんな選択肢があり得るだろう。
関連:「第10回 開高健ノンフィクション賞」
私はまだ読んでいませんが、木村利惠氏を取り上げた作品のようです。
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*1:「エアハース・インターナショナル(株)」社長
*2:ニュースになるようなケースはごく一部で、多くは病気や交通事故等で亡くなっている。
*3:生体の私たちだと鼓膜がツーンとくるが、ご遺体ではその調節ができないため、耳や鼻から体液が漏れたりする。
*4:遺体の腹部が、あり得ないほど凹んだケースがあり、《臓器移植のために訪れた外国で、手術が失敗して死去 → 勝手に健康な臓器を抜き取られ、その国の移植に回された可能性が》――という、おぞましい推測が語られていた。
*5:「超越論的な経験論」というドゥルーズのモチーフは、超越論そのものが死の射程圏外には出られないという事実にかかわる。(「死の射程圏内」という表現は、どこかでジョルジュ・バタイユがしていた。)
*6:ふつうに考えれば、この問い自体がバカげているはず。この現象世界は、人の努力に根底的に無頓着であり、いわばそれを裏切っている。どんな物理学も、「物質」を操作することはあっても、「現実」に触ることはできない。