「結論ありき」だった斎藤環との往復書簡

斎藤環氏はこんな発言をしてたんですね*1

斎藤環氏は私との公開往復書簡で、まさに「結論ありき」の恫喝的言動で対話の場そのものを壊したのでした(当時のやり取りのうち私の側の原稿は全文を公開しています)。この往復書簡は出版も決まっていたのに、彼は私とのやり取りが人目に触れないようにその出版企画をも潰したかたちです。*2(これは Togetter まとめを削除させる検閲・抑圧と同じものでしょう)

当時の私は、自分が苦しめられていた《当事者》概念を考え直し組みなおすために対話的検証の提案をしたのでしたが、その問題意識そのものを禁止された。その恫喝的禁止をやらかした張本人が、その件についての分析的反省を何もしないまま、偉そうにふんぞり返って「1ミリも対話実践の名に値しない」「ハーモニーの暴力」云々と、自分を棚に上げて何を言ってるのか。(編集部から「斎藤環さんを批判するな」と何度も書き換えを要求された私はまさに「ハーモニーの暴力」に晒されたわけです)



魚拓1】【魚拓2

聞いて呆れる。ご自分自身が《当事者》概念を政治的正しさとして振りかざし、その概念枠の擁護を絶対正義として私の問題意識を禁じたんでしょうに。*3



魚拓3】【魚拓4

当時の私の問題提起は、《当事者》概念に苦しむ自分の境遇をまさに脱構築的に問題にしていたわけです。それを頭ごなしに禁じた人間が口先で「デリダ」などと口にしてドヤ顔する醜悪さ。


以上の斎藤氏の発言に私が気づいたのは、こちらの𝕏ポストと、
こちらのTogetterまとめからでした。

posfie.com

瀧波ユカリ氏の昨今の言動を擁護するつもりは全くありませんが、「オープンダイアローグ(開かれた対話)」の権威者として斎藤環氏を参照するのであれば、せめて私が粛清された経緯には言及してほしいです。《当事者》概念に固執して粛清劇をやらかした斎藤氏は、瀧波氏とそれほど遠いところにはいないはず。

そもそも斎藤氏は アール・ブリュット(素人や患者さんの美術作品)について批評の禁止を言ってしまってる。この「批評を禁止せよ」という命令そのものが批評ですから、彼は患者さんの作品をめぐって「批評してよいのは自分だけだ」という独裁を要求しているわけです。そして患者さん(の言説≒作品)は、対話的批評から差別的に排除されている。「ひきこもり当事者」という患者ポジションにいた私とのやり取りは、彼の独裁的批評に接待してあげるだけのものが期待されていた。そこで《当事者》概念の脱構築固執した私は、彼の批評≒臨床態度の根本的土台をゆるがし矛盾を突くことになり、激怒を招くことになった。その激怒こそが彼の《批評》だったわけで――そこに "開かれた対話" はありません。


臨床活動「オープンダイアローグ」の参照元のひとつであるミハイル・バフチン(1895年~1975年)は旧ソ連の論者で、彼の主要モチーフ《対話》にはスターリン時代への批判が含まれることは伺えるのですが、では彼の対話概念に問題がないのかと言えばそこはまた検証が必要なはず*4。日本では1980年代後半に左派のあいだでバフチンが流行しましたが*5、口先で《対話》を標榜する左派集団が対話とは程遠い思想体質をもつことは特にここ十数年でさんざん露呈しているでしょう。左派は基本的に、口先で言ってる美しい概念と、その人自身の実態とが真逆なのです。

《対話》をスローガンにするのはもう40年くらい前から左派の定番であり、その対話概念をめぐる解釈をめぐってまた党派闘争(内ゲバ)が起きたりもするわけで――掲げられた美しい概念をアリバイにすることには何の保証もありません。


*1:このスクショでも分かりますが、私は斎藤環氏から𝕏でブロックされています。

*2:その往復書簡を読むためには2006年~2008年当時の『ビッグイシュー』50冊以上(斎藤氏の論稿だけでも28冊)を購入せねばならず、実質的に無理な状態です。当時のやり取りを公共財として共有し検証する機会を、彼は許さなかった。結論ありきの絶対的禁止を突きつけたわけです。

*3:それは《プロレタリア》擁護を暴力の根拠とした左派の伝統に連なるものであり、瀧波ユカリ氏による《女性≒弱者》擁護とも近いものでしょう。

*4:《対話》という概念を振りかざすことそのものが非対話的な全体主義であり得る。むしろ検討すべきは、対話概念に避けがたくまとわりつくダブルスタンダードの(回避の)技法でしょう。私が形式的禁止を必要としたのはこの辺りの事情です。際限なき対話への忍耐は破綻するしかない。

*5:私自身が当時『バフチン: 対話そして解放の笑い』等を通じてバフチンにハマり、「対話」「カーニバル」といった概念に惹かれたのですが、徐々にその抑圧性に気づいていった、という経緯です。