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2024年12月に作成された投稿

2024年12月31日

2024年も今日でおしまいということで

本当に早いもので、2024年も今日でおしまいである。20歳の頃の 1年はそれまで送ってきた人生の 20分の 1だったが、70歳を過ぎると 70分の 1以下になってしまうので、時の経つのが体感的に早く感じてしまうのは無理もない。今日はあっという間の 1年を振り返ってみよう。

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今年、何と言っても驚いたのは元日早々の能登半島地震である。地震の発生は元日の午後 4時過ぎだったが、能登から遠く離れたつくばの我が家もかなりグラグラ揺れたのを覚えている(参照)。

この地震でにわかに湧き上がったのが「ボランティア迷惑論」というものだった。震災直後に馳知事が「今、ボランティアに来られても困る」みたいな発言をし、これが後々まで尾を引いたのか、この能登半島地震復興のためのボランティアの人数は妙に少ないままで推移しているようだ。

私自身は、これに関しては国と県の対応がちょっとまずかったんじゃないかと思っている。この件に関しては次の記事が参考になりそうだ。

まあ、馳知事はプロレスラー時代も変に内向きで名勝負を作れない人だったしね。

そして夏には我が故郷、酒田市の大沢地区が豪雨に見舞われ、大きな被害が出た。酒田というところは冬の地吹雪を除けば気候の穏やかなところなので、こんなひどい災害は珍しい。酒田在住の阿部彩人さんが復興状況をレポートしてくれている(参照)が、まだまだこれからだ。

地震や大雨に比べれば「ささやかな災害」だが、今年は花粉の飛び方もヒドかった。何しろ 1月中にスギ花粉のアレルギー症状が出てしまい(参照)、さらに温暖化でいつまでも冬にならない(参照)ので、つい最近までいろいろな花粉アレルギーに悩まされた。「ささやか」とはいえ、個人的にはかなり参った。

トピックとしては、大相撲八角部屋の五月場所打ち上げの宴会に紛れ込ませてもらうという珍しい体験をした(参照)。酒田市出身の北の若は、辛うじて幕内に踏みとどまっているようだが、あの立派な体格なのだからもっと活躍してもらいたいものだ。

もう一つ、イーロン・マスクの X (Twitter )に嫌気が差してしまい、新規 SNS として TreadsBluesky を試し始めた。個人的には日本でも Bluesky のユーザーが増えることを期待している(参照)。

このほかにもいろいろ書いているうちに今年も終わる。うるう年だから、なんだかんだでこの記事を含めて 366本書いたわけだね。来年も変わらず書き続けるつもりなので、なにぶんよろしく。

よいお年を。

 

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2024年12月30日

「正念場」という言葉の深い意味

朝のラジオ・ニュースで、「石破内閣は、年明けにはいよいよ正念場を迎えることになりそうです」と言っていた。この「正念場」というのは政治の世界の典型的な決まり文句で、政治家たちって年がら年中いろいろな「正念場」を迎えているようだ。そんなに「正念」なんてものがありそうに見えないのだが。

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そもそも「正念場」というのは、元々は芝居の世界の言葉だった。辞書にもこんなようにあるし、添えられた写真も歌舞伎座だ。

  1. 歌舞伎・人形浄瑠璃などで、1曲・1場の最も大切な見せ場。性根場(しょうねば)。
  2. 真価を表すべき最も大事なところ。ここぞという大切な場面。「交渉は―を迎える」

歌舞伎や人形浄瑠璃などの「正念場」というのは「性念場」や「性根場」とも言われ、本心を隠していた人物がいよいよの場面で究極の思いを明かす場面である。インターネットでは note 24 というサイトの「歌舞伎の楽しみ 〜性念場、性根場〜」には次のようにある。

「正念場」は歌舞伎で、主人公がその役の性根をどう表すのかはっきりわかる、言い換えれば、場面中の重要な箇所を指す。古くは性念場、正念場という文字も当てられている。「寺子屋」、「熊谷陣屋」、「盛綱陣屋」の首実検、「封印切」の忠兵衛が金の封を切るところ、主に場面の中核にある場合が多い。

ここに挙げられた "「寺子屋」、「熊谷陣屋」、「盛綱陣屋」の首実検、「封印切」の忠兵衛が金の封を切るところ" などは、まさに歌舞伎の見所である。下の写真は私の大好きな『熊谷陣屋』のまさに正念場。それぞれの説明は、上のリンク先にあるので、ここではくどくど触れない。

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「正念」という言葉をさらに辿れば、仏教の「八正道」(正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定)に行き着く。「正念」はその 7番目に当たり、Wikipedia では次のように説明されている。

正念(しょうねん, 巴: sammā-sati, 梵: samyak-smṛti)とは、四念処(身、受、心、法)に注意を向けて、常に今現在の内外の状況に気づいた状態(マインドフルネス)でいることが「正念」である。

語り出したらやたら難しいことになりそうなので、ここは深い哲学的真理から出た言葉ということで片付けておこう。

というわけで、政治の世界でしょっちゅう出てくるようなレベルの「正念場」というのは、「またか」と思っていればいいだけのようなのだ。

 

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2024年12月29日

今どき「万博」なんて言ってもねえ

大阪万博への関心が全然盛り上がっていないのだそうだ。チケットの前売りも惨憺たる様相で、目標 1,400万枚のうち半分ぐらいしか売れていないらしい(参照)。企業や団体などに押しつけ販売スレスレみたいなことをしてさえこれなんだろうから、不人気振りがわかる。

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記事には大阪府・市が万博への国内外の賓客を接遇する担当部署として「大阪儀典室」というのを設置して看板を掲げたとあるのだが、写真を見る限りではなんだか不祝儀っぽいイメージだよね。万博の葬儀が行われてしまいそうだ。

改めて調べてみると、大阪万博の会期は来年の 4月 13日から 10月 13日までの 半年間なんだそうで、あの暑い暑い夏が含まれる。誰も猛暑日の炎天下で行列なんか作りたくないよね。いや、不人気だから行列なんかできないか。

ただ、不人気の理由としてトップに挙げられるのは「暑い」なんてことじゃなく、「入場券が高すぎる」ということなのだそうだ。「1日券」というのが大人 7,000円で、開幕前日まで発売の「早割」でも 6,700円(参照)というのだから、確かに高い。もっとも私は 700円でも行かないけど。

そもそも、今どき「万博のパビリオンでナマの情報に触れる」なんて言っても、全然そそられない。何しろ「情報過多」と言われるほどの世の中なのだから、火星の石なんて眺めるために 7,000円払って炎天下で並ぼうという気には到底なれない。

同じ「大阪万博」と言っても、「月の石」を見るために大行列ができた 1970年とは時代が違うのだ。今回は結局のところ、近くに住んでいる人が、どこかから廻ってきたチケットを使って行ってみるという程度のものになるんじゃなかろうか。

ほぼ 40年前の「つくば科学万博」ってのも、入場者数だけはそこそこの記録になったが実態はそんなようなもので、近所の家族が遊戯施設で子どもを遊ばせて帰るという感じで、ほとんど「遊園地代わり」みたいだったなあ。人気パビリオンの行列に並ぼうなんて気には到底なれなかった。

最近の猛暑じゃ、なおさらというものだ。

 

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2024年12月28日

「おせち料理」なんかより「箱根駅伝」

東洋経済 ONLINE に【「おせちやお年玉は不要」 "仕分けた" 人たちの本音】という記事がある。「変わる年末年始…今後も "生き残る風習" は?」というサブタイトルの方をメインタイトルにする方がずっとわかりやすいと思うがなあ。

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この記事、今は年末年始の行事や習慣が過渡期にあるのではないかとして、都内在住の成人男女 100人を対象に緊急アンケートを実施したというものである。質問項目は、「年賀状、お歳暮、帰省、おせち料理、初詣、お年玉の "必要" or "不要" とその理由」で、結果はこんな数字になったという。

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ただいくら緊急アンケートでも、100人というのはまともな記事にするには少なすぎると思うのだが、行きがかり上、話を進めよう。

ざっと見ると「必要」が多数を占めたのは「初詣」ぐらいのもので、あとは全て「不要」が大きく上回っている。とくに「おせち料理」と「年賀状」に関しては「必要」が 1割以下で、惨憺たるものだ。

「おせち料理」に関しては子どもの頃、母が「正月に楽をするために、年末のうちにいろいろ作っておく」と言うのを聞き、「そのために年末にこんなにバタバタするのか?」と思った憶えがある。正月にフツーのメシの用意をする方がずっと楽だろう。

今は自分で作らずにスーパーで買ったり専門業者に届けてもらうもののようだが、いずれにしてもあまり意味を感じない。それから紙の年賀状は私も 2年前に止めていて、このブログ上で公開するだけにしている(参照)。

「お年玉」は子供たちが育ってしまい、孫もいないので上げる相手がいない。さらにだいぶ前に両親が亡くなり、実家も処分したので「帰省」する先もない。今はむしろ「帰省される」側だが、3人の娘たちはバラバラに顔を見せるだけなので、とくにどうと言うこともない。

というわけで、私にとっての正月行事と言ったら「初詣」ぐらいのものであると気付いた。これで物足りないとも淋しいとも感じない。いわゆる「年末年始の風物詩」みたいなものは、テレビ画面にしか存在しなくなっていくのかもしれない。

と、ここまで書いたところで「重要な正月行事」がまだあると、天啓のように気付いた。それは「箱根駅伝」の観戦である。

うむ、これ以上に大切なものはとりあえず思い浮かばない。私がテレビに釘付けになるのは、1年に 1度、これぐらいのものだからね。

 

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2024年12月27日

”Facebook” は既に ”Fakebook” になってしまった

Facebook を見ていると、時々右上にアヤシ過ぎるフェイクニュースにリンクする広告が出てくる。目立つのは「スキャンダル:日本放送が生放送での発言でタモリさんを起訴」といった類いのもので、うんざりするほど前から続いている。

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まったくもって、「"Facebook" は既に "Fakebook" になってしまった」と言いたくなるぐらいのものだ。こうしたフェイクニュースのダシに使われているのはタモリだけではなく、ユニクロの柳井会長とかキムタクとか、枚挙にいとまがない。

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私はこんなアヤシい広告はずっと素通りしてきたが、先日試しにクリックしてみた。すると、タモリが『徹子の部屋』に登場した時に、口を滑らせてとんでもないことを電波に乗せてしまったという話が表示されたのだった。

今となっては、その画面をスクリーンショットに収めておけばよかったと悔やまれてしまう。今度こそとばかり、同じようなフェイク広告が表示されるのを待ち構えているのだが、そうなると逆になかなか表示されないものなのだね。

残っている記憶で言えば、タモリが番組撮影中にカメラが廻っていないと勘違いしてとんでもない情報を口走ったため、全国に流れてしまったというような話だった。

3万 9千円なにがしを出資するだけで、後はソファで寝ている間にもどんどん増えて、あっという間に何十万円とか何百万円とかいう金額になってしまうというのである。キムタクがダシに使われたフェイクニュースも、同じようなストーリーらしい。

こんなのフツーに読めばデタラメというのが見え見えなのに、欺されやすい人というのは見事なまでにきっちり欺されるものなのだね。自分もいい目を見たいとばかり素直に 3万 9千円なにがしどころか借金してまで投資を繰り返し、そっくり取られてしまうケースが後を絶たないようなのである(参照)。

で、Facebook 上のこんなフェイク広告がどうしていつまでもなくならないのかと言えば、サイトの管理会社と広告出資会社がツルんでるからという説まであるらしい(参照)。

まあ、それが本当かどうかなんてことはどうせ水掛け論になるだけだからどうでもいいので、要するにユーザーとしては Facebook 上の広告はフェイクばかりでまったく信用できないという情報を広めてしまえばいい。そうすれば困るのは Facebook 自身だから、そのうちなんとか対策するだろう。

というわけで、今日のタイトルは敢えてセンセーショナルなものにさせてもらった。悪しからず。

 

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2024年12月26日

「豚殺し/ロマンス詐偽」ー 中身は同じというお話

Gigazine が "インターポールが国際恋愛詐欺を「豚殺し」から「ロマンティックベイティング」に言い換えるようにと呼びかけ、「ブタ」はさすがに被害者への配慮に欠ける" と伝えている。「インターポール」(INTERPOL)というのは「国際刑事警察機構」のこと(念のため)。

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中国発の国際恋愛詐欺が「豚殺し」と呼ばれるようになったのは、詐欺師たちが実際に被害者を「豚」と呼んでいるからで、記事には次のようにある。

詐欺師は被害者に偽の愛情や友情を抱かせることで徐々に「太らせ」、その後、偽の仮想通貨に投資するよう説得することで「殺し」ます。

なるほど、確かに「豚」扱いだ。ちなみにこの記事の元記事は、【Interpol replaces dehumanizing "Pig Butchering" term with "Romance Baiting"】というもの。Pig Butchering" (豚の屠殺)とあって、これを「豚殺し」と訳すのは OK だろう。

しかし "Romance Baiting" の方は、どうしてわざわざ「ロマンティックベイティング」なんて舌を噛みそうな言い方に変えたんだろう。同じカタカナにするなら、まんまの「ロマンス・ベイティング」の方がずっと言いやすいのに。

"Baiting" の原型 "bait" は「餌でおびき寄せる」というような意味(参照)で、そこから発展して "baiter" は「詐欺師/ペテン師」という意味にもなる(参照)。つまり "Romance Baiting" は「ロマンスでペテンにかけること」ということだ。

だったら私なら素直に「ロマンス詐偽」と訳すがなあ。この方がずっとわかりやすいだろうに。Gigazine の記事には変てこな翻訳が多いというのは既に書いている(参照)が、今回のこれもちょっとした疑問である。

最後に余談だが、ふと "「ペテン」の語源は英語の「ベイティング」" なんていうでまかせを、来年のエイプリルフール・ネタにしようかと考えてしまったよ。語感が似ていて、一見かなりもっともらしいし。

試しにググって見たところ、今のところそんな説は見当たらないから、ほぼ完全にオリジナル・ネタである。ただ残念なことに、話として面白くもなんともなくて、どう考えてもウケそうにない。

やっぱり、ボツにしとこう。

 

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2024年12月25日

2本のブログで 「21年連続毎日更新」を達成

Merry Christmas!  ということは毎年恒例ながら、このブログの毎日更新の記録が 1年延びたということである。今日で「21年連続毎日更新」となり、しかももう 1本の方の『和歌ログ』は今月 2日で既に 21年連続更新を達成している(参照)ので、2本のブログで 21年連続毎日更新ということになる。

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こうして 21年もシコシコと 2本のブログを一日も欠かさず更新し続けていられるのは、ひとえに「健康だから」ということに尽きる。

18歳の時に盲腸炎の手術で入院して以来、寝込んで起きられなくなったり入院したりするような病気に一度もかかっていないというのは、本当にありがたいことだ。盲腸で入院した時だって、基本的にはピンピンしていたしね。

自分自身を含む世界に感謝である。ここで、記念の都々逸。

「🎵 金にもならぬ二本のブログ

二十一年書く阿呆」

(ツントシャン)

それにしても私は、「金にもならない」ことが好きみたいなのである。金のために始めたのだとしたらもっと効率的なことを考えるだろうから、こんなに長くは続かなかっただろう。

というわけで、今後ともよろしく。

 

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2024年12月24日

クリスマス・プレゼントと靴下

今夜はクリスマス・イブで、世界中の多くの子供たちがサンタクロースからのプレゼントを楽しみにしながら、ベッドサイドに靴下を吊して眠りに就く。

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ただ、どうしてクリスマス・プレゼントを受け取るのに靴下が付きものになったのか、恥ずかしながら私はこの年になるまで知らなかった。それで今さらながらネットでググってみたところ、その理由は案外よく知られた話のようなのだね。

ナイガイの「靴下雑学」というサイトでは、サンタクロース伝説の元になった聖ニクラウスのこんな説話から生まれたと紹介されている(参照)。

ある一家が、あまりの生活の苦しさに、娘 3人を過酷な仕事に出すという話を聞きつけた聖ニクラウスは、たいそう同情し、夜中に煙突から娘たちへの贈り物として金貨をつぎつぎに投げ込んでやった。すると金貨は、たまたま暖炉に干してあった靴下の中に入ってしまった。

翌朝、一家は靴下の中の金貨に気付き、おかげで 3人の娘は幸せな結婚ができたという。

というわけで、クリスマス・プレゼントは靴下に入れてもらうという慣例になったようなのだが、それって実際には小さな子ども時代だけだよね。ある程度の年頃になったら、靴下になんか入らないような大きさのものを欲しがるようになるし。

ちなみに JD McPherson というシンガー・ソングライターの曲に ”Socks” というのがある。

詞の内容は、クリスマスの朝に目覚めたらプレゼントは「靴下」だったというもので、「こんなの、一番ヒドいプレゼントだよ!」「包み紙がムダ過ぎる!」と嘆く。ナイガイさん、せっかくいい知識を提供してくれたのに、こんな曲の紹介でゴメンね。

とはいえ、曲としてはなかなかクールなソウル・ミュージックだし、プレゼントの受け皿としてとはいえ、それで靴下が売れるのだから、ナイガイさんにも勘弁してもらおう。

それでは、よいクリスマスを!

 

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2024年12月23日

菊の花を食うなんて当たり前のことだったのだが・・・

Dauly Portal Z に「菊の花はうまい」という記事がある。少なからぬ日本人にとっては、菊の花がごくフツーの食卓のメニューだなんて驚きのようなのだが、新潟、山形、秋田県辺りで生まれた者にとっては、とくにコメントするのも何だかなあというほどの当たり前すぎる話なのである。

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今を去ること半世紀以上前、大学進学で東京暮らしとなって初めての冬を迎えた頃、「へぇ!」と改めて気付いたことが 2つある。1つめは「東京の冬は晴れが多い」ということ、そして 2つめは「菊の花を食う文化がない」ということである。

冬空については 12月中旬のある日、友人に「あんまり晴れの日が続くんで、冬とは気付かなかったよ」と言ったところ、「冬って、晴れるもんでしょ」とあっさり返されてしまったのがかなりの驚きだった。「そうか、日本海側の庄内とは気候が違うんだ!」と、身にしみてわかった瞬間だった。

それまでの私の冬のイメージと言えば、空は分厚い雪雲に覆われて地吹雪が続く灰色の世界だった。ところが関東の冬は同じ日本の国ながらまったく別物で、「そうか、これだから『初日の出』を拝むなんて夢みたいなことができるわけだ!」と初めて気付いたのだった。

そしてもう一つは「菊を食わない」ということだ。季節を感じさせる菊の花の酢の物を、東京では学食や町の定食屋はもちろん、どこに行っても食えなかったのである。

時々、テレビのニュースなどで「山形県では季節の風物詩、菊の花が食卓に並んでいます」などと放送されると、廻りでは「へえ! 菊の花を食べるの !?」と驚くのだが、こちらにとっては当たり前すぎて、食わない方が驚きというぐらいのものだった。

とくに「菊の花が大好き」というわけでも何でもないのだが、食えないとなるとどことなく淋しいものである。人間というのは、「ないものねだり」を習性としているのかもしれない。

今年はコロナ騒動が収まってあちこちに出張する機会が増え、先日は新潟に行って、何年ぶりかで菊の花の酢和えを食べさせてもらった。「おぉ、これこれ、これですよ!」という感じだったなあ。

久し振りに口に入れると、「うまい」というより「懐かしい、嬉しい」という感覚の方が大きいものなのだね。

 

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2024年12月22日

ホテル代が本当に高くなってしまった

出張族が悲鳴! 都内ホテル「1万円の壁」どころか2万円台へ なぜこんなことになるのか」という記事がある。本当に最近はホテル代が高くなってしまい、コロナ警戒の時期が終わってまた出張が増えてきた私としてもかなり困っている。

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都内のビジネスホテルの平均的な宿泊代は、2022年末に 1万円を突破し、今年 11月には 1万8000円ほどになっているという。コロナ以前のほぼ倍だ。関東住まいの私は都内のホテルに泊まる機会も必要性もほとんどないが、京都あたりも東京とほぼ同じぐらいの水準になっている。

以前は関西方面に出張する時は京都のホテルに泊まり、1泊 2日の 2日目の空いた時間に古都のあちこちを歩いてから帰路につくのが楽しみだった。しかし最近は京都で 1万円以下のホテルなんて嵯峨野のはずれあたりまで行かないと見つからないから、交通手段的にちょっとね。

大阪府の南部、堺市近辺が目的の場合でも、大阪市内の中心部のホテルはやたら高いのでちまちま乗り換えをして新大阪まで戻り、安めのホテルに泊まることになる。そこからさらに西に足を伸ばして 2泊 3日になるような場合は、帰りは姫路あたりで降りないと 1泊 1万円以下のホテルが見つからない。

こうしたホテル代急騰の原因は、やはり「インバウンド客の増加」ということらしい。私は外国人観光客の多いホテルは値段がそれなりに高いので敬遠し、もっと安いホテルしか利用しないが、ある程度のランクのホテルに泊まる知り合いに聞くと、やはり外国人の比率がずいぶん高くなっているらしい。

彼らの多くは「西洋人はたいてい静かだけど、中国人のグループは夜中までうるさいことが多いから要注意だよ」と言う。私は幸いにしてそんなケースに遭遇したことがないが、これはどうやら安ホテルばかり選んでいるからに違いない。

ちなみに、年末は日本人も外国人も観光や出張どころじゃないようで、ホテル需要が下がるようだ。そのため値段も落ちついてるので、東京や京都で観光したかったら 12月の 18〜22日頃が狙い目だ。今となっては遅すぎる情報だが、来年の参考までに。

もっとも、年末はみんな忙しくてなかなかそんなわけに行かないだろうし、クリスマス以後はまた高くなるだろうから、ほんの一瞬みたいなチャンスでしかないのだが。

16日の記事(参照)で書いたように、昔みたいな「ホーボーの旅」をしてしまえばホテルなんかに泊まらずに済むのだが、仕事上の出張ともなるとなかなかそういうわけにもいかないのが鬱陶しいよね。

 

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2024年12月21日

「ホ—ボーズ・コンサート」というのが開かれる

今月 16日の "高級ブランドの「ホーボーバッグ」を巡る冒険" という記事で思いっきり「ホーボー」を論じたばかりだが、明後日 24日から 30日まで、池袋の「シアターグリーン」で「ホ—ボーズ・コンサート」というのが開かれるんだそうだ。

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この情報、ちっとも知らなかったなあ。もっと早く知っていれば、この期間中に予定なんか入れなかったのに。何しろフツーの会社員と違って、この時期ってちょっと変わった仕事の入ることがあるのだ。

とくに行きたいのは 12月 27日の林亭と中川五郎、シバくんの出る回なのだが、この日は生憎外せない用が入ってしまってる。ほかの日もポツポツ予定があって無理なのだよ。

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ああ、本当に本当にもっと早く知りたかった。16日にあれだけの「ホーボー讃歌」ともいうべき記事を書いてしまった身としては、同じ書くならこのコンサートと関連付けて書きたいところだった。

それにしても 80年代の馬鹿馬鹿しい「バブル期」を境に忘れ去られていたホーボー・シンパシーが、50年振りに今の世の中で復活しつつあるような気がする。こうした動きが継続されたら、日本の音楽界にも一本の芯が通るというものだ。踊ってる場合じゃないよ。

この情報の詳しい話は、現代ビジネスの 12月 20日付 "「1974年の池袋」で開催されていた伝説のフォークコンサートがついに復活…50年ぶりに「込めた思い」" という記事をどうぞ。(私もこの記事で初めて知ったのだよね)

 

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2024年12月20日

10年に 1度レベルの「年末寒波」が来るんだそうだ

近頃めっきり冷え込むようになった。いつもの冬とそれほど変わらないのにこんなに寒く感じるのは、夏からあっという間に冬になったような感があり、秋が極端に短かかったので、体が徐々に涼しさと寒さに慣れるための余裕期間がなかったからかもしれない。

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何しろつくば周辺は 10月中旬まで最高気温 30℃ 以上の「真夏日」があり、11月になってからも 25℃ 以上の「夏日」が繰り返されていた。そんなわけで、十分な秋を味わう間もないうちに 11月下旬から急に冬になってしまったのである。

私は 11月 19日付の「和歌ログ」で、「輝けど高く登らぬ日の下でにどさくさ紛れの冬は来にけり」なんていう歌を詠んでいる。いつまでも夏のような暑さだったのに、だまし討ちみたいな寒さがやってきたというわけで、結構ムカつきながら詠んだ気分が伝わってしまいそうだ。

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そして年末の 12月 28日以後は 10年に 1度というレベルの「年末寒波」が襲ってくるのだという(参照)。やれやれ、ただでさえ朝にベッドから抜け出すのにちょっとした決心が要るようになったというのに、年末からはそれ以上の大決心が求められるというわけだ。

私はいつも「これは『温暖化』というより『極端化』だ」と言っているのだが、それがますます実感される。人類が灼熱の地球から脱出して安住の地を見出すまでにはまだまだ長〜い時間がかかるだろうから、自然破壊をくい止めないとかなり近いうちに大変なことになってしまいそうでコワい。

私もまだまだ生きてしまいそうだから、他人事じゃない。

 

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2024年12月19日

「忠臣蔵」を知らないのは、今の学生だけじゃない

図書館でボドゲやる人という方が、今の学生は「忠臣蔵」も、お岩さんとお菊さんも知らないということに驚いて tweet されている(参照)。

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ただ、「忠臣蔵」を知らないのは決して今の学生だけではないと思う。大学で歌舞伎論なんて専攻した私はさすがに「忠臣蔵」にはやたら詳しいが、私の同年代(70歳前後)でも「忠臣蔵」関連の知識は驚くほど薄い。せいぜい江戸時代の敵討ちの話という程度にしか知らないんじゃなかろうか。

お岩さんとお菊さんとなると、「恨めしや伊右衛門殿〜」(四谷怪談)がお岩さんで、皿を「一枚〜、二枚〜」(皿屋敷)と数えるのがお菊さんと迷わず言える人は多分半数以下だ。そして「皿屋敷」には播州版と番町版といったバージョンがあると知っている人はもっと少ない。

さらに言ってしまうと、鶴屋南北の『東海道四谷怪談』という外題は、お岩さんのお話が「忠臣蔵」と関係があるのだよということを暗示している(参照)。というわけで、忠臣蔵とお岩さんが関連付いたところで本題に入ろう。

5日前の 12月 14日が「忠臣蔵の討ち入りの日」だったいうのは、今や常識とも言えなくなった。しかし私より上の世代にとっては当たり前の知識のようで、「山鹿流陣太鼓」というキーワードとともに知っていなければ、三波春夫の「俵星玄蕃」などはチンプンカンプンだろう。

私はこのブログの 5日前の「マルチタスクよりシングルタスクの方が、仕事がはかどる」という記事に、読む人の半分以上が「はぁ?」になってしまうかもしれないとは重々承知しつつも、こんなことを書いている。

ところで今日 12月 14日は「忠臣蔵討ち入り」の日だが、歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』を見ると、途中で勘平が切腹したり、お軽のいる祇園一力茶屋で大星由良助が酔い潰れてみたりと、討ち入りとは直接関係のない筋が盛りだくさんで結構な「マルチタスク」である。

「忠臣蔵」のサイドストーリーである「お軽勘平」のくだりなんてことになると、私の同年代の連中に聞いてもほとんど知らないと思う。知っているのは歌舞伎ファンぐらいのものだ。

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そもそも「大星由良助」にしても、「何それ? 大石内蔵助の間違いでしょ!」と言われてしまいそうだ。ただこれ、歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』では「大星由良助」ということになっていて、 詳しくは 14年前の "物語としての「忠臣蔵」と、史実としての「赤穂事件」" という記事で触れてある。

これは歌舞伎や文楽が大きな庶民娯楽であった江戸時代に、コンテンポラリーな事件をそのまま芝居にすることは御法度だったことによる。だから、元禄の御代にあった赤穂浪士の討ち入り事件を、「いえいえ、これは太平記の時代のお話です」という建て前で演じたのだ。

というわけで、「浅野内匠頭」と「吉良上野介」も、歌舞伎ではそれぞれ「塩冶判官」(えんやはんがん)と「高師直」(こうのもろなお)という『太平記』に登場する人物の名前で登場することになっている。

というわけで、歌舞伎を楽しむためには、このあたりの基礎知識(昔は「常識」だったのだが)が必要になってくる。今の学生ばかりでなく、オジサン、オバサンにしても歌舞伎座に行く前に「予習」が必要になってしまうのだ。

冒頭で紹介した tweet の続きには「年末の風物詩『忠臣蔵』は、この先、歴史や文学を学ぶ人しかしらない専門知識となっていくのだろうか」とあるが、それに「歌舞伎ファン」を加えれば残念ながら「その通り」だと思う。

 

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2024年12月18日

”mixi2” という SNS へのちょっとした違和感

狂い咲きのような "mixi2" の話題に驚いている。もしかしたら 40代の人たちには懐かしさとともに歓迎されているのかもしれないが、70歳を過ぎてしまっている私には、ちょっとした違和感だなあ。

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IT Media News では "「mixi2」は、X 移住先の本命か? mixi 古参ユーザーもどっぷりハマった、久しぶりの「平和な SNS」" というタイトルで紹介されている。「X 移住先」というのは何だか違うような気がするし、「平和な SNS」というのも不思議な表現である。

旧 mixi の方は、たまたま招待してもらったのを機会に「ものは試し」と会員になったことがあるが、その雰囲気にまったく馴染めず、完全放置していた。それに関してはリアルタイムの 17年も前(2007年 7月)に「mixi と MySpace の違い」という記事で触れている。

ちなみに "MySpace" (参照 1参照 2)なんて、誰も憶えていないんじゃなかろうか。今は昔、2000年代には世界最大の SNS と言われていたサービスだが、いつの間にか Facebook に圧倒されて、日本語版は消滅してしまったようなのだ。

というわけで、"mixi" は Facebook 以前のいにしえの世界のサービスなので、そのあたりの感覚は d menu ニュースの【『mixi2』トレンド入りで、『mixi』にログインするユーザー続出 "黒歴史" 発掘に「アイタタ過ぎて速攻ログアウト」】 という記事で笑える。

"mixi2" のニュースで「旧mixi」 が懐かしくなったオジサンが久しぶりにログインして自分のつぶやきを読み返してみると、多くは「黒歴史しかなくてそっ閉じした」 なんてことになるらしい。今 40代の層が mixi やってたのは 17-8歳から20代前半の頃だろうから、「アイタタ」になるのは無理もない。

ちなみに私も試しに覗いてみようとしたのだが、Excel にメモしてあった ID とパスワードを入力してもログインできなかった。どうやらとっくに退会しちゃってたらしい。そんなこんなで、さすがに "mixi" とはまったく別物の "mixi2" にしなければ、今の世の中の SNS としては成立しにくいのだろう。

"mixi2" もログインしないと見られないクローズドなシステムで、参加するには既にアカウントを持っている知り合いからの招待を受けなければならないという建て前である。しかし X などに公開されている招待状もやたら多い(参照)から、「なんちゃって招待制」だよね。

とはいえよくわからない公開招待に乗っかって後で面倒なことにならないよう、ちゃんとした招待があるまでは「試しに覗いてみる」なんて必要もなさそうだ。

 

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2024年12月17日

「ドルチャメンテ・ゴチャメンテ」を知らないの?

はてな匿名ダイアリーに「三大、なんかイタリアっぽい言葉」というタイトルの書き込みがあり、"ハルミジャーノレッジャーノ/ソーセージマルメターノ/竹原慎二「じゃあの」" の 3つが挙げられ、「あとひとつは?」(4つ目ってこと?)と問われている。しかしぱっとした回答がないのだ(参照)。

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私は即座に「ドルチャメンテ・ゴチャメンテ」があるじゃないかと思ってしまったよ。それから「トルナラトッテミーヨ」ね。今の若いモンは、藤村有弘を知らないのだろうか。あの伝説の『ひょっこりひょうたん島』のドン・ガバチョの声を務め、わずか 48歳にして早逝したコメディアンだ。

下に紹介するビデオで、中国語、ロシア語、フランス語の次に披露されるのが、かの有名なイタリア語の「ドルチャメンテ・ゴチャメンテ」である。

彼の「デタラメ外国語」は、トニー谷の「レディース・アンド・ジェントルメン、オトッツァン・オッカサン、グッドアフタヌーン・おこんにちは」の「トニングリッシュ」とはまったく別の系譜で、軽薄さではなく軽妙さを強調したものだ。その系譜はタモリの「四ヶ国対抗麻雀」にまで連なっている。

この二人の至芸をリアルタイムで楽しめた私の世代は、かなり幸運だった。最近のタモリって、このあたりのゾーンを卒業しちゃった感があるものね。

 

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2024年12月16日

高級ブランドの「ホーボーバッグ」を巡る冒険

「ホーボー」という言葉を御存知だろうか。今世紀初頭の米国の大不況時代、身一つで方々を渡り歩いた浮浪者である(参照)。かのボブ・ディランの崇めるウディ・ガスリーもその一人だった。ということは、ボブ・ディランを崇める私にとっても、ホーボーは思い入れの強い存在である。

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1970年代を貧乏学生として過ごした私は、夏になればホーボー気取りでバッグ一つ担いで日本中を旅していた。まともな宿泊施設には泊まらず、夜になればドヤか駅の構内でゴロ寝の旅だったので、ある時期から終電以後に駅のシャッターが閉じられて入れなくなったのは、かなりダメージだったなあ。

で、先日「ホーボー」について何か書こうとしていい画像はないかとググってみたところ、出てくるのは何だか知らないがブランド品のバッグばかり(参照)で驚いてしまった。ああいうの「ホーボーバッグ」というと知って、さらにひっくり返るほど驚いた。

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なるほど、今の時代の「ホーボーバッグ」というのは、上の写真のホーボーが棒っきれにかけて担いでいるバッグと形状的には似ていなくもない。しかしだからといって、妙に着飾った女性が腕にぶら下げるバッグを「ホーボーバッグ」と称するのは、大変な違和感である。不愉快と言ってもいい。

ご覧のように、クロエには 49万円以上もするものがある。こんなものを買って「どう、私のホーボーバッグ?」なんて言うのは、私の感覚からすると「恥知らず」というものである。

調べてみると、Vogue は 2019年 7月に "Why We Need To Rethink The Term Hobo Bag" (どうしてホーボーバッグという言葉を考え直さなければならないのか)という記事を発表している。(Vogue Japan の翻訳版は "ホーボーバッグ」は差別用語? 問われるファッションの倫理観" )

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この記事は「ファッション・グッズに『ホーボー』という差別的な言葉を使うこと」に関して問題提起している。ただ記事中では実際のホームレス俳優のコメントも紹介してそのアイデンティティを尊重しているようにも見えるものの、基本的には「ホーボーは蔑称」という「上から目線」が見え隠れする。

しかし私の発想はそれとは逆だ。ホーボーにシンパシーのない連中が軽々しくその名を使うのは、むしろ「ホーボーに対して失礼」と感じるのである。要するに「クロエのバッグなんて買う連中に、ホーボーの美学がわかってたまるか!」ってことだ。私は昔からアンチ・エスタブリッシュメントなものでね。

というわけで、締めくくりの口直しとしてウディの息子、アーロ・ガスリーの "Hobo's Lullaby(ホーボーの子守歌)" をどうぞ。

とりあえず 1番の歌詞だけ訳しておくのでよろしく。

お眠り 疲れ果てたホーボー
街々がゆっくりと行き過ぎるにまかせて
線路のハミングが聞こえるだろう
それがホ—ボーズ・ララバイさ

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【同日 追記】

「ホーボー」と言ったら、やはりボブ・ディランの "Only A Hobo" を取り上げないわけに行かないと気付いた。高石友也とロッド・スチュワートのカバーも添えておく。

道端で一人のホーボーが倒れて死んでいたのを見て、"Only a hobo, but one more is gone" (たかが一人のホーボーだが、さらにもうひとつ失われた)と歌ったのは、さすがボブ・ディラン。それを「労務者とは云え」と訳したのも名訳だ。

【12月 21日 追記】

ことのついでに、本日付の "「ホ—ボーズ・コンサート」というのが開かれる" という記事もご覧いただければ幸いだ。

 

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2024年12月15日

幼児が何度も何度も同じ昔話を聞きたがるのは

ナゾロジーというサイトの "なぜ子供は「同じお話」を何度も見たがるのかを認知科学が解明" という記事がおもしろい。私も昔、3人の娘たちにせがまれて、同じ絵本を何度も何度も読み聞かせしてやったことがあるもので。

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子供たちおなじ絵本を何度も読んでもらいたがったり、同じ昔話を何度も聞きたがるのは、どうやらわけあってのことらしい。記事には「近年の研究では、この子供たちの不思議な習性が認知科学的に非常に理にかなっている行動であり「健全」な欲求であることが示されています」とある。

繰り返し同じ話に触れることは、まず「幼児の脳内にパターン形成を促す」という効果があるらしい。大人にとっては「ありふれたこと」でも、幼児にとってはまったく新しいことなので、例えば『桃太郎』のお話でも一度聞いただけでは全部を把握し、理解することは難しい。

そこで何度も何度も聞き直し、その度に新しい発見があり理解が深まる。「理解の深みが増す」という経験は人間にとっての大きな快感だが、幼い子達は同じ話を聞く度にその快感を味わえるのだ。さらに「ヒーローごっこ」などによっても、幼児は新しい発見を積み重ねることができるという。

記事にはまた、「子供が何度も同じ物語を見たがる背景には、将来に備えて脳を発達させたいと願う攻めの姿勢に加えて、安らぎを得たいという心理も同時に含まれているのです」とある。なるほど、なかなか馬鹿にできない心理的メカニズムだ。

こうした感覚は、大人になってからもまったく消えるわけではないようだ。私なんぞは古いビデオで植木等の「お呼びでない」を見る度に、曰く言いがたい懐かしさと快感に満たされる。これぞ「定番ギャグ」の力というものだが、昔懐かしい CM などにも似たような力がある。

こうしてみると我が家の娘たちの幼い頃、何度も何度も同じ絵本を読み聞かせたり、庄内の昔話を語ったりしていたのは、全く無駄ではなかったようなのだ。少なくとも、やらなかったよりはずっと豊かな心の持ち主に育ってくれているのだろう。

今現在、幼い子を育てているという読者は、プッツンしたりせずに何度も何度も読み聞かせしてあげることを厭わない方がいい。

 

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2024年12月14日

マルチタスクよりシングルタスクの方が、仕事がはかどる

「学び続けるビジネスパーソンへ」というサブタイトルのついた "STUDY HACKER" というサイトに「仕事が多すぎて終わらない人が知らない "マニャーナの法則"|残業激減、逆転の仕事術」というページがある。「マルチタスクは逆効果」という話だ。

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これは柴田香織さんという方の記事で、次のようにある。

「マルチタスクで仕事をこなそう」というその発想自体が、実は仕事が終わらない原因かもしれません。本記事では、効率的な仕事の進め方に悩む方に、意外な解決方法をご紹介します。それは、「明日できることは今日やらない」という逆説的な対処法です。

人間の脳は複数の仕事を同時に処理できないらしい。明治大学の堀田秀吾教授は「私たちが『複数の仕事を同時に行っている』と感じる時、実際には脳が高速で仕事を切り替えているだけ」と言っているという。

「シングル・タスク」をどんどんこなすために「明日できることを今日やらない」ことを、この記事では「マニャーナの法則」と称している。なるほど、言い得て妙だ。

これはまさに実感で、私も経験上「複数の仕事の同時進行」は避けるようになっている。「明日以降でもいい仕事」を今日やろうなんて思わず、とにかく「ギリギリ差し迫った仕事」に集中してどんどん仕上げていく方が効率的だ。仕事をするに当たっては、「集中力」に勝るものはない。

ちなみにこの集中力が途切れてしまうのは、一人で仕事をしている時に玄関のピンポンが鳴って「宅急便です〜」なんて声がかかった時などである。あるいは妻が高いところにしまってあるものを「ごめん、取ってくれる〜?」なんて言い出した時も「軽くプッツン」だ。

在宅で仕事をするフリー・ライターならではの悩みなのかもしれないが、このプッツンから回復して再び集中するまでには、結構な時間的ロスが生じる。会社で仕事をする人にとっては「突然のどうでもいい電話」なんかがこれに当たるかもしれない。

このロスをなくすために、集中力の必要な仕事に取りかかる前には、仕事を遮りそうな要因をできるだけ減らす。途中で邪魔になりそうな細かいことは前もって仕上げておく方がいい。

これに結構な時間を取られてしまうのが悩みの種ではあるのだが、それでも後から降りかかってきて面倒になるよりはずっとマシだ。それが叶わない時の奥の手は、MacBook 持参でコーヒーショップなどに避難することである。雑事から離れて「短期集中」でこなすことができる。

ところで今日 12月 14日は「忠臣蔵討ち入り」の日だが、歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』を見ると、途中で勘平が切腹したり、お軽のいる祇園一力茶屋で大星由良助が酔い潰れてみたりと、討ち入りとは直接関係のない筋が盛りだくさんで結構な「マルチタスク」である。

エンタテインメントというのは仕事とは逆で、効率的にさくっと片付くよりも、いろいろなストーリーが錯綜する方が面白いのだね。来年 3月の歌舞伎座は注目だ。

 

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2024年12月13日

今年の漢字は 5度目の「金」だが、個人的には「外」

恒例の「今年の漢字」が京都清水寺で発表された。今年は「金」で、30年で 5度目なんだそうだ。パリ・オリンピックで日本が金メダルを多数獲得したことが理由の一つになっているという。

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それに加え、政治の「裏金問題」、金目当ての闇バイトなどが注目されたことによるというのだが、こちらの方はあまり褒められた金じゃない。

前回「金」が選ばれたのは 2021年で、この年もオリンピック(東京)が開かれていた。さらに遡ると、2016年(リオデジャネイロ)、2012年(ロンドン)、2000年(シドニー)と、21世紀になってからは 2004年(アテネ)と 2008年(北京)以外のオリンピック開催年は「金」という文字が選ばれている。

2004年は新潟中越地震などの災害が多かったので「災」、2008年はオバマ大統領の演説のキーワード「チェンジ」が話題を呼んだこともあって「変」が選ばれた。つまりオリンピック開催年はほかによほど大きなトピックでもない限り、「金」になってしまうようなのである。

というわけで日本人、オリンピックと金のコンビネーションがよほど好きみたいなのだ。このまま行ったら 4年ごとに「金」が繰り返されそうだから、そろそろ「殿堂入り」という名の「棚上げ」を考慮する方がよさそうだ。そうでないと、いろいろな字体で書かれる森清範貫主も大変だろう。

ちなみに 3年前の「金」の字はこんな具合だった(参照)。凡夫の目には今年の「金」よりずっと「金」に見える。

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ただ 3年前、記事のタイトルでも触れているように、個人的には「金」より「巣」の方がずっと相応しく思われた。コロナのせいでひたすら「巣ごもり」を強いられていたからね。

その意味で、今年は個人的には「外」という漢字である。巣ごもりの期間がようやく終わって、外に向かって扉が開かれた気がしているからだ。今年は久しぶりで北は宮城県、南は山口県まで旅ができた。それに外国人の姿も急に増えた気がするし。

来年はもっとあちこちに行けるだろう。旅好きとしてはかなり楽しみである。

 

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2024年12月12日

山形県酒田市のお恥ずかしい「うっかりニュース」

我が故郷、山形県酒田市のお恥ずかしいニュースが流れてしまった。「山形・酒田市職員の時間外手当 220人分の総額 503万円あまり未払い 2014年から 10年間」というのである。原因は給与計算システムの設定ミスというのだから、「やれやれ」と言うほかない。

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酒田市では職員の時間外勤務手当のうち、月に 60時間を超える分は割増率がさらに上がる規定になっているというのだが、この割増分が反映されないまま給料が支払われていたというのである。10年間の未払い分の総額は、220人分の 503万円になるとされている。

初めは「10年間にわたって誰も気付かなかったのか」と呆れそうになったが、よく考えれば 1人当たりの金額はごく僅かでしかなさそうだ。計算すると、10年間の 1人あたりの平均未払い額は、503万円÷220 で、2万 2000円あまりだが、1年あたりだと 2,200円ちょっとでしかない。

さらに 1月あたりだと 190円チョボチョボにしかならないから、給与明細を見ただけでは気付かないのも無理もない。少なくとも私なら絶対に気付かない。

酒田市側は 3年以上前の未払い分は時効になるから支払わないと言っているようだ。しかし職員側がもし徹底的にこだわるとすれば、給与計算システムを作った会社に損害賠償を請求することができると思う。

ただ結構な時間をかけて裁判に勝って賠償金を受け取るにしても、7年分の 1万 5000円ぐらいでは割に合わないよね。そんな裁判に労力を割かれるぐらいなら、来年の夏のボーナスにちょっとした「気持ち分」を反映してもらう方がまだマシだ。私ならそんな風に交渉すると思う。

いずれにしても酒田の人たちは、そんなことではあまりあくせくしないのかもしれない。産経新聞の記事に載っている山形県の地図を見ても、開いた口から溜息をついているだけみたいに見えてしまうしね。(ちなみに、目の位置が酒田市)

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2024年12月11日

和菓子、薬、滑舌訓練等々 ・・・ 「外郎」を巡る冒険

先日山口県の仕事の関係で山口県の防府市と徳山市に行った時に、長州土産として防府市にある數井製菓という会社の「山口乃外郎(やまぐちのういろう)」(参照)というのをいただいた。第20回全国菓子大博覧会で名誉金賞を受賞したというお菓子のようである。

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この和菓子、賞味期限が今月 15日に迫っているが、明日に予定される集まりに持って行ってみんなで食おうと思い、まだ包みを開けていない。というわけで、上の写真の左側 2枚は、ネットから拝借したものである。

私は今回の旅に出るまで、山口県が外郎の産地として有名とはちっとも知らなかった。外郎と行ったら名古屋が「本家本元」を自称しているほかは、小田原と京都ぐらいだと思っていたのだが、Wikipecia によればこの他にも伊勢、神戸、徳島、宮崎なども外郎を名物としているらしい(参照)。

日本全国 47都道府県に仕事で行き、一泊以上している私だが、外郎の産地という視点から見るとやはり西日本の事情には少々疎い。一昨日の記事でも書いたように、西日本では天ぷらにソースをかけて食うのが当たり前と知った時も驚いてしまったしね。

「薬の外郎」というのもある(参照)。神奈川県小田原市に 650年以上前から続く老舗、株式会社ういろうの「透頂香ういらう」(とうちんこうういろう)という仁丹みたいなものが知られている。ちなみにこの会社は和菓子の外郎も製造・販売していて、二刀流のようなのだ。すごいなあ。

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ただ団十郎論で修士号を取った私にとっての外郎というのは、実際のカタチある和菓子や薬よりもやはり歌舞伎十八番『外郎売』の口上(言葉による言い立て)ということになる。

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実際にどんなものかは、当代の尾上松緑による実演が YouTube にあるので、下に紹介しておこう。ちゃんと聞けば、この外郎売の商うものはお菓子ではなく薬の方なのだとわかる。

この言い立ては歌舞伎のみならず、新劇やアナウンサーの滑舌の訓練にも取り入れられていて、現代風には下の動画のようになる。文字も同調して示されるから、一度トライしてみるといい。

寿限無」はあっさり言える私だし、この「外郎売り」だって決して舌が回らないわけじゃないが、さすがに長すぎて圧倒され「舌を巻く」という心理状態になっているせいか、一度もトチらずに最後まで到達したことがない。死ぬまでに一度は完全なパフォーマンスを遂行してみたいものである。

 

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2024年12月10日

アサド政権崩壊を機に、中東地域のお勉強

数ヶ月前、仕事関係で浅戸さんという方と知り合った。彼は開口一番「私、よく『あさどさん』なんて呼ばれるんですが、読み方は濁らない『あさと』でして、シリアで独裁やってる『アサドさん』とは何の関係もありませんのでよろしく」というので、結構印象に残ってしまった。

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その「シリアのアサドさん」が一昨日、反政府勢力との内戦に敗れてロシアに亡命することになった(参照)というのだから、浅戸さんの自己紹介ネタが一つ減ってしまったことになる。ただそれだけではつまらないから、この土地の平和を祈りつつちょっとお勉強してみよう。

私は中東についてはほとんど無知で、「シリアがどこにあるか、地図上で指さして見ろ」なんて言われても「ごめんなさい、知りません」と言うしかなかった。今回改めて調べてみて「へえ、トルコのすぐ南で、その向こうはロシアに続くんじゃん!」と初めてわかったぐらいのものだ。

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ロシアとしては地中海での拠点を設けるのに重要な地点だろうし、さらに西隣にはレバノン、そして紛争真っ最中のイスラエルがあるのだから、かなり「ヤバい地域」である。昨日早く、イスラエルがシリアの首都ダマスカスにある空軍基地を空爆した(参照)と伝えられたのも無関係な話ではない。

この空爆についてイスラエルは、シリアの武器がイスラム教シーア派組織ヒズボラなどに流れるのを防ぐためとしている。ということは、ヒズボラを支援していたアサド政権のこれほどまでに早い崩壊を予測できていたら、空爆はギリギリで回避できていたかも知れない。

つまり今回の政変は、周辺国の予測を超えた急展開だったということなのだろう。

そもそもアサド大統領の力が弱くなって反政府組織に対抗することすらできなかったというのは、これまで彼を支援してきたロシアとイランの影響力が弱まったことと関係があるらしい。ロシアはウクライナ侵攻、イランはイスラエル紛争との関わりという問題で、シリアどころではなくなっている。

その結果として今回の政変が呆気なく実現したというのだから、国際問題というのは実に多くのことが絡まり合っていることを示すものだ。いずれにしてもロシアだのイランだのとの関係を持ちすぎるとろくなことにならないようで、北朝鮮もますます大変になるのだろう。

余計な話だが、「中東 アサド」のキーワードでググったら、Yahoo 知恵袋に "中東には「ハマス(浜洲)」や「アサド(浅戸)」といった日本の名前が多いのはなぜですか?" という素っ頓狂な質問があるのに驚いてしまったよ。

ここまで来ちゃったら、「日本の九州にアメリカがあるのはなぜですか?」と聞かなければならない。

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2024年12月 9日

山形県生まれとしては、あじフライにも醤油なんだが

食べ物全般にわたるウンチクがすごい「おいしいお」というブログに「【朗報】あじフライに何かけるか論争、ついに終結する」という記事があるので、「どれどれ」と行ってみると、昨年 2月 28日付のミツカンの記事が紹介されていた(参照)。

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慶応義塾大学が開発した味覚センサー AI 「レオ」というのを用いて、アジフライにつけて食べられる調味料(味ぽん、タルタルソース、ソース、醤油)との相性度を測定した結果、最高だったのは「味ぽん」ということになったのだそうだ。「へえ!」ってな感じである。

ただ表を見る限り「相性度」の数値は 95.3〜97.3 のわずか 2ポイントの範囲内に収まっていて、この程度なら「好き好き」でどうとでもなるだろう。数字でものを食うわけじゃあるまいし。

それに、タルタルソースは作り方次第でいろいろな味加減が出るだろうし、ソースと醤油にだっていろいろな種類がある。これって「提供は『味ぽん』でお馴染みのミツカンでした」という御用調査みたいな気がしてしまうのだがなあ。

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そもそも我が家には「味ぽん」なんてものはないのでどんなものなのかすら知らない。ググってみるとこんなもののようなので、ふむ、これならスーパーの棚でみかけたことがある。買ったことも使ったこともないけど。

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ちなみに私は醤油派である。山形県生まれとしては当然のように醤油一択で、我が家にはソースなんてものもない。何にでも醤油の人だから、味ぽんなんて「何それ?」ってな感じでしかないのである。

かなり前のこと、西日本では天ぷらにソースをかけて食すのが当たり前と知って、もの凄く驚いたことがある。このことに関してはこんな記事を書いているので、ご覧頂きたい。

ソースで天ぷらを食う文化 (2013年 3月 10日)

天ぷらに醤油をかけるかソースをかけるかは、フォッサマグナを境にきれいに東西に分けられる。ざっと言えば東日本が醤油文化で、西日本がソース文化のようなのだ。さらに続編として次の記事も書いている。

ソースで天ぷらを食う人たちは、鉄板系コナモンも好き (同 12日)
「天ぷらにソース」の謎が、また少しほどけた (2021年 5月 6日)

とにもかくにも、醤油の奥深さは機械ごときには分からないものであるらしい。

 

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2024年12月 8日

ビジネスホテルのズボンプレッサーとヘアドライヤー

コロナ禍が終わって、また日本全国に出張する機会が増えてきた。泊まりがけの出張ではもっぱらビジネスホテルを利用するのだが、備品として部屋にあるものの中でこれまで一度も使ったことがないのが、ズボンプレッサーとヘアドライヤーである。

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上の写真は先日山口県に行った時に泊まったホテルの部屋に備え付けてあったものだが、「この四角い板状のものは、ズボンプレッサーと言うものらしい」という程度の認識でしかなく、使い方は知らない。ヘアドライヤーも、洗髪後は自然乾燥に任せるから使わない。

とにかく出張といっても、ビジネス・スーツを着るなんてことはほとんどない。私のワードローブの中で「スーツ」と名の付くものは、2着しかなくて、しかもそのうちの 1着は冠婚葬祭用の黒のスーツだから、実質 1着しかないみたいなものである。

その「実質 1着」のグレーのビジネススーツは、昔から着ていたもののウェストが合わなくなってしまったので 5〜6年前に必要に迫られて買ったように記憶しているが、買ったその時に着ただけで、後はしまいっぱなしだ。着用回数で割り算したら、もの凄く高い買い物である。

思えば 20年以上前まで企業や団体を訪問先とする出張をしていた時でも、スーツなんて着ないで気軽なジャケット&スラックス姿だった。相手先が堅苦しいオッサンだったりした時だけ、仕方なくネクタイを締めるという感じで、ズボンの折り目なんて気にしたこともない。

最近の仕事は企業を相手にすることなんて滅多にないので、専らいつも通りのジーンズ姿である。何と言ってもこれが一番楽で自分らしくいられる。

朝のビジネスホテルの玄関ロビーからきっちりとしたスーツ・スタイルで仕事先に向かう「ビジネス・パーソン」たちを眺めていると、「スーツという名の牢獄」に閉じ込められているように見えて「気の毒に」なんて思ってしまうのだよね。

 

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2024年12月 7日

世界の観光都市ランキング、京都はどうなってるの?

ユーロモニターインターナショナルという英国の市場調査会社が "Top 100 City Destinations Index 2024"(2024年トップ 100都市デスティネーション・インデックス)というのを発表した(参照)。世界の 100都市を観光に関する 55の指標で比較し、総合評価したものだそうだ。

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それによればトップ 20は次の通り。4位と 5位にローマとミラノの 2都市が入っているというのは、さすがにイタリアだ。(括弧内の数字は前年順位)

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このランキングは毎年発表されているものだそうだが、自国のロンドンは昨年の 10位から今年は 13位に下がっている。そして日本からは 3位の東京のほか、16位に大阪が入っている。

ただ私自身が街を歩いた印象としては、東京や大阪より京都の方がずっと観光客が多く、とくに京都駅周辺なんかは、日本人より外国人の方が多いぐらいだ。客観的にみてもかなりビッグネームの京都が、どうしてベスト 20に入っていないのかわからない。

トップ 30 か 40 にならランク入りしているだろうと思い、いろいろググってみたが、30位以下の載っているニュースが見当たらない。日本の代表的観光都市といえば誰が考えても東京や大阪より京都なんだから、「一体、どうなってるの?」という疑問は晴れない。

最後に付け加えるが、最近の京都は外国人観光客が増えすぎて、「日本人離れ」が伝えられるほど鬱陶しいことになっている(参照)。私自身、以前は関西方面への出張だとよく京都市内のビジネスホテルに宿泊し、ついでにちょこちょこっと観光もしていたが、今は泊まる気がしない。

何しろ宿泊料がバカ高くなっていて、コロナ前は一泊 8,000円ぐらいだったフツーのビジネスホテルが、最近は倍以上になってる。

 

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2024年12月 6日

テストの点数ごときに、大した意味はない

X(旧 Twitter)で、学年最高点の 98点をとり「1人で静かに1位の気持ちを味わってるの最高に気持ちいい」という tweet がちょっと話題になっている(参照)。ここでの注目ポイントは「98点」なんてことじゃなく、「1人で静かに1位の気持ちを味わってる」ということである。

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この tweet に関するコメントにはシンプルに「おめでとう」的なものが多いが、ほかにこんなようなものがあって、ちょっと興味を引かれた。

  • あ〜分かります。
    「誰〜98点、誰〜」
    なんて言いながら、こっそり1位の喜びを味わう。
    「すごいね〜」って言葉より、「こっそり喜び」がモチベーションになる奴でした。
  • これが最高のボッチの楽しみ方…参考にします

この 2つのコメントは、「ぼっち」的な喜びをかなり理解したものだと思う。ところがそうでないのも結構多い。こんなのだ。

  • 例え80点でも友達と点数報告しあえるほうがよくない?
    友達付き合いも学生時代にしとくべき人生勉強なんだけどね
  • 可哀想
  • それで友達に「あれ僕なんだよねって言うやつ」

押しつけがましさが感じられて、ぶち壊しだよね。とくに 3つめのぶち壊し感がひどい。人それぞれにいろいろな喜び方があるのだから、横からどうこう言わなくていい。

ちなみに私の場合は、返されたテストの点数を隠しもしなかった。「最高点はいつでも tak」というのはクラスの常識だったので、隠したりしたらかえって嫌らしい。「はいはい、いつも通り最高点だよ。それが何か?」って感じだった。

高校 2年ぐらいからやさぐれて点数が急落したが、それでも隠さなかった。「あの tak がそんな点数 !?」なんて思われることに、妙な快感さえ覚えていた気がする。そんなわけで、優等生と劣等生の両方の感覚が理解できるのはありがたい。

まあ、劣等生といっても「なんちゃって劣等生」で、大学受験間際にはあっさり挽回していた(参照)のだが。

いずれにしても、テストの点数ごときに大した意味はないってことだ。

 

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2024年12月 5日

取手駅のキャラ、「とってくん」というんだそうな

先週末から鉄道を使っての出張が続いて、ようやく一段落付いた。12月 1日に取手駅から常磐線快速電車に乗るとき、ホームの待合室のドアに妙な絵が貼ってあるのに気付き、iPhone で写真に撮っておいた。調べてみると、取手駅のキャラクターで「とってくん」という名前なんだそうだ。

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絵的にはどう見ても素人っぽくて、取手駅の駅員による自作キャラなんだろうと想像される。調べてみると田村指圧治療院というところのブログにその誕生秘話から紹介してあり(参照)、それによれば駅員がホームで拾った「とって」が生きていたのだそうだよ。

ブログの日付はの 2020年 12月 8日付だから、誕生してから既に 4年ほど経つのだろう。この間に何度も取手駅を利用していたのに、全然気付かなかった。訴求の仕方がかなりおとなしいもののようなのである。

ただこれは「取手駅のキャラ」のようだから、取手市には取手市のキャラがいるのだろうと思い、調べてみると「とりかめくん」というのが出てきた(参照)。これは健康づくりを象徴しているのだそうだが、一見したところではそんなことまではわからない。

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取手市には東京芸大の取手キャンパスがある(参照)のだが、キャラ・デザインにはその点はほとんど反映されていないようなのだね。

【翌日 追記】

そういえば、取手市にはまた別のキャラがいたんだった。2020年 10月 13日付で紹介した取手競輪のマスコットキャラクターである。「砦の森の住人たち」というのだそうだ。

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キャラの立ち方と知名度で言えばこれが一番というのも、何だかもの悲しい。

 

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2024年12月 4日

韓国で大統領なんてやっちゃうと、やっぱり ・・・

昨夜は新山口のホテルに週泊、さすがに疲れのため早々に寝てしまったので、今朝の「韓国大統領が出し抜けに非常戒厳令を宣告し、そのわずか 6時間後に解除」というニュース(参照)には驚いた。いや、「はぁ?」と呆れたという方が当たっているかもしれない。こんなの、世界史的にも前代未聞だろう。

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というわけで今、帰路の新幹線の中でこれを書いている。

ユン大統領の「国民の力」が前回選挙で大敗して少数与党に陥っていたというのは当然知っていたが、その求心力低下の最大要因が大統領夫人の「一連のスキャンダル」(参照)というのだから、馬鹿馬鹿しくなってしまう。思わず「悪妻は百年の不作」なんて諺を想起してしまったよ。

いずれにしてもユン大統領は「血迷った」としか思われず、こうなってしまったからにはただでは到底済まないだろう。少なくともこのまま大統領の職に留まれるとは思われない。

当ブログの 2017年 3月 31日付「パククネ前大統領、韓国のお約束通りに逮捕」という記事に「韓国で大統領なんてやっちゃうと、その末路は大抵まともには収まらない」と書いているのだが、ユン大統領も「お約束通り」になってしまいそうだ。Wikipedia の「文在寅」(前大統領)の項にも次のようにある。

2023年現在、現職を除く韓国の大統領経験者のうち、本人・親族共に逮捕、亡命、暗殺、自殺といった悲惨な末路を迎えず難を逃れている人物は、文と崔圭夏のみである。

それでも韓国の政治家は大統領になりたがるみたいだから、「自分だけは別」と思っているのだろう。そうでないはずがない。ただ、「そう思っているのは自分だけということが圧倒的に多い」というのは歴史が証明している。まったくもって因果なことである。

こう言っちゃなんだけど、韓国の政治の推移って、やっぱり極端なところがあるような気がするなあ。

 

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2024年12月 3日

JR の往復割引が終了するのは残念!

再来年から JR の往復割引がなくなるんだそうで、日経は「JR 各社が往復割引を終了 26年 3月、IC カード普及で」と伝えている。なんだかいかにも「IC カードの普及がいけないんだ」と言わんばかりの見出しである。

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記事を読めば JR としても「交通系 IC カードやインターネット予約が普及し、きっぷ購入が減っている」のが往復割引廃止の原因みたいに言っているようだ。しかし私の感覚としては、「それとこれとは話が別でしょ!」と言いたくなるんだがなあ。

昨今は旅の JR 切符を予約するにも、インターネット購入や駅の切符自動販売機などで自前の操作が求められる。駅員が対面で対応してくれる窓口は、極端に減ってしまっている。

それは別にいいのだが、自分で PC や自動販売機を操作して複雑な経路の切符を買おうとすると、やたら難しくなってしまう。例えば往路で 1か所、復路の別の 1か所で途中下車して用を足し、その間を新幹線で乗り継ぐなんてことだと、ユーザーインターフェイスがまともに対応してくれないのだ。

単純に「行って来い」なら、往復割引で購入するのも簡単なのだが、途中下車してちょっとローカル線に足を伸ばすなんてことになると、本当に戸惑ってしまう。画面に希望通りの選択肢がなかなか表示されないのだもの。

そんなわけで十分に往復割引の対象になるはずの旅程でも、つい往路と復路を別々に購入してしまったりする。つまり「往復割引の需要が減った」というわけじゃなく、買いにくくなってしまったというだけのことなのだ。

実は今も、兵庫県の丹波篠山と山口県の防府での仕事があって、この 2か所で途中下車しながら往復割引を適用したかったのだが、行き先が新幹線の路線から外れるので経路が複雑になってしまう。

そんなわけで希望する経路の切符購入画面がなかなか表示されず、何度もやり直してかなりイライラした。結局は心ならずも往復別々に購入してしまったので、割引がなくなってしまったのである。

切符予約画面のインターフェイスがもっとわかりやすく親切なものになったら、往復割引切符や連続乗車券の購入は決して減らないと思うんだがなあ。

 

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2024年12月 2日

「ふてほど」には、「ふてくされるにもほどがある」かも

今、大阪にいる。丹波篠山の仕事先から滞在先のホテルに戻ったばかりだが、ネットを覗いてみると現代用語の基礎知識選「2024ユーキャン新語・流行語大賞」は「ふてほど」に決まったというニュースで一杯だ。見出しだけでは「何それ?」で、正真正銘初めて聞く言葉だ。

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記事本文には "金曜ドラマ「不適切にもほどがある!」の「ふてほど」が選ばれました" とあるが、ここまで読んでも一瞬ではわからず、数秒考え、「もしかして『不適切にもほどがある』の省略形で『ふてほど』ってこと?」と初めて分かった。どうやらドラマのタイトルのようだが、それすら知らなかったよ。

なにしろテレビなんてほとんど見ないから、ドラマ・ネタとなるとさっぱりわからない。それにしても、今の世の中になって「新語・流行語大賞」がテレビ・ドラマのネタに落ちつくなんて、ほとんど信じられないよ。テレビって、まだそんなに影響力があるのかなあ。

こうなってしまうと、こちらとしては「ふてくされるにもほどがある」という気分になってしまいそうだ。ふてくされついでに、今日はこれにておしまい。

【翌日朝 追記】

この件で、とても呑気なやり取りが「Yahoo 知恵袋」で見つかった(参照)。ふてくされない人も多いのだね。日本が平和なわけだ。

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2024年12月 1日

「図に乗る」というのも、突き詰めるのは難しい

ミチルさんという方が "以前作った「図に乗るクッション」が商品化しました。座ると調子づくかも" と tweet しておられる。なるほど、座ると文字通り「図に乗った」というカタチになる。

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ところが私はお恥ずかしいことに、この「図に乗る」という言葉の表記をずっと「頭に乗る」と勘違いしていた。改めて調べてみると『精選版 日本国語大辞典』に "「ず」は「頭」をあてることも多い" という但し書きもあるにはある(参照)が、やはり「図に乗る」が正しいようだ。

ただ、それでも疑問は残る。どうしてまた「図に乗る」なんていう言葉ができたのだ? そもそもこの場合の「図」って何なんだ? こうなると調べずにはいられなくなるのが、私の「ビョーキ」みたいなものである。

ググってみたところ、imidas のページには次のように書かれていた(参照)。

「図」は、仏教の声明(しょうみょう)で転調のことをいい、吟誦(ぎんしょう)の途中で転調がうまく行われることを「図に乗る」といったことからという。

へぇ、そんなこととはちっとも知らなかった。念のためもっと調べてみると、「日蓮宗 いのちの合掌」というページには、もう少し詳しく次のようにある(参照)。

元々は、声明の転調を「図」といい、難しい転調が成功することを図に乗る(上手くいく)と言いました。声明とは仏教の儀式において経文に節をつけて朗唱する声楽の総称で、古代インドに起り、仏教とともに中国を経て日本に伝えられたものです。

ですから、図に乗るとはネガティブな意味ではなく、本来は、少し難しいかな、大変かなという事にチャレンジをして、上手くいく成功することを指します。

つまり、元々は悪い意味ではなかったのだね。そこから「つけあがる」みたいな悪い意味に変化したことについては、AERA.dot に次のように説明されている(参照)。

ここでの「図」は、仏教の僧が唱える声明(しょうみょう)の転調のことです。この転調は難しく、うまくいくことを「図に乗る」といいました。そこから、声明の転調に限らず広く調子づくことを表すようになり、いい気になってつけあがるなどの悪い意味になりました。

なるほど、坊さんでも難しい転調がうまくいくと時にはつけあがってしまったりするようなのである。凡夫の身としてはよくよく気をつけなければ。

ただ、こうして言葉の上の説明だけでわかったつもりになるのも中途半端である。こうなったら、実際の声明の「図=転調」ってやつを聞いてみなければ気が済まないじゃないか。私の「ビョーキ」もかなり重症だ。

しつこくググってみたところ、伝統的な声明を再現した上に音楽をかぶせたものが見つかった。実際の URL には次のような説明がある(参照)。

この声明集では呂と律の部分が明確に朱と墨で書き分けられており、曲中に呂律が入れ替わります。

要するにそれが「転調=図」なのだろうか。よくわからないが、とりあえず聞いてみるほかない。下の動画の「▷」をポッチリしていただきたい。

はっきり言って、実際に聞いてもどの部分が「図=転調」に相当するのかわかりにくい。もしかしたら 2分 40秒あたりと、3分 20秒あたりなのかなあ。いずれにしても、モノにするのはかなり難しそうだ。

これ以上突っ込むと手に負えなくなりそうで、図に乗ってつけ上がったりするまでには遠く及ばない。最後に「呂律(ろれつ)が回らない」と言った場合は意味が違ってくるということを書き添えて、本日はこれぎり。

 

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