「"喉仏" の骨」という謎が解けた
義父の葬儀を終えて戻ってきた。妻の実家の仙台はまだ梅雨が明けていないということだったが、日中は 32〜33℃ ぐらいに気温が上がり、地元の人たちは「暑い、暑い」とこぼしていた。しかし前日に 38℃ の酷暑を潜り抜けた私と妻には、むしろ凌ぎやく感じられたのだった。
そしてつくばの自宅に戻ってみると、二日近く閉めっぱなしだったため、家の中はむっとする暑さで、壁という壁は触ると熱い。ソファも座ると尻と背中が熱い。窓を開け放して風を通した後でエアコンを作動させると、ようやく人の生きられる環境になった。
ところで今日のトピックは、「"喉仏" の骨」ということだ。肉親の遺体を火葬に付すと親族が遺骨を骨壺に収めるわけだが、火葬場のスタッフが頭蓋骨の下辺りにある小さな骨を指してうやうやしく、「こちらは "喉仏" の骨ですので、まず喪主の方がお取りください」などと言うのがお約束のようなのである。
私はこれまで何度か火葬に立ち会い、とくに父が亡くなった時は自らその「"喉仏" の骨」を箸で拾い上げたはずなのだが、「喉仏は骨じゃないから、お骨として残るわけないんだがなあ」と不思議に思っていた。あれって、本当はどこの骨なんだろう?
で、今回ばかりはその不思議さが頂点に達してしまい、昨夜インターネットで検索してみたのである。すると案外呆気なく見つかったのが、専門学校仙台医療大学校の「喉仏(のどぼとけ)の正体」というページだった。今回は仙台での葬儀だったのだから、これも奇しき因縁というものである。
このページの説明に寄れば、いわゆる「"喉仏" の骨」というのは脊椎骨(背骨)の上から 2番目の骨で、正式名称は「軸椎」というのだそうだ。フツーに言うところの「喉仏」というのは「甲状軟骨」なので、火葬すれば燃えてなくなってしまうというのである。
で、何でまたこの「軸椎」を「"喉仏" の骨」と称してありがたがるのかといえば、上の写真にあるように、人が合掌しているような形で残るからなのだそうだ。なるほど、そう言われてみれば、ほんの小さな骨だがそんな風に見える。
というわけで、今回は長年の疑問が呆気なく解けてしまったというお話なのであった。知らないことは死ぬ前に調べてみるものである。死んでからでは遅いものね。
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