カテゴリー「言葉」の794件の記事

2025年4月 6日

「威嚇」という言葉の意味は? そして読み方は?

「威嚇」という言葉の意味は「威力をもっておどすこと」で、「牙をむいて威嚇する」「威嚇射撃」などの用法がある(参照)のだが、世の中には「ちくわ」の塩分量が思いのほか多いと知って「威嚇の声」を上げてる人がいる(参照)。うぅむ、ちくわなんかをおどしてどうするつもりなんだろう。

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ちょっとだけ考えて気付いたのは、この人「威嚇」という言葉の意味を間違えてるんじゃなかろうかということだ。もしかしたら「驚き」というような意味と思ってるのかもしれない。それだったら「驚愕の声」と言ってもらいたいところだった。

さらにこの言葉の厄介なのは、間違った読み方をする人も案外多いということだ。かなり前のことだが「大声で『いせき』する」なんて言ってる人がいて、こちらは一瞬「大声で移籍する?」なんて文字まで浮かびながら意味が掴めなかった。少し経ってから「威嚇する」と言いたいのだと分かったのだが。

ググってみると、「威嚇っていかくってよむんだ∑(°∀°) いせきだとおもってた、、、←」という tweet が見つかった(参照)。「嚇」という字が「赤」を 2つも重ねているので、つい「せき」と読みたくなってしまう気持ちもわからないじゃないけどね。

こんなことを書き連ねているが、下手すると自分も思わぬところで妙な言葉遣いしていないとも限らない。せいぜい気を付けよう。

 

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2025年4月 1日

「コンダラ」って、本来は「コンダーラー」なんだが

知識共有サイトの Quora に「あなたが衝撃受けた、純日本語だと思っていたら外来語だった言葉はなんですか?」という質問があり、その回答の一つに「ネットでも有名な『コンダラ』です」というのがある(参照)。

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往年のヒット・アニメ『巨人の星』のテーマソングの歌い出しは、当初「思い込んだら 試練の道を・・・」という純日本語と受け取られていたが、それが誤りで、実は「重いコンダラ」なのだと知れ渡るまでにはかなりの時間がかかったというのだ。

ただ細かいことを言わせてもらえば、私はこの「コンダラ」という表記にはかなりの違和感を覚えてしまう。あくまでも「コンダーラー」が妥当だ。

そもそも元の英語スペルは "condarler" である。"condarl"(コンダール:整地する)という動詞の語尾に "er" が付いて「整地するための道具」ということになったのだから、カタカナ表記は「コンダーラー」が自然だ。

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念のため、下の YouTube 動画をクリックして改めて歌を聞いてもらいたい。ちゃんと「お、も、いぃ〜コンダァラァ、試練のみぃちぃを〜」と聞こえるはずだ。「コンダラ」というのは、「思い込んだら」という当初の誤解に引きずられた誤表記と言っていい。

というわけで、Tシャツのこんなローマ字表記はやめてもらいたい。"Heavy Condarler" で、わかる人にはちゃんとわかるのだから。

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この記事が、きちんと辞書を引く習慣を身に付けるための一助となれば幸いである。

【4月 2日 追記】

毎度おなじみのエイプリルフール・ネタで失礼致しました。"Condarl" なんて単語は英語の辞書を引いても出てきませんので、よろしくお願いいたします。

 

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2025年3月26日

言葉のつながり、主体と客体をきちんと整理すること

Impress Watch に「マイナ免許証を発行してきた 更新自体はスムーズだけど注意点も」という記事がある。ここで問題にしたいのは例によって記事の内容ではなく、タイトルの言葉の使いようについてである。マイナ免許証そのものについては、一応 23日の記事でケリを付けたつもりでもあるし。

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「マイナ免許証を発行してきた」とあるが、フツーは「発行してもらってきた」とか「交付を受けてきた」などとすべきだろう。記事の中身をよく読めばマイナ免許証を「発行した」のは当然ながら筆者ではなく府中運転免許試験場であるとわかるだけに、やはり「おいおい」と言いたくなる。

もしかしたらマイナ免許証の場合は特殊ケースとしての言い方をするのかとも思い、念のためいろいろググってみたが、「発行」なんて言ってるのは、さすがに今回のこのページしかなかった。本来ならば「一体化の手続きをしてきた」というのが最も妥当な表現なのだろうね。

これに類した言葉の言い違いは結構よくあるので、フツーだったら「またか、しょうがねえなあ」で済ませてしまうところだが、今回の場合はこの記事の筆者が、文章を書いてメシを食うフリーライターのようなので見逃せない。プロならプロで、主体と客体との違いがきちんとつながる文章にしてもらいたい。

そういえば先日ラジオで、どこだかの市役所の人間が「この行事に参加希望の市民の方が、参加申込み書の〇〇の欄をきちんと書いていただけるとありがたい」と言っているのを聞いた。これ、さらりと聞き流してしまいそうだが、やはりちょっとおかしい。

ここは主語が「申込みの市民の方が」なのだから、「書いていただけるとありがたい」ではなく「書いてくださるとありがたい」と言うべきだろう。「いただけると・・・」と言ってしまうと、申込みを受ける役所側が唐突に前面に出てしまう。

最初に取り上げたマイナ免許証の話も、市役所の人間の話も、話の主体と客体が途中で入れ替わってしまっているのが問題なのだが、多くの場合、これがおかしいと思われずに済んでしまいがちである。とくに「いただく」という単語の場合はこうした「入れ替わり」がメチャクチャ多い。

日本語というのは元々、主体と客体とがごっちゃになりやすいところがある。とはいえ客観的なニュースや役所からの広報などでは、その辺りをきちんと整理してもらいたいと思ってしまうのだよね。

ちなみに主体と客体とが入れ替わった例ではないが、こんなのも見つかった(参照)のでオマケとして紹介しておく。おそらく「全面に出す」じゃなく「前面に出す」というココロなんだろう。要するに変換ミスなのだが、書いた当人もミスとは気付いていない可能性がある。

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私はスタバではホットコーヒー以外飲んだことがないので紙ストローは未経験だが、それにしてもずいぶん悪評だったのだね。

 

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2025年3月16日

AirPods でリアルタイム翻訳が可能になるらしいが

Gigazine が「Apple が AirPods で会話をリアルタイム翻訳できる新機能を iOS 19 で計画中との報道」という記事を伝えている。AirPods というのは、Apple の展開するあの結構お高いイヤフォンである。

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記事によればこの機能は 2025年後半に予定されている AirPods のファームウェアアップデートの一部として提供される予定で、秋頃にリリースされるとみられる iOS 19と連動して利用可能になるということだ。

どんな機能かと言えば例えば「英語を話す人がスペイン語で話しているのを聞くと、iPhone がその会話を翻訳し、ユーザーの AirPods に英語で中継する、そして英語を話す人の言葉はスペイン語に翻訳され、iPhone上で再生されるということのようなのだ。

なるほど、相手のスペイン語話者が AirPods を持っていないことを想定して、自分の iPhone 上で再生されるのを聞かせてやるってわけだね。これが AirPods ユーザー同士だと、英語とスペイン語で通訳なしでやり取りしてるように見えるんだろうか。ちょっと異様な光景になりそうだ。

私は AirPods を買う予定なんてないから、「関係ないね〜」ということになる。別にこんな機能に頼らなくても相手にちょっとゆっくりめにしゃべってもらえば、英語なら何とかなるし、スペイン語やドイツ語しか話せない相手と会話をするという機会も個人的にはあまり思いつかない。

そしてヨーロッパ語圏内ならかなりレベルの高い自動翻訳も期待できるだろうが、ヨーロッパ語と日本語の間の自動翻訳って、なんだか完成されたもののような気がしないのだよね。偏見かもしれないが。

さらに言えば、言語で語られる内容というのはその言語特有のテイストみたいなものがあって、とくにヨーロッパ語と日本語の間ではニュアンスみたいなものが吹っ飛んでしまいそうな気もしてしまう。「洒落」が通じなかったら、つまらないだろう。

というわけで、外国語が苦手な人があちこち旅行するというなら便利かもしれないが、私は使う気がないので、よろしく。

【同日 追記】

「ちょっと待てよ」と思ってしまった。というのは、iPhone にこれだけの機能があって、AirPods はそれが送信されて聞くだけみたいだから、AirPods って必須なのかなあという疑問が湧いたのである。相手が AirPods ユーザーじゃない場合は、iPhone 上で再生されるようだし。

この記事、よくわからん。

【再び 同日 追記】

X (旧 Twiiter)で プライム さんという方が興味深い tweet をしている。仕事上で、決して上手ではない英語で対応していて、途中からタブレットの自動翻訳に切り替えたのだが、「1000倍正確」なはずの自動翻訳は相手の不興を買い、自力でのナマの会話に戻さざるを得なかったのだそうだ(参照)。

やっぱり、「ナマの会話」は貴重だよね。

 

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2025年3月 8日

睡眠時間が短いと、「死亡率」が増加するって?

レバテック LAB というサイトに "「7~9時間睡眠」維持できないと死亡率最大 29%増? 4万人超の睡眠時間 5年分を調査した結果【研究紹介】" という 3月 5日付の記事がある。ただ「死亡率最大 29%増?」なんていうが、人間は元々死亡率 100%だから、それ以上の増加はあり得ないと思うがなあ。

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この見出しがあまりにもミステリアスなので本文を読んでみたところ、こんな表現になっている。

健康的な睡眠時間を維持していた参加者に比べて、最適でない睡眠パターンの参加者は全死因における死亡リスクが最大で 29%高かったことがわかった。

29%高かったのは、「死亡率」なんかじゃなく「全死因における死亡リスク」じゃないか。最近、ニュースサイトの記事タイトルを付ける編集者の質がやたら落ちてるような気がする。

いずれにしてもわかりにくい表現だがニュースとしては、死亡につながるいろいろなファクターがある中で、実際に死ぬリスクが 3割近く高まると言いたいようなのである。繰り返しになるが、人間いずれは死ぬんだけどね。

睡眠時間についていえば、私も「7~9時間睡眠」なんてまったく維持できていない。せいぜい 4〜5時間で、ほんのたまに 9時間ぐらいの「寝だめ」をする。

まあ、妙なことを気にしすぎるのが一番健康によくないから、こんなところで生きて行ってみよう。

【3月 9日 追記】

そういえば、先日クルマを運転しながらラジオで「一般社団法人 日本ショートスリーパー育成協会」代表理事という人の話を聞いたのを思い出した。この人、マジで 1日に 45分ぐらいしか寝ないんだそうだ。

これって、いくらなんでも極端すぎる気がするなあ。個人的にはもうちょっとベッドの中でウダウダしていたい気がする。

 

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2025年2月28日

177番の天気予報が、来月末で終了なんだそうだ

PC Watch に "「177」の電話天気予報サービス終了まであと1カ月。70年の歴史に幕" というニュースを伝えている。電話で天気予報を聞けるサービスがあるなんて、若い人の中には知らないという人もいるだろうが、それが来たる 3月 31日 23時 59分をもって終了になるというのだ。

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今はスマホでいつでも簡単に天気予報を見ることができるが、昔は天気予報と言ったらテレビかラジオで聞くのがフツーだった。天気予報の時間まで待ちきれない場合は、電話で 177番にダイヤルするほかなかったのである。

私がこのつくばの地に引っ越して来たのは 1982年だったから、電話で天気予報を聞くのはあの黒い「イエ電」を使ってのことだった。そしてこの土地で初めて 177番 に電話して天気予報を聞いたときのことは、今でも鮮明に覚えている。何しろ天気予報アナウンスがものスゴい茨城弁だったからだ。

この時のことは、2020年 2月 6日の「統一地方選、茨城のウグイス嬢のアクセント」という記事に書いている。茨城の天気予報のアクセントというのは、選挙カーのウグイス嬢と同様に、かなりスゴい茨城弁だったという話だ。ちょっと引用する。(赤の太字の部分にアクセントがつく)

「明日、晴れ。降水確率 20%でしょう」というのが、「す、れ。コーすいかりつ、にじっぱせんとでしょ〜」で、とくに最後の「にじっぱせんとでしょ〜」の早口の平板アクセントは、曰く言いがたい異様さだった。前半の妙ちきりんなアクセントとの合わせ技で、「この人、歌ってるのかいな?」と思ったほどだ。

茨城県というのは「無アクセント地帯」と言われ、言葉をしゃべる時「単語」自体にはアクセントがなく、文全体のゆったりした山なりの抑揚の中に埋没してしまう。

ところが選挙カーのアナウンスとか 177番とかになると、妙に意識してしまうらしく、変なところに変なアクセントが付く。それでますますおかしくなってしまうのだ。

電話の 177番で茨城弁の天気予報アナウンスを初めて聞いた時はかなりのショックで、「ああ、おれは茨城の地に来てしまったんだなあ」としみじみ感じてしまったのを憶えている。ああしたアナウンスも、もう聞けなくなってしまうというわけだ。

 

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2025年2月16日

「Me-Time(自分時間)」って、うまい言い方だ

私は昔から「一人で時間を過ごせないやつは、ろくなもんじゃない」と思っている。Gigazine の "1人で過ごす時間を「孤独」ではなく「自分時間」と呼ぶとポジティブな気分になれるという研究結果" という記事を読んでも、「それ、当たり前じゃん」と思うばかりだ。

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そりゃ仲間と一緒に賑やかに過ごす時間も楽しいが、だからといって「自分一人でいる時間」が確保されなかったら、大変なストレスになってしまう。そんなわけで、この記事の冒頭の一文を読んで驚いてしまった。

1人で過ごす時間は孤独でさみしいものだと考えている人もいるかもしれませんが、近年は「自分時間」という言葉で 1人の時間を肯定的に捉える動きもあります。 

うぅん、それって「近年」に始まったことじゃないだろう。昔からの常識だと思うがなあ。そうでなかったら、ゲーテもカントも生まれない。

そう思いつつ元記事の 【From “isolation” to “me-time”: linguistic shifts enhance solitary experiences】(「孤独」から "me-time" へ: 言葉を変えると一人がカッコよくなる)に当たったみると、こんなふうな書き出しだった。

Spending time alone is a virtually inevitable part of daily life that can promote or undermine well-being.
(一人で時を過ごすのは日常生活で不可避なことで、健康や幸福感を促進したり弱体化したりします)

「一人の時間」にはいい面も悪い面もあると説き起こされ、とくに近年に始まったこととは書かれていないので、これならまあ納得できる。相変わらず、Gigazine の翻訳にはひっかかるところが多い(参照)。

要するにこの記事で紹介されているのは、「一人の時間」をどう呼ぶかということに関する研究の結果だ。

1つ目の実験ではアメリカに住む500人の成人に対し、無作為に「Me-Time(自分時間)」「Time Alone(1人の時間)」「Solitude(孤独)」「Being Alone(1人でいる)」「Isolation(孤立)」の 5つどれかを割り当てて、それぞれの言葉についてさまざまな質問をしました。

結果は次のようなことだった。

「自分時間」は一貫して最もポジティブで望ましいものだと評価され、被験者はそれが幸福にとって有益であり、積極的に経験したいものだと認識していました。

実質的には同じような状態でも、それを肯定的な言葉で表現するとハッピーでいられるというわけだ。まさに「物は言いよう」で、その意味で「Me-Time(自分時間)」とはなかなかうまい言い方である。"My time" だと、「持ち時間」的なニュアンスのせいでストレスにつながるからね。

というわけで、「一人で時間を過ごせない」というタイプの人間は、「一人の時間」じゃなく "Me-Time" や「自分時間」と言い換えてみると、感覚が変わってしまうかも知れない。

 

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2025年2月 7日

日本人の英語力って、下から数える方が圧倒的に早い

Courrier の "現在進行形で落ち続ける英語力… どこまでも「英語ができない」日本人に仏紙記者「英語を『死語』にする気?」" という記事が話題だ。「現在進行形で落ち続ける」というのが、私の個人的な印象とも一致していてコワい。

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記事の冒頭には「2024年 11月に発表された、英語力を示す国際ランキング(参照)で、日本は 116ヵ国中 92位と過去最低順位を更新」とある。しかも「2014年、63ヵ国のみの統計ではあるが、日本は 26位でフランスより3つ順位を前につけていた」とあるので、この 10年で急落したようなのだ。

昨年の調査によれば、近隣ではフィリピンが 22位、マレーシアが 26位、香港が 32位、韓国が 50位と健闘しており、インドは 60位と意外に低いが、それでも日本よりはずっとマシだ。それにしても 91位の中国より下というのは、かなりのショックだなあ。

ところで紹介した記事冒頭にある貼り紙だが、「関係者以外 立ち入り禁止」の訳語としては、実際のところ "PRIVATE" の一言で必要十分だ。その直接的な意味は「私的空間」ということで、要するに「関係者以外立入禁止」というココロになる。英語圏の貼り紙でもフツーに目にする言い方だ。

ところが上の例ではその後に、"PROBABLY"(おそらく)と "NO TRESPASSING"(不法侵入なし)という余計な「謎の呪文」が続く。どうしてこんなことになったのか、初めはわけがわからなかったがしばらく考えてようやく想像がついた。

これって、「貼り紙に書いてある "Private" ってどういう意味?」といった質問に、【"PRIVATE" って、おそらく「入るな」って意味だよ】というココロで届いた英文のレスを、意味もわからずまんまコピペしちゃったのだろう。そうとしか思われない。さすが世界 92位というお粗末である。

そもそも日本人って「フツーの英語」を覚えずに、「日本語としてさえ意味が曖昧な回りくどい言い方」をそのまま機械的に訳せば英語としても通じるなんて考える傾向があると思う。そのため、まともな英語からどんどん遠離ってしまうのだ。

まずは「雰囲気のもの」じゃない「ちゃんとわかる具体的な日本語」を磨く必要があるのだろうね。そうすれば自然に英語感覚に近づける。

 

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2024年12月30日

「正念場」という言葉の深い意味

朝のラジオ・ニュースで、「石破内閣は、年明けにはいよいよ正念場を迎えることになりそうです」と言っていた。この「正念場」というのは政治の世界の典型的な決まり文句で、政治家たちって年がら年中いろいろな「正念場」を迎えているようだ。そんなに「正念」なんてものがありそうに見えないのだが。

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そもそも「正念場」というのは、元々は芝居の世界の言葉だった。辞書にもこんなようにあるし、添えられた写真も歌舞伎座だ。

  1. 歌舞伎・人形浄瑠璃などで、1曲・1場の最も大切な見せ場。性根場(しょうねば)。
  2. 真価を表すべき最も大事なところ。ここぞという大切な場面。「交渉は―を迎える」

歌舞伎や人形浄瑠璃などの「正念場」というのは「性念場」や「性根場」とも言われ、本心を隠していた人物がいよいよの場面で究極の思いを明かす場面である。インターネットでは note 24 というサイトの「歌舞伎の楽しみ 〜性念場、性根場〜」には次のようにある。

「正念場」は歌舞伎で、主人公がその役の性根をどう表すのかはっきりわかる、言い換えれば、場面中の重要な箇所を指す。古くは性念場、正念場という文字も当てられている。「寺子屋」、「熊谷陣屋」、「盛綱陣屋」の首実検、「封印切」の忠兵衛が金の封を切るところ、主に場面の中核にある場合が多い。

ここに挙げられた "「寺子屋」、「熊谷陣屋」、「盛綱陣屋」の首実検、「封印切」の忠兵衛が金の封を切るところ" などは、まさに歌舞伎の見所である。下の写真は私の大好きな『熊谷陣屋』のまさに正念場。それぞれの説明は、上のリンク先にあるので、ここではくどくど触れない。

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「正念」という言葉をさらに辿れば、仏教の「八正道」(正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定)に行き着く。「正念」はその 7番目に当たり、Wikipedia では次のように説明されている。

正念(しょうねん, 巴: sammā-sati, 梵: samyak-smṛti)とは、四念処(身、受、心、法)に注意を向けて、常に今現在の内外の状況に気づいた状態(マインドフルネス)でいることが「正念」である。

語り出したらやたら難しいことになりそうなので、ここは深い哲学的真理から出た言葉ということで片付けておこう。

というわけで、政治の世界でしょっちゅう出てくるようなレベルの「正念場」というのは、「またか」と思っていればいいだけのようなのだ。

 

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2024年12月26日

「豚殺し/ロマンス詐偽」ー 中身は同じというお話

Gigazine が "インターポールが国際恋愛詐欺を「豚殺し」から「ロマンティックベイティング」に言い換えるようにと呼びかけ、「ブタ」はさすがに被害者への配慮に欠ける" と伝えている。「インターポール」(INTERPOL)というのは「国際刑事警察機構」のこと(念のため)。

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中国発の国際恋愛詐欺が「豚殺し」と呼ばれるようになったのは、詐欺師たちが実際に被害者を「豚」と呼んでいるからで、記事には次のようにある。

詐欺師は被害者に偽の愛情や友情を抱かせることで徐々に「太らせ」、その後、偽の仮想通貨に投資するよう説得することで「殺し」ます。

なるほど、確かに「豚」扱いだ。ちなみにこの記事の元記事は、【Interpol replaces dehumanizing "Pig Butchering" term with "Romance Baiting"】というもの。Pig Butchering" (豚の屠殺)とあって、これを「豚殺し」と訳すのは OK だろう。

しかし "Romance Baiting" の方は、どうしてわざわざ「ロマンティックベイティング」なんて舌を噛みそうな言い方に変えたんだろう。同じカタカナにするなら、まんまの「ロマンス・ベイティング」の方がずっと言いやすいのに。

"Baiting" の原型 "bait" は「餌でおびき寄せる」というような意味(参照)で、そこから発展して "baiter" は「詐欺師/ペテン師」という意味にもなる(参照)。つまり "Romance Baiting" は「ロマンスでペテンにかけること」ということだ。

だったら私なら素直に「ロマンス詐偽」と訳すがなあ。この方がずっとわかりやすいだろうに。Gigazine の記事には変てこな翻訳が多いというのは既に書いている(参照)が、今回のこれもちょっとした疑問である。

最後に余談だが、ふと "「ペテン」の語源は英語の「ベイティング」" なんていうでまかせを、来年のエイプリルフール・ネタにしようかと考えてしまったよ。語感が似ていて、一見かなりもっともらしいし。

試しにググって見たところ、今のところそんな説は見当たらないから、ほぼ完全にオリジナル・ネタである。ただ残念なことに、話として面白くもなんともなくて、どう考えてもウケそうにない。

やっぱり、ボツにしとこう。

 

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