50年近く前に禁煙したのは「贖罪意識」からだった
ゴミ収集作業員としての方が有名なんじゃないかとも思われているマシンガンズ滝沢が、またしても重要な tweet をしてくれている。「タバコは缶に入れないで灰皿にお願いします」というものだ。これやられると、缶がリサイクル資源として活用できなくなるんだそうだ。
缶ビールを飲み干して灰皿代わりに使うのは昔からよく見かけるが、これってスチール缶とアルミ缶の選別ができなくなる原因になるらしい。「選別機でスチール缶なら、タバコの重みで磁石に付かなく、アルミであれば重くて磁選機で反応しなくなります」というのである。
半世紀近くノンスモーカーを続けている私は、そんなことはちっとも知らず、やっぱりタバコなんて止めた方がいいと改めて思うのだった。ただでさえ世間に迷惑だし火災の原因としてまで挙げられているのだから、その上リサイクルの邪魔までしちゃいけない。
私がタバコを止めたのは 1976年の酒田大火がきっかけだったというのは前にもチラッと書いた(参照)が、それについて詳しくは一度も書いていないような気がする。いい機会だから、ちょっと書いてみよう。
私は 17歳頃からタバコを吸い始め、大学に入学した 18歳頃にはハイライトを 1日 30本ぐらい吸うという結構なヘビー・スモーカーになっていた(もう時効ね)。そして 24歳の秋に起きたのが、あの酒田大火だったのである(これに関しては、こちら で書いている)。
高校時代にブイブイいわせていた故郷の街並みが次々と炎に焼け落ちて行くのをテレビ画面で見るのは、本当にショックだった。しかも火元となったのは、高校時代に月に 2〜3度は通っていた思い入れたっぷりの素晴らしい映画館、グリーンハウス(参照 1、参照 2)だというじゃないか。
それを知った途端、私はほとんど贖罪のような意識で「タバコを止めよう」と決意し、ポケットに残っていたハイライトをゴミ箱に捨てたのだった。
1970年代というのは、禁煙意識なんてほとんど高まっていなかった。名画座の客席はタバコの煙がもうもうと上がり、座席はタバコで焼けた穴だらけだった。その中でタバコを止めたのは、よく言われる「健康のため」なんてこととは無縁で、まさに「贖罪意識」からとしか言いようがない。
ただ、止めてから 2日目までは思いのほか平穏に過ぎたが、3日目ぐらいからが大変だった。猛烈な禁断症状が襲ってきたのである。私は口先だけの喫煙ではなく、きっちり肺まで煙を吸い込んでいたので、本当に胸をかきむしって悶えるほどの苦しさだったのを覚えている。
夜になるとベッドでヒイヒイ言いながら禁断症状に耐えつつ、「タバコって、本当に毒なのだな」と痛感していた。苦しさに負けて再びタバコに火を付けるなんてことにならなかったのは、我ながら愚直なまでの「贖罪意識」の賜物だったと思う。それがなかったら、4日もたずに禁煙に失敗していた。
あの苦しさは、1週間近く続いてようやく収まった。私は自分がそうした苦しさを乗り越えて禁煙に成功しただけに、人に向かっても「タバコは止めた方がいいよ」と心から言うことができる。
「ドクターストップがかかったので禁煙した」なんて言う人がいるが、それって実は「恥知らず」な言い草だと思う。それまで周囲に煙をまきちらしておきながら、自分の命だけは惜しいと言っているようなものだからね(参照)。
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