カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の1000件の記事

2025年1月11日

50年近く前に禁煙したのは「贖罪意識」からだった

ゴミ収集作業員としての方が有名なんじゃないかとも思われているマシンガンズ滝沢が、またしても重要な tweet をしてくれている。「タバコは缶に入れないで灰皿にお願いします」というものだ。これやられると、缶がリサイクル資源として活用できなくなるんだそうだ。

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缶ビールを飲み干して灰皿代わりに使うのは昔からよく見かけるが、これってスチール缶とアルミ缶の選別ができなくなる原因になるらしい。「選別機でスチール缶なら、タバコの重みで磁石に付かなく、アルミであれば重くて磁選機で反応しなくなります」というのである。

半世紀近くノンスモーカーを続けている私は、そんなことはちっとも知らず、やっぱりタバコなんて止めた方がいいと改めて思うのだった。ただでさえ世間に迷惑だし火災の原因としてまで挙げられているのだから、その上リサイクルの邪魔までしちゃいけない。

私がタバコを止めたのは 1976年の酒田大火がきっかけだったというのは前にもチラッと書いた(参照)が、それについて詳しくは一度も書いていないような気がする。いい機会だから、ちょっと書いてみよう。

私は 17歳頃からタバコを吸い始め、大学に入学した 18歳頃にはハイライトを 1日 30本ぐらい吸うという結構なヘビー・スモーカーになっていた(もう時効ね)。そして 24歳の秋に起きたのが、あの酒田大火だったのである(これに関しては、こちら で書いている)。

高校時代にブイブイいわせていた故郷の街並みが次々と炎に焼け落ちて行くのをテレビ画面で見るのは、本当にショックだった。しかも火元となったのは、高校時代に月に 2〜3度は通っていた思い入れたっぷりの素晴らしい映画館、グリーンハウス(参照 1参照 2)だというじゃないか。

それを知った途端、私はほとんど贖罪のような意識で「タバコを止めよう」と決意し、ポケットに残っていたハイライトをゴミ箱に捨てたのだった。

1970年代というのは、禁煙意識なんてほとんど高まっていなかった。名画座の客席はタバコの煙がもうもうと上がり、座席はタバコで焼けた穴だらけだった。その中でタバコを止めたのは、よく言われる「健康のため」なんてこととは無縁で、まさに「贖罪意識」からとしか言いようがない。

ただ、止めてから 2日目までは思いのほか平穏に過ぎたが、3日目ぐらいからが大変だった。猛烈な禁断症状が襲ってきたのである。私は口先だけの喫煙ではなく、きっちり肺まで煙を吸い込んでいたので、本当に胸をかきむしって悶えるほどの苦しさだったのを覚えている。

夜になるとベッドでヒイヒイ言いながら禁断症状に耐えつつ、「タバコって、本当に毒なのだな」と痛感していた。苦しさに負けて再びタバコに火を付けるなんてことにならなかったのは、我ながら愚直なまでの「贖罪意識」の賜物だったと思う。それがなかったら、4日もたずに禁煙に失敗していた。

あの苦しさは、1週間近く続いてようやく収まった。私は自分がそうした苦しさを乗り越えて禁煙に成功しただけに、人に向かっても「タバコは止めた方がいいよ」と心から言うことができる。

「ドクターストップがかかったので禁煙した」なんて言う人がいるが、それって実は「恥知らず」な言い草だと思う。それまで周囲に煙をまきちらしておきながら、自分の命だけは惜しいと言っているようなものだからね(参照)。

 

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2025年1月 2日

千里の道なんてどーでもいいから、「取りあえずの一歩」

新年を迎えたものの、去年からの仕事の積み残しがあって、相変わらずあくせくしている。そのうち何か新たな一歩を踏み出そうとは思っているのだけどね。

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取りあえず、「何か一歩踏み出そう」というメッセージ的なヒントはないかと、「一歩 踏み出す」というキーワードで検索してみると「千里の道も一歩から」というご大層な諺であふれかえっている。世の中には「千里の道も一歩から Tシャツ」なんてものまであると知って、正直ビビってしまったよ。

「いやいや、そんなのはどうでもいいから、どうぞご勘弁を」と言いたくなってしまう。「千里の道」なんて考えてたら、畏れ多くて「一歩」すら踏み出せなくなっちゃうよ。ここは気軽に「取りあえずの一歩」で十分だ。

ここで私は、自分がこの年になるまでずっと「取りあえずの一歩」でやってきたのだということに気付いた。遠大な目標や緻密な計画なんて、まったく縁がない。

「取りあえずの一歩」でチマチマやってきたからこそ何とか暮らしていけてるし、「2本のブログで 21年連続毎日更新」なんてこともできた。初めから大きな目標なんか立ててたら、それだけでどっと疲れてしまう。

こんなことを言うと、「取りあえずの一歩の積み重ねが大切」なんて殊勝なことを考える人もいるかも知れない。いやいや、またしてもぶち壊しみたいなことを言ってしまうが、「取りあえずの一歩」が積み重なるなんてことはまずない。ひたすら、とっ散らかるだけだ。

ただ、「取りあえずの一歩」としてやってみたことのうちほんのいくつかが、忘れた頃になってビミョーな線でつながることがある。初めからそんなことを期待するわけでは決してないが、要するに「結果オーライ」みたいに役に立つことが多少はあるってことだ。

これって案外、「取りあえず主義」の醍醐味なのかもしれない。前さえ向いていれば、期待すらしていなかった方面で「あの時、下手の横好きで手を出していたことが、今頃になって役に立った」みたいなことになってくれることがある。

もしかしたらこの歳になれば、これまでとっ散らかしっ放しだった「一歩」のいくつかが、線で結ばれることが増えるかもしれない。いや、別に結ばれなくても、ちっとも構わないんだけどね。結構楽しくやってきたのだし、まだまだとっ散らかしも増やしたいほどだから。

というわけで、年始めの抱負みたいなこととして、こんなことを書いてみた次第である。いや、こんなの「抱負」にはならないか。「惰性」みたいなものだからね。

 

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2025年1月 1日

ヘビがオルガン伴奏で「巳年〜」と歌う年賀状

明けましておめでとうございます。2025年、巳年の年賀状をお届けします。


今年の年賀状は音楽付きなので、画像の下の ▷ 印をポチッとクリックしていただきたい。聞こえてくるのは、ヘビがオルガン伴奏で口ずさむ『巳年』という曲だ。ほんの 5秒足らずの短さなので、お気軽に。

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タイトル通りの「ミドシ〜」というメロディで、これでも私自身がちょっとした手間をかけて作曲したバロック風(?)小品である。決して「冗談ポイよ」というレベルのものじゃない(と自分では勝手に思ってる)。年賀状をネット配信のみに切り替えたので、こんなお遊びが手軽にできる。

というわけで、今年もどうぞよろしく。

 

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2024年12月31日

2024年も今日でおしまいということで

本当に早いもので、2024年も今日でおしまいである。20歳の頃の 1年はそれまで送ってきた人生の 20分の 1だったが、70歳を過ぎると 70分の 1以下になってしまうので、時の経つのが体感的に早く感じてしまうのは無理もない。今日はあっという間の 1年を振り返ってみよう。

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今年、何と言っても驚いたのは元日早々の能登半島地震である。地震の発生は元日の午後 4時過ぎだったが、能登から遠く離れたつくばの我が家もかなりグラグラ揺れたのを覚えている(参照)。

この地震でにわかに湧き上がったのが「ボランティア迷惑論」というものだった。震災直後に馳知事が「今、ボランティアに来られても困る」みたいな発言をし、これが後々まで尾を引いたのか、この能登半島地震復興のためのボランティアの人数は妙に少ないままで推移しているようだ。

私自身は、これに関しては国と県の対応がちょっとまずかったんじゃないかと思っている。この件に関しては次の記事が参考になりそうだ。

まあ、馳知事はプロレスラー時代も変に内向きで名勝負を作れない人だったしね。

そして夏には我が故郷、酒田市の大沢地区が豪雨に見舞われ、大きな被害が出た。酒田というところは冬の地吹雪を除けば気候の穏やかなところなので、こんなひどい災害は珍しい。酒田在住の阿部彩人さんが復興状況をレポートしてくれている(参照)が、まだまだこれからだ。

地震や大雨に比べれば「ささやかな災害」だが、今年は花粉の飛び方もヒドかった。何しろ 1月中にスギ花粉のアレルギー症状が出てしまい(参照)、さらに温暖化でいつまでも冬にならない(参照)ので、つい最近までいろいろな花粉アレルギーに悩まされた。「ささやか」とはいえ、個人的にはかなり参った。

トピックとしては、大相撲八角部屋の五月場所打ち上げの宴会に紛れ込ませてもらうという珍しい体験をした(参照)。酒田市出身の北の若は、辛うじて幕内に踏みとどまっているようだが、あの立派な体格なのだからもっと活躍してもらいたいものだ。

もう一つ、イーロン・マスクの X (Twitter )に嫌気が差してしまい、新規 SNS として TreadsBluesky を試し始めた。個人的には日本でも Bluesky のユーザーが増えることを期待している(参照)。

このほかにもいろいろ書いているうちに今年も終わる。うるう年だから、なんだかんだでこの記事を含めて 366本書いたわけだね。来年も変わらず書き続けるつもりなので、なにぶんよろしく。

よいお年を。

 

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2024年12月29日

今どき「万博」なんて言ってもねえ

大阪万博への関心が全然盛り上がっていないのだそうだ。チケットの前売りも惨憺たる様相で、目標 1,400万枚のうち半分ぐらいしか売れていないらしい(参照)。企業や団体などに押しつけ販売スレスレみたいなことをしてさえこれなんだろうから、不人気振りがわかる。

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記事には大阪府・市が万博への国内外の賓客を接遇する担当部署として「大阪儀典室」というのを設置して看板を掲げたとあるのだが、写真を見る限りではなんだか不祝儀っぽいイメージだよね。万博の葬儀が行われてしまいそうだ。

改めて調べてみると、大阪万博の会期は来年の 4月 13日から 10月 13日までの 半年間なんだそうで、あの暑い暑い夏が含まれる。誰も猛暑日の炎天下で行列なんか作りたくないよね。いや、不人気だから行列なんかできないか。

ただ、不人気の理由としてトップに挙げられるのは「暑い」なんてことじゃなく、「入場券が高すぎる」ということなのだそうだ。「1日券」というのが大人 7,000円で、開幕前日まで発売の「早割」でも 6,700円(参照)というのだから、確かに高い。もっとも私は 700円でも行かないけど。

そもそも、今どき「万博のパビリオンでナマの情報に触れる」なんて言っても、全然そそられない。何しろ「情報過多」と言われるほどの世の中なのだから、火星の石なんて眺めるために 7,000円払って炎天下で並ぼうという気には到底なれない。

同じ「大阪万博」と言っても、「月の石」を見るために大行列ができた 1970年とは時代が違うのだ。今回は結局のところ、近くに住んでいる人が、どこかから廻ってきたチケットを使って行ってみるという程度のものになるんじゃなかろうか。

ほぼ 40年前の「つくば科学万博」ってのも、入場者数だけはそこそこの記録になったが実態はそんなようなもので、近所の家族が遊戯施設で子どもを遊ばせて帰るという感じで、ほとんど「遊園地代わり」みたいだったなあ。人気パビリオンの行列に並ぼうなんて気には到底なれなかった。

最近の猛暑じゃ、なおさらというものだ。

 

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2024年12月 6日

テストの点数ごときに、大した意味はない

X(旧 Twitter)で、学年最高点の 98点をとり「1人で静かに1位の気持ちを味わってるの最高に気持ちいい」という tweet がちょっと話題になっている(参照)。ここでの注目ポイントは「98点」なんてことじゃなく、「1人で静かに1位の気持ちを味わってる」ということである。

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この tweet に関するコメントにはシンプルに「おめでとう」的なものが多いが、ほかにこんなようなものがあって、ちょっと興味を引かれた。

  • あ〜分かります。
    「誰〜98点、誰〜」
    なんて言いながら、こっそり1位の喜びを味わう。
    「すごいね〜」って言葉より、「こっそり喜び」がモチベーションになる奴でした。
  • これが最高のボッチの楽しみ方…参考にします

この 2つのコメントは、「ぼっち」的な喜びをかなり理解したものだと思う。ところがそうでないのも結構多い。こんなのだ。

  • 例え80点でも友達と点数報告しあえるほうがよくない?
    友達付き合いも学生時代にしとくべき人生勉強なんだけどね
  • 可哀想
  • それで友達に「あれ僕なんだよねって言うやつ」

押しつけがましさが感じられて、ぶち壊しだよね。とくに 3つめのぶち壊し感がひどい。人それぞれにいろいろな喜び方があるのだから、横からどうこう言わなくていい。

ちなみに私の場合は、返されたテストの点数を隠しもしなかった。「最高点はいつでも tak」というのはクラスの常識だったので、隠したりしたらかえって嫌らしい。「はいはい、いつも通り最高点だよ。それが何か?」って感じだった。

高校 2年ぐらいからやさぐれて点数が急落したが、それでも隠さなかった。「あの tak がそんな点数 !?」なんて思われることに、妙な快感さえ覚えていた気がする。そんなわけで、優等生と劣等生の両方の感覚が理解できるのはありがたい。

まあ、劣等生といっても「なんちゃって劣等生」で、大学受験間際にはあっさり挽回していた(参照)のだが。

いずれにしても、テストの点数ごときに大した意味はないってことだ。

 

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2024年10月 6日

くるまったまま腕を出してスマホを眺められる毛布

何だかんだ言いながらも夏は終わって秋になり、その秋が深まれば寒い冬になるのだと思い出させてくれたのが、NET ch の 2本の記事だ。くるまったまま手だけ出してスマホを眺めるための毛布で、ニトリとサンコーの製品である。

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上の写真、左上は "ニトリ、袖付きタイプも追加された「スマホ毛布」2024年モデル" というもので、右下が "腕を出してゲームやスマートフォンを触れる「だら活毛布」、サンコーが発売" だ。「だら活毛布」というネーミングには、なかなかグッとくるものがあるね。

ニトリの「スマホ毛布」は袖付きと袖なしとがあり、「2024年モデル」というのだから、前々から展開しているのだろう。知らなかったよ。

さらにサンコーの「ダラ活毛布」に至ってはヒーター付きなのだという。いやはや、恐れ入った。不精者にはそこそこの需要があるのだろう。

これ、考えてみるとスマホに限らずベッドに入ってから本を読みたかったりする場合にも重宝しそうである。ただほんわかと暖か過ぎて、そのまま寝てしまいそうなのが気がかりだが。

ちなみに私としては、いくら不精者でもさすがにそのために専用毛布を買おうとまでは思わない。スマホを眺めたり本を読んだりするのは起きてるうちで、ベッドに入ったらストンと眠りに落ちるのが一番だ。

【同日 追記】

ふと思ったのだが、ソファに寝転がってロングコートを後ろ前にかければ OK なんじゃなかろうか?

 

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2024年9月26日

「カフェでお仕事」・・・ ムチャクチャな長居は禁物

「カフェワーカー」(「カフェの従業員」ではない)という妙な言葉を初めて知った。【「カフェでお仕事」コーヒー 1杯で "長居" 問題に店が悲鳴 「8割がカフェワーカー」の切ない現実】という AERA dot の記事がきっかけである。

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「店が悲鳴」というのは数時間にわたって席を「占拠」して仕事をするためだが、それだけに彼らとしても「肩身が狭い」と感じてはいるようだ。それは「カフェワーカー」だけではないらしく、記事には "カフェで「風当りの強さ」を感じているのは、仕事民も勉強民も同様だ" とある。

ちなみに「仕事民/勉強民」という言い方にも驚きだ。昔は家の外で勉強したかったら図書館に行ったものだが、今の学生はずいぶん贅沢になったものである。ただ夏休みが終わってしまった今は、「仕事民」の方が圧倒的に目立ってしまうのだろう。

私もコーヒーショップで MacBook Air を開いて仕事をすることが時々ある。しかしそれはたいていの場合、外出先での空き時間を利用したもので、滞在時間はせいぜい 1時間ほどのものだ。仕事をするためにわざわざコーヒーショップに行くなんて、そもそも考えたこともない。

ところが AERA dot の記事の冒頭に登場する男性にとってのカフェはほとんど「仕事場」みたいなもので、コーヒー 1杯 420円でおよそ 4時間過ごすという。さらにケーキをプラスして 10時間滞在することもあるという大物(?)女性も紹介されている。ここまで長居されたら、店はたまらないだろう。

記事に登場する東京西新宿の店は、「現在、カフェワーカーに占拠されたといっていい状態だ」という。客席が 15席しかないため、昼過ぎから閉店までコーヒー 1杯で粘られては経営を圧迫する。そこで値上げを検討し始め、「よかれと思って設置した」電源コンセントも取り払った。

こんなことでは「常識外れの長居」は店だけでなく、結局のところ客にとっても不利益になる。とくに私のような「ちょっと 1時間ほど」という客には、とんだとばっちりだ。

記事は「これからカフェで仕事をするときには、なるべくケーキも追加で頼もう。そう思った」と結ばれているが、私は滞在時間 1時間ほどでも、前からそうしているがなあ。

ちなみに昨年秋に紹介した 「珈琲屋 OB」(全席電源コンセントあり)のホットケーキはおいしい。

 

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2024年9月21日

乗務員の水分補給にクレームを入れるやつ

下の画像は、エアなりィ さんという方の tweet(参照)に使われた写真の一部である(オリジナルはもっと縦長)。JR 電車の乗務員室との境のガラスに「熱中症予防のため乗務員室内で水分を補給することや、マスクを外して業務を行うことがあります」と表示してある。

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エアなりィ さんは「しょうもない事でクレーム入れる奴がいるからこんなお知らせ文があるんやろなぁ」と tweet しておいでだ。私としてもまさに同じことを思ってしまったよ。

「乗務中に清涼飲料水なんか飲んでる」なんてクレームを入れるやつがいるのだね。「本当にヒマなやつだなあ」「自分を何様と思ってるんだ」と言うほかないが、わざわざこんな「お知らせ」を貼り出さなければならないほどだから、そんなやつが決して少なくないんだろう。

そんなようなしょうもないクレームをわざわざ入れるって、どんなメンタリティをしてるんだろう。「勤務中は何も口にしちゃいけない」と信じてるのだろうが、そんな基準を他人にも当てはめてクレームまで入れるというのは、よっぽど思い込みが強くてマメな性格なのだろうね。

そしてそんなクレームを入れて、「自分はしかるべきことをした」と満足するのだろう。だから電話の対応で「熱中症予防のために水分を摂ることがあります」なんて説明されても、「水ぐらい、乗務する前に飲め」とか「飲むにしても清涼飲料水は避けるべきだ」なんて言うに違いない。

乗務員が水分補給を我慢しても乗客には何の得にもならないし、むしろ熱中症になんかなられたら命の危険すらある。そんなことも顧みずクレームを入れたがる客というのは、リスクなんて考えずにひたすら「お堅い精神論」の方を重視するんだろう。

と、ここまで考えてもやっぱり、「本当にヒマなやつだなあ」「自分を何様と思ってるんだ」と繰り返すしかない。

 

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2024年9月 5日

エアコンって、もはや「必需品」なのだね

NHK が一昨日付で「東京 23区 熱中症疑いで 248人死亡 エアコン未使用などが 8割超」というニュースを伝えている。6〜8月 3ヶ月間の速報値が、既に昨年 6月から 9月までの 4か月間の192人を大きく上回り、公表されている2006年以降最多だった 2022年の 251人に迫るものだという。

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死亡者を年代別に見ると、60代以上が 238人(内訳は 80代が 97人、70代が 82人、90歳以上が 32人、60代が 27人)で、死亡者の 96%を占める。暑さで死ぬのは圧倒的に高齢者ということだ。しかもエアコンを点けていなかったり、もともと設置されていなかったりするケースが 8割以上だったという。

エアコンと言えば、東日本大震災のあった 2011年から翌 2012年まで、私は自宅のエアコンの電源プラグをコンセントから抜いて過ごした。政府が「原発なしでは電力危機になる」と喧伝するので、「だったら、エアコンなんか使わないよ!」と腹をくくったのである(参照)。

この時は「関東の夏ぐらいだったら、エアコンなしでも何とか耐えられるものだ」と感じた。実際、NHK ニュースの「東京 23区熱中症の疑いで死亡」というグラフを見ると、2011年、2012年の数字はかなり低いことに気付く。

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(クリックすると別画面で拡大表示される)

大震災の前年は今に至るまで「2010年の猛暑」と語り継がれるほど暑かったのだが、不幸中の幸いというか、震災からの 2年間はそれほどの猛暑にはならずに済んでいたのだ。ところが 2018年以後、とくに2022年以後の 3年間は、暑さのレベルがこれまでとは比べものにならないほどになっている。

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(クリックすると別画面で拡大表示される)

今年の熱中症の疑いによる死亡者数の推移を見ると、7月の死亡者数が目立って多い。7月の声を聞いた途端に気温がメチャクチャに上がり、中旬に一旦おちついたものの、下旬以後は毎日猛暑日という熱波に襲われた。この頃に死亡者数が飛び抜けて増加していることがわかる。

それ以後はテレビやラジオなどで「ためらわずにエアコンを点けましょう」と呼びかけられたこともあり、死亡者数は目立って減っている。それでも、高齢者がエアコンを点けずに死亡するというケースはなくならなかったわけだが。

私自身、今年の夏は呼びかけに従い、「ためらわずに」エアコンのスイッチを入れている。これでも 72歳の「高齢者」なんだから、下手に我慢なんかしたら死にはしないまでも、「夏バテ」で、今頃はヘロヘロになっていただろう。

「エアコンはもはや必需品になってしまった」と、しみじみ感じる昨今である。昨夜あたりから日が沈んでしまうと少しは涼しい風が吹くようになって、ホッとしているのだが。

 

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