カテゴリー「庄内の話題」の90件の記事

2025年2月 6日

我が故郷のクマ騒動

我が故郷、酒田市がここ 3〜4日ほど「クマ騒動」で揺れている(参照)。一昨年の 6月にも市街地にクマが現れて大変な騒動になった(参照)が、今年はまだ寒いうちからこんなことになったのでさすがに驚いている。

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今回クマが出たのは、酒田市でも中心街から離れた地域で、民家の車庫に入り込んだのを捕獲するために厳戒態勢で臨んでいたのだが、30数時間後に隙を見て逃げ出されてしまった。今のところ見つかっていない。山に逃げ戻ってくれていればいいのだが。

私は高校卒業の 18歳まで酒田で暮らしていたのだが、市街地にクマが出たなんて話は聞いたことがない。もっと言えば、鳥海山麓や朝日連峰などの山登りをしたのに、クマが出るかもしれないなんて考えたことすらない。それだけに、最近の状況には驚いてしまっている。

クマとしても、先週辺りはちょっと暖かくなったので「そろそろ春かな」と思って冬眠から覚めて動き出したのだろうが、市街地をうろついていると周り中の人間が大騒ぎするわ、さらに急に冬に逆戻りして寒くなるわで、驚いてしまっているかもしれない。「ちょっと早まったかな?」ってなもんだ。

ところで、今名古屋から新幹線で岡山に移動中。途中の関ヶ原から琵琶湖にかけて、薄ら雪化粧しているのに驚いた。この辺はいくらなんでもクマはいないだろうなあ。遙か向こうの紀伊山地まで行ったら、そりゃいるだろうけど。

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とにかく最近はちょっとした市街地でも、クマにはご注意のほどよろしく。

ちなみに新幹線車内での Wifi 接続は、新大阪を過ぎると急にスピードがまともになる傾向がある。名古屋より東京寄りは使い物にならないほど遅いので、iPhone 経由で接続してる。今は快調に Wifi 接続中。

 

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2025年1月27日

酒田のラーメン、やっぱり最高!

Yahoo! が山形新聞の "やっぱり最高、本県の麺 酒田「ラーメン県そば王国」フェスタ" という記事を紹介してくれている。「酒田のラーメンが最高」というのは一昨年の "「酒田のラーメンが日本一」って、そりゃそうだよね!" という記事でも触れたように、私にとってはもとより「自明の理」である。

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このフェスタは昨年に内陸の山形市で 2回開かれたのだそうで、庄内地区での開催はこれが初めてなんだそうだ。庄内でやったらそこはそれ、俄然ラーメンが脚光を浴びる。

今回は、あの「アルケッチャーノ」が地元の子牛の肉と牛骨を使ったこの日限定のラーメンを出品したんだそうだ。うぅむ、一体どんな感じだったんだろう。ちなみに今は亡き父と妻の 3人でアルケッチャーノに行った時のレポートはこちら。自分で後から読み返してもよだれが出てきそうだ。

私は 10年ほど前から肉食しない人になっているのだが、酒田に行った時だけはその禁を解いて、チャーシュー入りのラーメンをつい食べてしまう。父の十三回忌の時はいつもの「満月」が休業だったのでその近くの「東軒」でワンタンメンを食べた(参照)。上品に旨かった。

ちなみに庄内はラーメンの国だが、山形県全体としては「そば街道」なんてものがあるくらいで、そば王国である。山形のそばに関しては、私としてはあらきそば」「原口そばや」「一松」がオススメだ。

 

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2024年12月12日

山形県酒田市のお恥ずかしい「うっかりニュース」

我が故郷、山形県酒田市のお恥ずかしいニュースが流れてしまった。「山形・酒田市職員の時間外手当 220人分の総額 503万円あまり未払い 2014年から 10年間」というのである。原因は給与計算システムの設定ミスというのだから、「やれやれ」と言うほかない。

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酒田市では職員の時間外勤務手当のうち、月に 60時間を超える分は割増率がさらに上がる規定になっているというのだが、この割増分が反映されないまま給料が支払われていたというのである。10年間の未払い分の総額は、220人分の 503万円になるとされている。

初めは「10年間にわたって誰も気付かなかったのか」と呆れそうになったが、よく考えれば 1人当たりの金額はごく僅かでしかなさそうだ。計算すると、10年間の 1人あたりの平均未払い額は、503万円÷220 で、2万 2000円あまりだが、1年あたりだと 2,200円ちょっとでしかない。

さらに 1月あたりだと 190円チョボチョボにしかならないから、給与明細を見ただけでは気付かないのも無理もない。少なくとも私なら絶対に気付かない。

酒田市側は 3年以上前の未払い分は時効になるから支払わないと言っているようだ。しかし職員側がもし徹底的にこだわるとすれば、給与計算システムを作った会社に損害賠償を請求することができると思う。

ただ結構な時間をかけて裁判に勝って賠償金を受け取るにしても、7年分の 1万 5000円ぐらいでは割に合わないよね。そんな裁判に労力を割かれるぐらいなら、来年の夏のボーナスにちょっとした「気持ち分」を反映してもらう方がまだマシだ。私ならそんな風に交渉すると思う。

いずれにしても酒田の人たちは、そんなことではあまりあくせくしないのかもしれない。産経新聞の記事に載っている山形県の地図を見ても、開いた口から溜息をついているだけみたいに見えてしまうしね。(ちなみに、目の位置が酒田市)

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2024年8月17日

酒田市大沢地区復興の逞しさ

私の故郷酒田市は先月下旬、記録的な大雨に見舞われたが、とくに大沢地区の被害は甚大だった。このブログでも何度か取り上げた阿部彩人さんが、地元の状況を YouTube で克明にレポートしてくれている(参照)。被害がどんなに大きかったかは、この下の動画で窺われる。

あちこちに流されてきた倒木や壊れた建材などが横たわり、舗装道路には泥が堆積している。沢は土砂で埋められ、家々も埋められて上半分しか見えない。川沿いでは蔵が流され、床上浸水どころか家の中に土砂が流れ込んでめちゃくちゃになっている。

こうした被害の大きさには、遠くつくばの地にいても愕然とする思いだったが、大沢地区の人たちは落ち込むことなく確実に復興を進めているようだ。阿部彩人さんは復興作業の動画を何本もアップしてくれているが、その中で下の動画は半月以上経った最近の状況を伝えてくれている。

阿部さんのレポートには感服してしまう。

雪国庄内の人たちは、関東辺りの人間からすると暗い性格と思われがちみたいだが、実は明るくて逞しい。それは動画を見てもらえればわかると思う。今はつくばの地から応援の声を送ることしかできないのがもどかしいが、一刻も早くいつもの生活を取り戻せるように祈る。

 

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2024年2月 1日

庄内の小学生に庄内弁を教えるという、不思議な時代

庄内でユニークな活動を展開する阿部彩人さんが、"方言どご「おもしぇぐ」学ぼう" (方言を「おもしろく」学ぼう)というこれまたユニークな企画で、小学生に庄内弁を伝授するという興味深い取り組みを行ったという。これには遠く離れたつくばの地から、拍手喝采を送りたい。

ただそれにしても、庄内の小学生に庄内弁を教えるというプロジェクトが成立するとは、不思議な時代になったものである。おらだの頃だば「ひょーじゅん語」おしぇでもらわねばねけんどもの(俺たちの頃だったら「標準語」を教えてもらわなければならなかったけどね)。

上に紹介した YouTube 動画の初めの方で、八幡小学校の生徒が上機嫌ではしゃいでいる場面では、結構きれいな標準語に近い言葉が聞こえる。なにしろ「こんにちは」という挨拶を、ちゃんと「こんにちわ」と発音してるじゃないか。私たちの頃には「こんぬづわ〜」に近い発音だったけどね。

時々帰郷すると、酒田市の街中でも近所の子供たちがとてもきれいな共通語で会話していることに驚く。はっきり言って、私が今住んでいる茨城県(一応「関東」ではある)の連中よりずっときれいである。なにしろ茨城県は、名にし負う「無アクセント地帯」だからね(参照)。

庄内で生まれた人間も高校を卒業すると東京などに出てしまうことが多く、そこで知り合った人と結婚して一緒に Uターンするなんてケースが少なくない。そうなると家庭内の会話が共通語になってしまいがちで、子供たちは庄内で暮らしていても庄内弁を身に付けることができない。

帰郷すると、近所のじいさん、ばあさんに「孫どはなすすても、『おばあちゃん、何言ってるかわかんなーい』でらって言わいんだよの〜」(孫と話しても、『(翻訳不必要)』なんて言われるんだよね〜)なんて嘆かれてしまう。はなはだ気の毒な話である。

幸いなことに我が家では妻も 3人の娘も、庄内弁は自分では話せないながらヒアリングに関しては問題がなく、私の母の生前の濃〜い庄内弁もほぼ理解できていた。私が父親の責務として、家庭内でことあるごとに庄内弁をしゃべってきた甲斐があったというものだ。

ところが今の庄内の子供たちって、庄内弁を学校で学ばなければならないことになってしまったようなのだね。時代は変わるものである。

阿部彩人さんには今後もしっかりと活動を継続していただきたい。美しい庄内弁を後の世に伝えるために。

最後に触れておくが、阿部さんの来ておられるシャツの胸にプリントされた文字には少なからず感動した。これ、例えば「たかし」という人名の「し」の音を庄内弁で発音した場合の表音文字のようである。「し」という時の口の形にして(つまり唇を横に開いて)「す」と言うと、これになる。

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これを使って本日の記事のタイトルにある「不思議な時代」を平仮名で書けば、こうなるだろう。

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おお、なかなかいい感じじゃないか。

 

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2023年10月12日

父の十三回忌、無事に終了

父の十三回忌は、無事に終了した。午前中に身内だけで集まって、お坊さんに阿弥陀経を読経してもらい、午後は墓参りをした。酒田は 5年以上来ていなかったので、墓参りも本当に久しぶりだった。

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写真は今日の鳥海山の様子。空はほとんどきれいに晴れ渡ったのに、北の方角だけは厚い雲に覆われて五合目付近まで辛うじて見えたが山頂までは見えなかった。昨日も山頂が見えなかったので残念。明日の帰り際には見えるだろうか。

明日は朝に出発して夕方頃に帰宅し、明後日の仕事の準備に入らなければならない。まだまだ忙しい日程が残っている。

【同日 追記】

今日は夕食として、酒田のラーメンを食した。いつも行く「満月」は休業だったので、その近くの「東軒」でワンタンメンを食べた。肉食は数年前から絶っているのだが、今回ばかりは「ご当地ラーメン日本一」(参照)のご祝儀の意味で、チャーシューもおいしくいただいた。

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酒田のラーメンって、昔ながらの「支那そば」を究極まで洗練させたような感覚で、東軒のラーメンは満月のものよりややあっさりめの風味だが、それはそれでやはり上品においしい。今回はいいタイミングで酒田に来ることができてよかった。

 

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2023年10月11日

高速道路を駆け抜けて、酒田に到着

父の十三回忌のために、帰郷している。今朝 9時にクルマで出発し、常磐道、東北道、東北中央自動車道を通って、午後 4時半に到着した。途中での休憩、昼食をはさんで、7時間半のロングドライブだった。

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上の写真は途中、山形市の愛庵(めごあん)という蕎麦店で食べた板そば。そば粉十割の手打ち蕎麦だが、コシの強さは最初の一口目でびっくりしたほど。なかなかのもので、満足して食べ終えた。国道 13号沿いでわかりやすいので、今度通りかかることがあったら、また寄ってみよう。

最上峡を抜けて庄内平野に入り、晴れてもいたので鳥海山の眺望を楽しみにしていたのだが、残念なことに山頂付近に薄い雲がかかっていて、くっきりとした眺めではなかった。明日も晴れるというので、夜が明けたら見えるかもしれない。

例のご当地ラーメン日本一で湧く「酒田のラーメン」を食ってみようかとも思っていたが、日が暮れたし疲れてもいるので、明日に回すことにする。何しろ法事の本番は明日だし。

というわけで、今日は疲れてもいるので、この辺で失礼。

 

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2023年10月10日

「酒田のラーメンが日本一」って、そりゃそうだよね!

日本ご当地ラーメン総選挙」というイベントで、私の故郷である酒田のラーメンが日本一に輝いたんだそうだ(参照)。Twitter の ”#酒田のラーメン” もどえらい盛り上がりようだ、酒田のラーメン屋さん、おめでとう!

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このイベントは web 投票の予選を勝ち抜いた 10のご当地ラーメンの中から、さらに実食による投票で日本一を決めるというもので、今月 5日から昨日まで東京新宿の大久保公園で行われていた。決選投票の結果は、酒田ラーメンが 2位の 札幌ラーメンにダブルスコアで圧勝だったという。

この「酒田のラーメンが日本一」という話は昨日になって突然盛り上がったような印象をもたれたかもしれないが、実は私にとって「そりゃ、そうだよね!」というぐらい当然の話で、とくに驚きもしない。「それって、昔から知ってたよ」ってな感じなのだよね。

日本の全都道府県に複数回訪問したことのある私は、当然のようにあちこちのご当地ラーメンも食べ歩いた。その経験からして、「何だかんだ言っても、酒田のラーメンが一番うまい!」というのは揺るぎない事実だと思っている。これ、大げさでも身びいきでもない。

何しろ酒田のラーメン屋さんというのは、ラーメンにかける心意気からして違う。麺は当然のように自家製麺だし、魚介系出汁の絶品スープや名物のワンタンにかける手間も違う。そのくせ、一部の変なラーメン屋みたいに妙にイキがったり高飛車に出ることもない。

酒田市民も祖父母、あるいは曾祖父母の代からラーメンへのこだわりを静かながら脈々と受け継いでいて、ラーメンというのは何と言うか、「フツーなんだけど特別のご馳走」みたいな感覚なのだ。だから下手なラーメンを出したりしたら、小さな酒田の街で生きていけない。

13年以上前に酒田ラーメンの名店「満月」でワンタンメンを食した時のことを写真入りで書き、”椎名誠がこのワンタンメンを食べて、ワンタンは『雲を呑む』と書く意味がわかった” というほどのすごいワンタンである」とキャプションめいたことを書いている(参照)。

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実は、父の法事のため明日から酒田に行く。私は数年前から肉食を絶っていて、当然ながらチャーシューが付きもののラーメンからも遠離って久しいのだが、今度ばかりはご祝儀の意味でチャーシュー入りのラーメンを食させてもらってもいいなと思っている。

ただタイミングがタイミングだけに店は長蛇の列になっているかも知れず、実際にありつけるかどうかは行ってみるまでわからない。もし食べることができたら写真入りでレポートしようと思っている。食べられなかったら、私の肉絶ちは今後もさらに続くことになるわけだが。

【10月 25日 追記】

ええと、こちらには書き忘れてたけど、12日の記事に追記したように、酒田の東軒という店でラーメンにありつけた。さすがにおいしかった。

ただ日本一の栄冠に輝いた割には、酒田のラーメン屋はそんなに盛り上がってはいなかったのだが、さすが酒田は呑気な土地柄で、時が経つにつれて盛り上がりが増しているようなのである。こんなようなポスターまで登場したらしい。

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2023年6月 8日

故郷の酒田市にクマが出たというニュース

いやはや、驚いた。昨日の朝、私の故郷、山形県酒田市の市街地に、クマが出没したのだそうだ(参照)。午前 10時頃に猟友会のメンバーによって駆除されたということだが、酒田の人たちはさぞびっくりしただろう。

私が酒田で暮らしていた 1970年頃は、市街地にクマが出たなんて聞いたこともない。今年は各地でクマ出没のニュースが相次いでいるので、「酒田にも出たりしてね」なんて冗談のつもりで言っていたのだが、文字通り「冗談じゃない」ことになってしまった。

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一説には「開発によって人間の居住地域がクマの生息地に近付いているため、クマの目撃が増えた」なんて言われているが、今回の場合は昔からの市街地なんだがなあ。まあ、酒田の中心部(上の画像の北方向にはずれた部分)から見れば「川向こう」にはなってしまうけどね。

順番で言えば、午前 7時 31分に ①最上川スワンパークで最初に目撃され、それから②酒田市体育館、③山居稲荷神社、④亀ヶ崎小学校、⑤旧 若竹保育園、⑥港南公園と移動したようだ。③から④に移動移動する途中では、私の母校、酒田東高校の間近も通過していたと思われる。

さらにクマが撃たれたのは、私がこのブログでも何度か触れた、しょっちゅう授業をサボって高校を抜け出しては、最上川対岸の宮野浦に行ってた(参照)頃の、渡し船の発着所に近い辺りである(今は出羽大橋ができたので、渡し船は廃止された)。あの頃にクマなんか出てこなくて、本当によかったよ。

今回のニュースになったクマは、鳥海山系(酒田の北の方の秋田県境)から出てきたのではなく、庄内平野の東側の山地から最上川に沿って出てきたものとみられる。クマって川伝いに移動する習性があるようなのだ(参照)。

それにしても、ちょっと間違って市街地なんかに出てきたために撃たれちゃったというのは、クマの身になってみれば気の毒なことである。山の中でフツーに暮らしていれば、こんなことにはならなかったのにね。

ちなみに私は今週の土曜日、10日から仕事で北海道に行く予定になっている。北海道でヒグマなんかに出くわしたりしたくはないなあ。近頃は「アーバン・ベア」なんて言って、札幌市街地近くにもヒグマがいるらしいし(参照)。

 

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2021年6月15日

授業をサボり、庄内砂丘に寝転がる

これについては既に書いているような気がしていたのだが、ちょっと断片的に触れたことはあっても、まともに書いたことはないとわかったので、今さらながら、半世紀前の思い出話を書かせていただく。きっかけは 3日前の記事で、「よく授業を抜け出してサボっていた」と触れたことだ。

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私は高校時代、よく授業をサボって学校を抜け出していた。授業の出席率は、教科ごとに最低 75%に達していないと単位を取得できないという規定があると知ったので、私はそれを逆手にとって「じゃあ、4回に 1回はサボってもいいんだ」と解釈していた。

実際には 5回に 1回ぐらい、単純計算で 1日に 1時間以上はサボっていたことになる。というか、出席の取り方の甘い教師の授業では、もっとサボっていたかもしれない。

その頃に全校生徒を集めた朝礼で生活指導の教師が、「最近職員会議では授業の出席率が著しく低下して、97〜98%ぐらいになっているのが問題になっている」と強調した。「97〜98%と言えば問題ないように聞こえるかもしれないが、以前はずっと 99%以上だったのだから、大問題だ」というのである。

出席率を下げた最大の要因は私のサボりだったようなのだが、それでも 3日前に書いたような事情で、教師に直接咎められることはなかった。卒業してから聞いたところによると、「あいつは自由に生きていくタイプで、ひどい悪さをするわけでもないから、放っておくしかない」と思われていたらしい。

私の高校は当時、自転車で登校できるのは自宅との距離が 1.5km 以上あることという規定があったが、私の家は 1km ちょっとだから、自転車登校の許可証が貼れない。そこで私はいつも学校の裏手のちょっとした木陰に自転車を停め、サボった時の足に使っていた。

天気のいい日に学校を抜け出し、自転車に乗って行く先は、庄内砂丘である。酒田の市街地は最上川の北側に集中しており、その海岸は酒田港だから、砂丘らしい雰囲気のところまで行くには、南岸に渡るのが手っ取り早い。そうでないと市街地を抜けて 10km ほど北に行かなければならない。

私が高校を卒業した翌年に、最上川河口近くに出羽大橋という大きな橋が完成したが、その前は乗船無料の渡し船(写真参照:多分、市営だったと思う)に乗るのが近道だった。この渡し船に自転車ごと乗り込み、対岸の宮野浦に渡る。

乗客は私一人ということもあり、学校は授業中の時間帯なのだが、船頭さんは毎回何も言わずに渡してくれた。思えば大らかな時代だった。

対岸で再び自転車を漕ぎ、砂丘に出る。庄内砂丘は全長 40km にわたる広大な砂丘だが、鳥取砂丘のように砂漠的な様相ではなく、江戸時代に植えられたクロマツの防風林が延々と続いていて、海岸に沿った部分だけが砂浜となる。

砂浜になってしまうと自転車では進めないので、防風林の中に自転車を停め、歩いて誰もいない浜に出る。急に開ける目の前は日本海だ。砂丘で仰向けに寝転ぶと、目を閉じても日の光が眩しい。浜に打ち寄せる波の音が足許の方から絶えず響き、空からはトンビのピーヒョロヒョロと鳴く声が聞こえる。

学校はつまらないが、世界は広く開けている。その開けた世界こそが自分の生きていく場所に違いないと思いながら、しばらく瞑想のように横たわる。

サボるのは授業の 1時間か 2時間の間だけなので、砂浜に寝転がっていられたのは長くても正味 30〜40分ぐらいのものなのだが、しょっちゅう行っていたので、全部合わせれば何十時間もいたことになり、その度ごとに永遠の至福のように感じられた。

この庄内砂丘で寝転がっていた体験は、今でも大切な心の財産になっている。ありがとう、庄内砂丘。

 

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