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利己主義や自己中心は悪くない


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2019-2-10(日)

一般にリコやジコチューは悪とされます。

一方で、真に自身の利益(や幸福)の最大化を判断基準にしている人はどれくらいでしょうか。
(そもそも、自身の利益や幸福を知っているのか)


対極の例として:
“(被害者でもないのに)他人の厳罰を望み、喜ぶ”は自身の利害につながりません。

“会社の飲み会を断れない”はむしろ、自身に損害があります。

もっと言うと、“(加害者ではないが)罰の減免を望む”や“飲み会を断る”が逆に自分勝手とされるのです。


もちろん、悪事はいけません。
例えば、物を盗むのは自身の利益ですが、相手の損害なのです。
それはジコチューではなく悪人です。


自身の利益や幸福は、思想の根拠と言えます。
これに気づけば、理想の人生や支持すべき政治家,やめるべき慣習なんかが見えるはずです。


以下は私の例です。

・返済中の奨学金(学資ローン)があるが固定金利だ。
・預金がある。
→金利が上がると利益になります。低金利政策は止めるべきです。

・食品などの安全性()より安さが重要だ。
・安ければ自己責任でもよい。
→労働者を役人が常に監視するシステムができそうです。
安全にうるさくなればコストが増大、値上がりします。
規制は撤廃すべきです。

・税金と保険料が安ければ所得が増える。
・税保の使い道が不満だが、全国で似たり寄ったりである。
→中央による支配を緩め、地方分権を進めるべきでしょう。
直接民主制などの多様な民主主義があるべきです。

・子どものころは遊べた。
・大人になるとほぼ自由がない。
→大人になるかは本人が決められるとよいです。
技術の開発を急ぎましょう。(遺伝子医療への規制を撤廃すべき)

・厳罰化によるヨクシリョク()よりも冤罪(えんざい)が心配だ。
・しまいには、あれも犯罪,これも犯罪、あれも死刑,これも死刑の不自由国家になるだろう。
→厳罰には反対です。
被害の実損を全てカネで解決するべきです。
(加害者を死刑で殺しても、死んだ被害者は復活しない。どーせなら社会で働いてペイしてもらえば?)


いつも書いていることですね。

もちろん、私がこれを言っても現実は変わりません。
ですが、自身が何を求めているか,どうなれば満足なのかを“根拠つきで”知ることができます。

なんとなく、“他人の厳罰に「ざまー見ろ」”などと思っている人は、自身の利益と幸福を探ってみては?


閲覧ありがとうございました。

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プロフィール

しゅう

Author:しゅう
1991年北海道三笠市生まれ。プロフィール

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