残念ながら、冨安健洋(ボローニャ)の連続フル出場記録は、第24節ラツィオ戦で途切れてしまった。かつてラツィオでプレーしていたシニシャ・ミハイロビッチ監督にとって、この試合は重要なものだった。ボローニャは2-0で勝利を収めたが、そこに冨安の姿はなかった。
冨安は練習で左ふくらはぎの筋肉に痛みを感じ、エコーとMRIで検査をした結果、ヒラメ筋(ふくらはぎ内部の筋肉)に損傷が見つかった。特に深刻なものではないが、大事をとって2、3週間の休養が必要という診断だ。ただ、見方を変えれば、ハードなリズムで戦ってきた疲れをこの期間に癒すことができる。シーズン終盤に向けて、新たなエネルギーを持ってプレーすることができるいい機会だろう。
ボローニャは中部イタリアの美しい町だ。美味しい食事とガリレオ、そしてヨーロッパ最古の大学が有名な、文化の香りのする街である。サッカーチームとしてのボローニャも1909年創立と古く、これまでに7度リーグ優勝を果たしている。しかし、最後のスクデット(優勝)は1964年。それ以降はほぼ真ん中あたりの順位で右往左往しており、ヨーロッパリーグ出場権を狙うよりは、B落ちをしないことの方が現実的な目標だ。
このボローニャで、日本人DFは少しずつ頭角を現し、いまやこの夏のカルチョメルカート(移籍市場)の主役のひとりと目されるまでになった。
ボローニャに移籍するまで、ヨーロッパではほとんどその名は知られていなかった冨安だが、昨シーズンは期待をいい意味で裏切り信頼を勝ち得た。そして今シーズンはそれ以上の活躍を見せ、ミハイロビッチのチームで不動のレギュラーとなった。「不動のレギュラー」というのは決して言葉の綾ではない。ラツィオ戦までセリエAで唯一、すべてフル出場を続けてきたフィールドプレーヤーなのだから。
トミー(イタリアではこの呼び名で親しまれている)は22歳になったばかりの若手だが、テクニックは優れ、そのプレーはクリーンだ。ディフェンダーは時にどうしてもファウルする必要があり、そのため警告や退場は避けられないというのが世界での定説だ。
ところが、冨安は、その常識をあっさりと覆した。彼はラフなプレーをすることなく、チームを守ることができる。これは世界に向けての大きな紹介状である。今シーズンはこれまでの23試合でイエローはたったの4枚、レッドは1枚もない。
長所をもっと挙げていこう。冨安は多才なディフェンダーだ。必要となればどこのポジションでもプレーできる。昨シーズンは主に右SBとして活躍したが、今シーズン、監督のミハイロビッチは彼の188センチという長身を生かさない手はないと考え、より厳しい戦場であるCBに移した。今シーズンはこのポジションで23試合中14試合をプレーしている。残りの9試合は右SBが7回、左SBが2回だ。そして右でプレーした時にはより攻撃にも参加し、その2試合はいずれもゴールを決めている。
こんなプレーをしていれば、他チームの注意を惹かないわけはない。冬のメルカートでは、ミランが積極的に動いた。彼らが示した金額は1500万ユーロ(約19億5000万円)。その他もろもろのボーナスもいれれば、ボローニャは少なくとも2000万ユーロ(約26億円)近くを手に入れることができる計算だった。ほんの十数カ月前、彼らがトミーをベルギーのシント・トロイデンから獲得した時に払った額はたったの600万ユーロ(約7億8000万円)だったのだから、これはボローニャにとってはかなりの儲け話だったはずだ。
しかし、ボローニャはこのオファーをかたくなに拒んだ。その理由を、冨安獲得の張本人であるスポーツディレクターのリッカルド・ビゴンはこう述べている。
「冨安はまだ伸びしろのある選手で、我々は手放す気はない。オファーは多くのチームから寄せられており、彼がイタリアを始めとした世界のトップチームでプレーする力があることは我々もわかっている。しかし、現段階ではボローニャのようなチームで経験を積み、成長をすることが、彼のためにも、イタリアサッカーのためにも最適であると私は信じている」
もちろん、彼はもうひとつの重要な「売らない」理由については口にしない。ボローニャは、冨安の市場価値がもっともっと上がることを確信しているのだ。より大きなオファー(例えば2500万ユーロ+ボーナス)があれば、ボローニャのこの決意も揺らぐはずである。
https://news.yahoo.co.jp/articles/8bf8ca17d3e1edeed8164e9803710e7b2ea2101a
3/3(水) 6:05配信
冨安は練習で左ふくらはぎの筋肉に痛みを感じ、エコーとMRIで検査をした結果、ヒラメ筋(ふくらはぎ内部の筋肉)に損傷が見つかった。特に深刻なものではないが、大事をとって2、3週間の休養が必要という診断だ。ただ、見方を変えれば、ハードなリズムで戦ってきた疲れをこの期間に癒すことができる。シーズン終盤に向けて、新たなエネルギーを持ってプレーすることができるいい機会だろう。
ボローニャは中部イタリアの美しい町だ。美味しい食事とガリレオ、そしてヨーロッパ最古の大学が有名な、文化の香りのする街である。サッカーチームとしてのボローニャも1909年創立と古く、これまでに7度リーグ優勝を果たしている。しかし、最後のスクデット(優勝)は1964年。それ以降はほぼ真ん中あたりの順位で右往左往しており、ヨーロッパリーグ出場権を狙うよりは、B落ちをしないことの方が現実的な目標だ。
このボローニャで、日本人DFは少しずつ頭角を現し、いまやこの夏のカルチョメルカート(移籍市場)の主役のひとりと目されるまでになった。
ボローニャに移籍するまで、ヨーロッパではほとんどその名は知られていなかった冨安だが、昨シーズンは期待をいい意味で裏切り信頼を勝ち得た。そして今シーズンはそれ以上の活躍を見せ、ミハイロビッチのチームで不動のレギュラーとなった。「不動のレギュラー」というのは決して言葉の綾ではない。ラツィオ戦までセリエAで唯一、すべてフル出場を続けてきたフィールドプレーヤーなのだから。
トミー(イタリアではこの呼び名で親しまれている)は22歳になったばかりの若手だが、テクニックは優れ、そのプレーはクリーンだ。ディフェンダーは時にどうしてもファウルする必要があり、そのため警告や退場は避けられないというのが世界での定説だ。
ところが、冨安は、その常識をあっさりと覆した。彼はラフなプレーをすることなく、チームを守ることができる。これは世界に向けての大きな紹介状である。今シーズンはこれまでの23試合でイエローはたったの4枚、レッドは1枚もない。
長所をもっと挙げていこう。冨安は多才なディフェンダーだ。必要となればどこのポジションでもプレーできる。昨シーズンは主に右SBとして活躍したが、今シーズン、監督のミハイロビッチは彼の188センチという長身を生かさない手はないと考え、より厳しい戦場であるCBに移した。今シーズンはこのポジションで23試合中14試合をプレーしている。残りの9試合は右SBが7回、左SBが2回だ。そして右でプレーした時にはより攻撃にも参加し、その2試合はいずれもゴールを決めている。
こんなプレーをしていれば、他チームの注意を惹かないわけはない。冬のメルカートでは、ミランが積極的に動いた。彼らが示した金額は1500万ユーロ(約19億5000万円)。その他もろもろのボーナスもいれれば、ボローニャは少なくとも2000万ユーロ(約26億円)近くを手に入れることができる計算だった。ほんの十数カ月前、彼らがトミーをベルギーのシント・トロイデンから獲得した時に払った額はたったの600万ユーロ(約7億8000万円)だったのだから、これはボローニャにとってはかなりの儲け話だったはずだ。
しかし、ボローニャはこのオファーをかたくなに拒んだ。その理由を、冨安獲得の張本人であるスポーツディレクターのリッカルド・ビゴンはこう述べている。
「冨安はまだ伸びしろのある選手で、我々は手放す気はない。オファーは多くのチームから寄せられており、彼がイタリアを始めとした世界のトップチームでプレーする力があることは我々もわかっている。しかし、現段階ではボローニャのようなチームで経験を積み、成長をすることが、彼のためにも、イタリアサッカーのためにも最適であると私は信じている」
もちろん、彼はもうひとつの重要な「売らない」理由については口にしない。ボローニャは、冨安の市場価値がもっともっと上がることを確信しているのだ。より大きなオファー(例えば2500万ユーロ+ボーナス)があれば、ボローニャのこの決意も揺らぐはずである。
https://news.yahoo.co.jp/articles/8bf8ca17d3e1edeed8164e9803710e7b2ea2101a
3/3(水) 6:05配信