薬剤取調之方法の歴史的意義2
2024年12月15日
洋学 at 19:12 | Comments(0) | 医学史
さらに達の本文を読むと、文部省からは、昨年(明治5年)11月に贋薬防止のために司薬局設置を願い出ていたとある。
つまり、「薬剤取調之方法」原案は明治5年11月には提出されていた。相良知安は明治5年10月8日に第一大学区医学校校長に任命されていた。相良知安らが一ヶ月ほどで作成したのが;「薬剤取り調之方法」初案であった。
このとき、長与は岩倉使節団で日本にはいない。
初案提出をうけた正院から明治6年3月28日に、外務省、法制課、大蔵省からそれについての申牒(意見)を出したので、文部省で再審議するようにとの達しが出た。
その達しをうけて文部省では司薬局設置につき、「薬剤取調之方法」の成案を整理し、その成案をつけて5月20日に上陳した。
それに対する正院からの各関係省庁への再審議の命令が、明治6年6月15日の医制取調の達だった。
つまり、「薬剤取調之方法」の初案は、明治5年11月に太政官へ提出され、審議されたあと、文部省へ差し戻され、明治6年5月20日に再案が提出され、それをうけて明治6年6月15日の太政官からの「医制」取り調べであった。
長与専斎が二代目医務局長へ就任(明治6年6月13日)以前の相良知安らにより「薬剤取調之方法」原案が作成されていたのだった。
3.薬剤取
調之方法の条文検討「
「序文に「今般医学校御雇教師ニ西洋諸国薬品ノ制度ヲ問合候処、国土民風相異リ、俄ニ行ハレ難キヲ以テ、当時行ハルベキ方法ヲ吟味取調候翻訳左ノ如シ」とある。
つまり、近代日本の薬品制度について、御雇い教師(ミュルレルら)に西洋諸国の薬品の制度を問い合わせたところ、国土や民風も違うのでにわかには出来ないだろうと言われた。
だからこそ、当時(現在)我が国の国土民風にあう薬品制度の方法を吟味し(知安らが)翻訳したものが以下の条文である
ミュルレルらへ諮問し、「薬剤取調之方法」をまとめたのは、長与専斎でなく、第一大学区医学校校長の相良知安らであった。
条文は「日本国ニ於テ薬品買売之方法大略」と題して28条と付則として医の略制を6条でまとめている。付則は、のちの「医制」につながる大事な条文で、すでに準備がされていた。
「薬品買売の方法大略」の第一条は薬舗は政府の許可を得るべき事とあり、薬舗は政府の営業許可を必要とするとした。
第二条は、薬舗の免許状を与えるには学術の有無を試験して薬舗必用の諸学と実地技術を通学させて初めて免許状を与える。しかし現状は学術通暁の製剤家は得がたいので、先に免状を与えて何年かのちに試験をして、そのとき学術不備の者は免状を除去するとした。
つまり、「薬剤取調之方法」原案は明治5年11月には提出されていた。相良知安は明治5年10月8日に第一大学区医学校校長に任命されていた。相良知安らが一ヶ月ほどで作成したのが;「薬剤取り調之方法」初案であった。
このとき、長与は岩倉使節団で日本にはいない。
初案提出をうけた正院から明治6年3月28日に、外務省、法制課、大蔵省からそれについての申牒(意見)を出したので、文部省で再審議するようにとの達しが出た。
その達しをうけて文部省では司薬局設置につき、「薬剤取調之方法」の成案を整理し、その成案をつけて5月20日に上陳した。
それに対する正院からの各関係省庁への再審議の命令が、明治6年6月15日の医制取調の達だった。
つまり、「薬剤取調之方法」の初案は、明治5年11月に太政官へ提出され、審議されたあと、文部省へ差し戻され、明治6年5月20日に再案が提出され、それをうけて明治6年6月15日の太政官からの「医制」取り調べであった。
長与専斎が二代目医務局長へ就任(明治6年6月13日)以前の相良知安らにより「薬剤取調之方法」原案が作成されていたのだった。
3.薬剤取
調之方法の条文検討「
「序文に「今般医学校御雇教師ニ西洋諸国薬品ノ制度ヲ問合候処、国土民風相異リ、俄ニ行ハレ難キヲ以テ、当時行ハルベキ方法ヲ吟味取調候翻訳左ノ如シ」とある。
つまり、近代日本の薬品制度について、御雇い教師(ミュルレルら)に西洋諸国の薬品の制度を問い合わせたところ、国土や民風も違うのでにわかには出来ないだろうと言われた。
だからこそ、当時(現在)我が国の国土民風にあう薬品制度の方法を吟味し(知安らが)翻訳したものが以下の条文である
ミュルレルらへ諮問し、「薬剤取調之方法」をまとめたのは、長与専斎でなく、第一大学区医学校校長の相良知安らであった。
条文は「日本国ニ於テ薬品買売之方法大略」と題して28条と付則として医の略制を6条でまとめている。付則は、のちの「医制」につながる大事な条文で、すでに準備がされていた。
「薬品買売の方法大略」の第一条は薬舗は政府の許可を得るべき事とあり、薬舗は政府の営業許可を必要とするとした。
第二条は、薬舗の免許状を与えるには学術の有無を試験して薬舗必用の諸学と実地技術を通学させて初めて免許状を与える。しかし現状は学術通暁の製剤家は得がたいので、先に免状を与えて何年かのちに試験をして、そのとき学術不備の者は免状を除去するとした。