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2014.08.10
探しものは旅のようなものだったーGoogleネイティブの僕らが探し下手なのはどうしてか?
少女:先生を見てると、物心ついたときから触れている私達の方がネットを使いこなしてない気がします。
司書:そうでしょうか?
少女:さっきもそうですけど、どこそこの図書館のアーカイブでこんな資料を見ることができるとか、教えてもらってばかりな気がして。
司書:それはたまたま私がその資料のことを知っていたからでしょう。
少女:そうかもしれませんが、「たまたま」じゃない気がするんです。
司書:では、こういうことかもしれません。インターネットを使い始めたとき「なんと便利なものだろう」と思いながら比べていたのは、足を運んで図書館や文書館へ行き、書誌やカードを繰り書架の前を行ったり来たりしながら文献を探すことでした。半日、時には何日もかかった作業が、すべてではないにしろ自室でほとんど数分でできる(ことがある)、という比較の仕方をしていたのです。
少女:私達にとっては、最初からそういうものというか、日常になってます。
司書:ええ。それで思い出したのですが、私たちの世代の人間にとっては、調べ物というのは、どこか〈よそゆき〉の仕事であったように思います。たとえば、図書館で調べものにつかう書物は大抵、個人では揃えるのが難しいような高価なものでした。出始めたころの商業データベースなどもそうです。そして、そんな高い敷居の向こうにあるのは、日常生活では決して目にしないだろう光景や、出会うことがないと思える人の考えであり、知識でした。大げさに言えば、調べ物は日常を越え出る旅のようなものだったのです。そしてインターネットは、これも誇張した表現だと思われるでしょうが、一部ではあってもそんな非日常への回路を自室に引き込んだものに思えました。
少女:私達にはなんだか実感しにくいです。
司書:あなたの世代にとっては、ネットは〈普段着〉の世界であり、選択の余地のない日常の延長なのかもしれません。たとえばリプライ(返信)しないことが、対面で話しかけられているのにわざと顔を背けて無視することに等しいような。
少女:確かにあまりに日常的だから、かえって広がりにくいというのはあるかもしれません。普段ネットを介してやり取りするって、ほとんど会って話をする人だし。
司書:私たちの場合は、近くにインターネットをしている人はほとんどいませんでした。我々の世代にはやはり、いくらか敷居が高いもので、これも大げさに言えば、わざわざ〈挑戦〉するものでしたから。実際、ネットを介して知り合った人たちはみな遠方に住んでいました。
少女:さっきの話で言うと、日常生活では会うことのないような人たちとやりとりする手段だったということですか?
司書:ええ。付け加えるなら、彼らの多くはパソコン通信からのユーザーで、一種の〈刷り込み〉なのでしょうか、「ネットする」というのはパソコンと通信回線を介して何かを「読み書きする」ことだと無意識に思い浮かべるようです。写真や動画を投稿したり見たりするのでなく。そういえば、あなたに魚のおろし方の動画を紹介してもらいましたね。
少女:そういえば、そんなことも。
司書:あの時、いくつか魚のおろし方の書物を集めていたのですが、最も参考になったのは、実際に料理人の方が魚に包丁を振るっている映像の方でした。そして自分の探し方もまたbookishなものに偏っていることを思い知りました。
少女:ええ、そんな。
司書:もう一つ。ある英文に出てくる「lollipop lady」という言葉の意味を尋ねられたことがあります。辞書を引くと「学童道路横断監視員, `緑のおばさん'」(リーダーズ英和辞典)、「学童交通整理員,緑のおばさん」(ランダムハウス英和大辞典)とあるのですが。
少女:小学生の登校や下校の時間に横断歩道に立って子どもたちが安全に渡れるよういてくれる人ですね。
司書:では何故 lollipop なのか分かりますか?
少女:ランダムハウスには、「lollipop(棒付きキャンディー)に似た標識を持っていることから」ってありますけど、キャンディに似た標識って一体?
司書:私も同じ疑問を持ちました。氷解したのは、Adrian RoomのDictionary of Britain (Oxford University Press,1986)を翻訳した『英国を知る辞典』(渡辺時夫 監訳、研究社出版, 1988)を見てからです。原著のDictionary of Britainは、当たり前すぎて文献にわざわざ書かれないような、イギリス文化のあらゆる領域における〈日常の秘密〉を解きあかしてくれる辞書ですが、訳者たちは原著にはない写真(イギリス滞在中に訳者たちが撮影したものです)をたくさん翻訳書に追加してくれています。「lollypop lady」の例は、訳者たちの序文にも出てくるのですが、写真を見れば「lollipopに似た標識を持っている」というのは一目瞭然です。
少女:ほんとだ。この本、すごく面白いです。
司書:ですが今では、Googleで単純に「lollipop lady」を検索すれば、辞書や事典とともに画像まで見つかります。
少女:簡単すぎて、ちょっとがっかり。旅行に出かけそこなった気分です。
司書:そう思われるのはおそらく、我々が先に〈寄り道〉をしたからでしょう。旅というなら、行き先に到着することだけが目的ではありませんから。
少女:『英国を知る辞典』って辞書、知りませんでした。Googleで探していたら、すぐに答えはわかったけれど、この辞書と会うことはなかったと思います。
司書:検索エンジンのような全文検索が使えない時代には、「それは何に属するのか?」を推測することが探しもの主たるアプローチのひとつでした。「何に属しているか」から「どの本に載っていそうか?」を推測し、その本を一通り見てダメなら次の候補に当たる、という繰り返しです。そこでは〈寄り道〉は、半ば強いられたものでした。ある特定の事項だけを一本釣りで引き上げることはできないかわりに、どんな分野にどんな探し物のツールがあるのかを実地に当たっていく訳です。探しものに関して、あなたと比べて私がより多く持っているとすれば、こうしたまわり道や寄り道の経験なのだろうと思います。
司書:そうでしょうか?
少女:さっきもそうですけど、どこそこの図書館のアーカイブでこんな資料を見ることができるとか、教えてもらってばかりな気がして。
司書:それはたまたま私がその資料のことを知っていたからでしょう。
少女:そうかもしれませんが、「たまたま」じゃない気がするんです。
司書:では、こういうことかもしれません。インターネットを使い始めたとき「なんと便利なものだろう」と思いながら比べていたのは、足を運んで図書館や文書館へ行き、書誌やカードを繰り書架の前を行ったり来たりしながら文献を探すことでした。半日、時には何日もかかった作業が、すべてではないにしろ自室でほとんど数分でできる(ことがある)、という比較の仕方をしていたのです。
少女:私達にとっては、最初からそういうものというか、日常になってます。
司書:ええ。それで思い出したのですが、私たちの世代の人間にとっては、調べ物というのは、どこか〈よそゆき〉の仕事であったように思います。たとえば、図書館で調べものにつかう書物は大抵、個人では揃えるのが難しいような高価なものでした。出始めたころの商業データベースなどもそうです。そして、そんな高い敷居の向こうにあるのは、日常生活では決して目にしないだろう光景や、出会うことがないと思える人の考えであり、知識でした。大げさに言えば、調べ物は日常を越え出る旅のようなものだったのです。そしてインターネットは、これも誇張した表現だと思われるでしょうが、一部ではあってもそんな非日常への回路を自室に引き込んだものに思えました。
少女:私達にはなんだか実感しにくいです。
司書:あなたの世代にとっては、ネットは〈普段着〉の世界であり、選択の余地のない日常の延長なのかもしれません。たとえばリプライ(返信)しないことが、対面で話しかけられているのにわざと顔を背けて無視することに等しいような。
少女:確かにあまりに日常的だから、かえって広がりにくいというのはあるかもしれません。普段ネットを介してやり取りするって、ほとんど会って話をする人だし。
司書:私たちの場合は、近くにインターネットをしている人はほとんどいませんでした。我々の世代にはやはり、いくらか敷居が高いもので、これも大げさに言えば、わざわざ〈挑戦〉するものでしたから。実際、ネットを介して知り合った人たちはみな遠方に住んでいました。
少女:さっきの話で言うと、日常生活では会うことのないような人たちとやりとりする手段だったということですか?
司書:ええ。付け加えるなら、彼らの多くはパソコン通信からのユーザーで、一種の〈刷り込み〉なのでしょうか、「ネットする」というのはパソコンと通信回線を介して何かを「読み書きする」ことだと無意識に思い浮かべるようです。写真や動画を投稿したり見たりするのでなく。そういえば、あなたに魚のおろし方の動画を紹介してもらいましたね。
少女:そういえば、そんなことも。
司書:あの時、いくつか魚のおろし方の書物を集めていたのですが、最も参考になったのは、実際に料理人の方が魚に包丁を振るっている映像の方でした。そして自分の探し方もまたbookishなものに偏っていることを思い知りました。
少女:ええ、そんな。
司書:もう一つ。ある英文に出てくる「lollipop lady」という言葉の意味を尋ねられたことがあります。辞書を引くと「学童道路横断監視員, `緑のおばさん'」(リーダーズ英和辞典)、「学童交通整理員,緑のおばさん」(ランダムハウス英和大辞典)とあるのですが。
少女:小学生の登校や下校の時間に横断歩道に立って子どもたちが安全に渡れるよういてくれる人ですね。
司書:では何故 lollipop なのか分かりますか?
少女:ランダムハウスには、「lollipop(棒付きキャンディー)に似た標識を持っていることから」ってありますけど、キャンディに似た標識って一体?
司書:私も同じ疑問を持ちました。氷解したのは、Adrian RoomのDictionary of Britain (Oxford University Press,1986)を翻訳した『英国を知る辞典』(渡辺時夫 監訳、研究社出版, 1988)を見てからです。原著のDictionary of Britainは、当たり前すぎて文献にわざわざ書かれないような、イギリス文化のあらゆる領域における〈日常の秘密〉を解きあかしてくれる辞書ですが、訳者たちは原著にはない写真(イギリス滞在中に訳者たちが撮影したものです)をたくさん翻訳書に追加してくれています。「lollypop lady」の例は、訳者たちの序文にも出てくるのですが、写真を見れば「lollipopに似た標識を持っている」というのは一目瞭然です。
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少女:ほんとだ。この本、すごく面白いです。
司書:ですが今では、Googleで単純に「lollipop lady」を検索すれば、辞書や事典とともに画像まで見つかります。
少女:簡単すぎて、ちょっとがっかり。旅行に出かけそこなった気分です。
司書:そう思われるのはおそらく、我々が先に〈寄り道〉をしたからでしょう。旅というなら、行き先に到着することだけが目的ではありませんから。
少女:『英国を知る辞典』って辞書、知りませんでした。Googleで探していたら、すぐに答えはわかったけれど、この辞書と会うことはなかったと思います。
司書:検索エンジンのような全文検索が使えない時代には、「それは何に属するのか?」を推測することが探しもの主たるアプローチのひとつでした。「何に属しているか」から「どの本に載っていそうか?」を推測し、その本を一通り見てダメなら次の候補に当たる、という繰り返しです。そこでは〈寄り道〉は、半ば強いられたものでした。ある特定の事項だけを一本釣りで引き上げることはできないかわりに、どんな分野にどんな探し物のツールがあるのかを実地に当たっていく訳です。探しものに関して、あなたと比べて私がより多く持っているとすれば、こうしたまわり道や寄り道の経験なのだろうと思います。
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