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2012.07.31
では新聞記事は本当に短いのか?→新聞より長いのは『細雪』と判決文だけ
「ジャーナリスト系の論者には、とりわけ短文信仰が強い。」(斉藤美奈子『文章読本さん江』p.64)
「新聞記者の短文信仰には理由がある。新聞は一行十一字詰め(昔は十五字詰め)で印刷される。一文が短くないと、読みにくいのだ。」(斉藤美奈子『文章読本さん江』p.65)
確かに新聞記者出身者が書く文章表現本には、記者時代のトレーニングを引き合いに出して短文を強く勧める傾向がある。
とはいえ先の記事
「文は短く」は俗説か?ー〈短文信仰〉を屠り、短文のレトリックと長文のロジックを取り戻すために 読書猿Classic: between / beyond readers
で引いた中では、中村明と安本美典は学者だし、一行十一字詰め印刷を常に意識しなければならない訳ではない。
それに、斉藤の引用を読む限り、新聞記事の一文が短いのは既成事実のようだが、果たして本当にそうなのだろうか?
以下はまったく網羅的でない文献調査を行い、たまたま入手できた論文・書籍等からデータの孫引きしてつくったグラフなのだが(赤色が新聞記事、青色が他の文章のセンテンスの長さ)
(出所)
・石田栄美, 安形輝, 野末道子, 久野高志, 池内淳, 上田修一(2004) 「文体からみた学術的文献の特徴分析」『三田図書館・情報学会2004年度研究大会』.
・前川守(1995)『1000 万人のコンピュータ科学 3 文学編 文章を科学する』 岩波書店.
・森由紀(1998)「専門分野の日本語:社会科学系資料の分析をもとに」『第11回日本語教育連絡会議発表論文集』
・鈴木正道(2010)「日本の新聞の1面コラム」『言語と文化』 (7) 43-58.
・星川法子(2005)「形態素解析による若い作家の小説の特徴の研究」園田学園女子大学卒論.
新聞記事のセンテンスの長さは、研究によって大きな違いがある。
という以外には、新聞記事のセンテンスは必ずしも短いとはいえない(新聞記事に対して1センテンスの長さではっきり勝っているといえるのは判決文と谷崎潤一郎だけである)程度のことが言えるだけである。
比較しやすいように、長い順に並び替えたグラフが以下。
谷崎は、日本文学の中でも破格に長い文章を書くと知られる作家である。
会話を含む小説では、太宰治『人間失格』の平均60字だって相当に長いのだが、『細雪』の平均170字なんて異常の域である。
判決文は、新聞記者とは逆に、「裁判官・検察官・弁護士といった法曹界の人材を養成する司法研修所では、一文を5行程度は続けるよう指導されている」というフォークロアがあることを森(1998)が触れているほどで、200字以上の長いセンテンスが頻出する、ジャンル別ではおそらく最も長い日本語のひとつといっていいと思う。
他方、新聞記事の中でも短文が多い印象があるコラムを比較したものを見れば(鈴木正道、2010)、毎日新聞「余録」51.2字から朝日新聞「天声人語」28.8字までかなりの幅がある。
中でも朝日新聞「天声人語」は特に短いのであり、これをもって新聞記事の典型とみなすのはちょっと乱暴だと言わざるを得ない。
今回は、黒田圭『よくわかる文章表現の技術』がデータをあげて議論するというスタンスだったのと、斉藤美奈子『文章読本さん江』を読み返して、ずいぶん強く言い切ってたなと感じたことがあって、本当はどうなの?とセンテンスの長さを調べてみる気になった。
教訓は「何事も調べてみないと分からない」というしまらない(けれど大切ではある)ものだけれど、最後にグラフをもうひとつ。
(出典)野元菊雄(1978)「話しことばに近づく新聞文章」大石初太郎他『ことばの昭和史』(朝日新聞社)収録。
これによれば、新聞記事のセンテンスの長さに変化が生じたのは比較的新しい。
太平洋戦争を挟んで前後でほとんど変化なかったのが、1960年代以降になって短いセンテンスへの変化が生じている。
「新聞記者の短文信仰には理由がある。新聞は一行十一字詰め(昔は十五字詰め)で印刷される。一文が短くないと、読みにくいのだ。」(斉藤美奈子『文章読本さん江』p.65)
確かに新聞記者出身者が書く文章表現本には、記者時代のトレーニングを引き合いに出して短文を強く勧める傾向がある。
とはいえ先の記事
「文は短く」は俗説か?ー〈短文信仰〉を屠り、短文のレトリックと長文のロジックを取り戻すために 読書猿Classic: between / beyond readers
で引いた中では、中村明と安本美典は学者だし、一行十一字詰め印刷を常に意識しなければならない訳ではない。
それに、斉藤の引用を読む限り、新聞記事の一文が短いのは既成事実のようだが、果たして本当にそうなのだろうか?
以下はまったく網羅的でない文献調査を行い、たまたま入手できた論文・書籍等からデータの孫引きしてつくったグラフなのだが(赤色が新聞記事、青色が他の文章のセンテンスの長さ)
(出所)
・石田栄美, 安形輝, 野末道子, 久野高志, 池内淳, 上田修一(2004) 「文体からみた学術的文献の特徴分析」『三田図書館・情報学会2004年度研究大会』.
・前川守(1995)『1000 万人のコンピュータ科学 3 文学編 文章を科学する』 岩波書店.
・森由紀(1998)「専門分野の日本語:社会科学系資料の分析をもとに」『第11回日本語教育連絡会議発表論文集』
・鈴木正道(2010)「日本の新聞の1面コラム」『言語と文化』 (7) 43-58.
・星川法子(2005)「形態素解析による若い作家の小説の特徴の研究」園田学園女子大学卒論.
新聞記事のセンテンスの長さは、研究によって大きな違いがある。
という以外には、新聞記事のセンテンスは必ずしも短いとはいえない(新聞記事に対して1センテンスの長さではっきり勝っているといえるのは判決文と谷崎潤一郎だけである)程度のことが言えるだけである。
比較しやすいように、長い順に並び替えたグラフが以下。
谷崎は、日本文学の中でも破格に長い文章を書くと知られる作家である。
会話を含む小説では、太宰治『人間失格』の平均60字だって相当に長いのだが、『細雪』の平均170字なんて異常の域である。
判決文は、新聞記者とは逆に、「裁判官・検察官・弁護士といった法曹界の人材を養成する司法研修所では、一文を5行程度は続けるよう指導されている」というフォークロアがあることを森(1998)が触れているほどで、200字以上の長いセンテンスが頻出する、ジャンル別ではおそらく最も長い日本語のひとつといっていいと思う。
他方、新聞記事の中でも短文が多い印象があるコラムを比較したものを見れば(鈴木正道、2010)、毎日新聞「余録」51.2字から朝日新聞「天声人語」28.8字までかなりの幅がある。
中でも朝日新聞「天声人語」は特に短いのであり、これをもって新聞記事の典型とみなすのはちょっと乱暴だと言わざるを得ない。
今回は、黒田圭『よくわかる文章表現の技術』がデータをあげて議論するというスタンスだったのと、斉藤美奈子『文章読本さん江』を読み返して、ずいぶん強く言い切ってたなと感じたことがあって、本当はどうなの?とセンテンスの長さを調べてみる気になった。
よくわかる文章表現の技術〈1〉表現・表記編 (新版) (2009/11) 石黒 圭 商品詳細を見る |
文章読本さん江 (ちくま文庫) (2007/12/10) 斎藤 美奈子 商品詳細を見る |
教訓は「何事も調べてみないと分からない」というしまらない(けれど大切ではある)ものだけれど、最後にグラフをもうひとつ。
(出典)野元菊雄(1978)「話しことばに近づく新聞文章」大石初太郎他『ことばの昭和史』(朝日新聞社)収録。
これによれば、新聞記事のセンテンスの長さに変化が生じたのは比較的新しい。
太平洋戦争を挟んで前後でほとんど変化なかったのが、1960年代以降になって短いセンテンスへの変化が生じている。
ことばの昭和史 (1978年) (朝日選書) (1978/01) 大石 初太郎 商品詳細を見る |
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