言語ゲーム

とあるエンジニアが嘘ばかり書く日記

Twitter: @propella

とじこもる長女パンを焼く次女

最近長女はずっと部屋にとじこもっている。リビングに置いてあるパソコンでゲームをする事もなく、iPad だけを持って部屋で何かをしているのだが、よくわからない。せめてゲームなら話している声で何となく友達関係などが分かるのだが、静かすぎて起きてるのか寝てるのかも判らない。不思議な事に機嫌が悪いわけでも無い。それなりに親子で会話はある。ただ食事の時だけリビングに降りてきて、終わるとすぐに引っ込んでしまう。

これが思春期特有のどこにでもある話で、特に心配しなくてもいいならほっとくのだが、良くわからない。以前次女が部屋にとじこもった時はいかにも病的に毎晩泣いていたのだが、そういう訳でもなく、ただわけがわからない。

次女はおばあちゃんにもらったパン焼き機が大層気に入って、毎週のようにパンを焼いている。パン焼き機の難易度がちょうど合っていたようだ。お買い物に行ったり、料理のお手伝いもするようになってすっかり明るくなった。今日はパウンドケーキ型でガトーショコラを上手に焼けてご機嫌だった。危機的な状況からやっと脱する事ができた。

ただ、次女が元気になるとどうしても妻が次女と外出する機会が増えて、長女だけ自宅で一人という事が多くなってしまった。なかなか全部はうまくいかない。

病院に行けない

先週のクリニックで長女が診察室に入れなかったからかお医者さんに匙を投げられたので、今度は別のお医者さんに行った。ここはホームページに子供のトラウマ治療ができると書いてあり期待できる。しかし先週の気持ちが残っているからか長女は家を出る事すらできなかった。それでも予約してしまったので車で向かいながら肝心の患者が顔を出せない旨を説明すると、5,500円で「家族相談」というのに切り替えてくれるらしいので今回そちらでお願いした。

今度のお医者さんも丁寧に話を聞いてくれたのだが、やはり本人を診ないと薬は出せないらしく、行き詰まってしまった。幸いまだ薬は残っているのでとりあえず来月予約を取って来週連れてきますと約束した。この状況は非常にやばい。

今までも何度か転院したが、長女が完全にお医者さんに会えない事は無く何とかなった。しかし今回頑なに拒む上に今の主治医の移動のため投薬が途絶えてしまう可能性がある。今でも薬を飲みながらギリギリ日常生活を送っているのに、薬が切れると恐ろしい事になる。妻は今回のお医者さんを気に入ったようで、何とかしてでも来月長女を連れてくる気でいるのだが、長女はこの一年まともにお医者さんと会話できていないので楽観できる要素がまるで無い。

お医者さんというのは困った人を助ける素晴らしい仕事だが、本当に困ってしまうとお医者さんにも行けず、救いが無い。他の選択肢としては訪問診療と入院がある。訪問診療はかなりレアで探すのが難しく、入院となるとせっかくここまで回復したのが悪化する可能性がある。

不登校小学五年生の双子が登校する

今週久しぶりに双子が学校に行った。

何がどうなって登校する話になったのかよくわからないのだが、数時間だけ授業に出て別室で給食を食べて帰ってきた。そういえば最近担任の先生が教育委員会に報告しないといけないからと言って突然電話をかけてきたり子供とチャットしたりしていた事があったので、なんとなく行く気になったのかも知れない。

とは言えサポートはなかなか大変で、双子はまだ一人で歩いて学校に行けない。登校時間を避けて使われていない北門に車を停めて、双子のそれぞれで出席できる科目を調整して、出席できない時間は別室で待機して、などのややこしい手配を妻が全部一人でやってくれた。先生にも超特別な配慮をしていただいたようだ。最近は不登校も珍しくないので、少しずつ学校も対応に慣れてきているのかも知れない。ありがたい。

昨年の春にセルトラリンを処方して頂いてから長女の精神状態は随分良くなった。調子の良い時は不登校になる以前のようにご機嫌で饒舌になる。ただ残念ながら今通っている精神科の先生がこの春転勤される事になり、急遽他の先生を探さないと行けなくなって途方にくれている。

難しい病気なので何件もハシゴする覚悟で昨日一件目の先生の初診があった。なだめすかせてなんとか長女を病院まで連れてきたが、どうしても診察室に入ってくれない。先生が待合室まで足を運んで会話を試みたが会話は成立せず、この様子では診断ができず投薬も難しいと先生に言われてしまった。そんなー。元気に病院に行けるレベルなら薬いらんやろ!と言いたい。

良いお医者さんが見つかりますように。

奥琵琶湖で雪遊び

先週末自宅から 500 km ドライブして琵琶湖西岸の高島市という所で雪遊びをしてきた。と書くと旅行ばっかりしている風だが、うちの子供達が唯一屋外で遊べるのがオンライン友達と一緒の時だけなので、無理して関西でのオフ会を企画したのだ。今回の旅程は二泊三日で。二日目に初心者向けの行き歩きツアーに参加して、スノーシュー(かんじき)を履いての雪の中を歩くというのを子供たちに体験させた。

関西へのドライブも随分慣れたが、三日間のうち二日往復に費やすというのはなかなかしんどい。しかもうちの子供達はは常にリタイアの可能性があり、いつどんな状況で歩けなくなっても対処できるように万全の体制が必要で、常に緊張感を強いられる過酷な旅である。

ツアーは 9:00 に近江高島駅前のツアー事務所に集合。参加者はよく遊ぶオンライン友達の親3人子供6人に加えて、見知らぬ老夫婦が居た。事務所から現地まで送迎してもらう事になっているが、うちの子の途中脱落の可能性を考え現地まで自分の車でついてゆく事にした。この件を説明すると「ゆるいツアーなので小学生でも大丈夫ですよ〜」とガイドさんに鼻で笑われたが、今まで甘く見て何度も辛い思いをしてきたので恥を捨てる。

10:00 ごろ現地拠点の「森林公園くつきの森 やまね館」という施設に到着。駐車場もあって想像より安心感があるが、携帯の電波が無く一抹の不安を覚える。周囲は一面の雪だ。そこからおしっこをしてスノーシューに履き替えちょっとした広場に着いたら 12:00 前だった。

そこで案の定長女の電池が切れお腹が空いた!と言い出した。まだガイドさんは昼食の準備中だったが、先に食べさせてもらう。食べ終わると今度はしんどい!帰りたい!と叫び出す。しかし帰るには駐車場まで雪の中をスノーシューで歩く必要があり途方に暮れる。流石に雪の中をおんぶはキツい。叫び声はガイドさんにも伝わり嫌な雰囲気になってきたところ、ネット友達の M ちゃんがバレンタインという事でチョコをくれて、これで一挙に機嫌が直った。

当初の予定では、14:30 ごろまで広場でソリをしたり雪だるまを作ったりして遊ぶ予定だったのだが、ガイドさんは不穏な空気を悟ったのかお昼ご飯が終わった時点で帰る事になった。なんか非常に申し訳ないが、長女の機嫌が直ったこのタイミングで歩き始めないと帰れないだろう。

帰りも結構歩いたが、長女は終始おしゃべりしながらご機嫌だった。我々のグループの子どもたちはみんな不登校組で、ひきこもりレベルも似たり寄ったりだが、一緒に参加した老夫婦はもしかしてもっと雪を楽しみたかったかもしれず申し訳なかった。

まあ、無事帰れてよかった。

雪の数時間以外は結局宿でゲーム三昧で、そんなに大した事はしていないのだが非常に疲れた挙句、子供のシートベルトを確認しようとしてちょっとしゃがんだ瞬間私はぎっくり腰になってしまった。それでも最悪の自体は免れたのでなかなか達成感のある旅だった。一週間経ってもまだ腰は痛い。

近所の子供が来る

今日は久しぶりに近所の R ちゃんコンビが遊びに来てくれた。R ちゃんコンビは双子より二つ年上の中学一年生、双子が小学校一年生の時に公園で出会って以来うちに来るようになった。双子が不登校になってからは余裕が無くて一度は「ごめんね、もう来ないでね」と言ってしまった事もあったが、最近お互いに成長してきた事もありまた遊べるようになった。

昨年末のオフ会で張り切って以来自宅に閉じこもってリアル友達と遊ぶ機会が無かった長女も、久しぶりのお姉さんの登場に大興奮で、『のびのびTRPG ザ・ホラー』というテーブルゲームで盛り上がった。妙に反抗期になってしまってもうお父さんとはテーブルゲームをやってくれない。子供同士で遊んでいる姿は本当に楽しそうでお友達が来てくれて本当に良かった。これも子供達が小さい頃私がリモート勤務をしながらお茶をあげたりお菓子をあげたり一生懸命接待したからだと自己満足。

実は、R ちゃんコンビも不登校だ。週に何度か部活に行ってるようだが、教室には通えてないらしい。身の回りの不登校の多さに恐ろしくなってしまう。不登校の子供にも友達が必要だし集まる場所は必要だ。学校に通っていれば勉強ができなくても当たり前のように手に入る物が不登校には難しく、とても不憫だ。一応市も不登校を無視しているわけでは無く、不登校の子供達が自習できるスペースを用意してくれているのだが、あくまでも学校みたいな雰囲気の自習スペースなので、うちみたいな学校嫌いにはとても通えない。もはや不登校は例外ではない時代になので、もうちょっとサポートがあればなと思う。

ながらくサラダには胡麻ドレ以外かけなかった長女が、オリーブオイルと塩をかけるようになった。次女は今まで食べなかった沢庵を食べるようになった。少しずつ変化している。

不登校五年生のパン作り

お正月に私の実家から「パン焼き機」をもらってきた。手軽に家庭で出来立てパンが楽しめると昔流行った時に入手したものだ。実は妻の実家から「餅つき機」をもらった後に全く使ってなくて、使わない家電は貰わない方が良いと妻に言ったばかりだったのでばつが悪かった。思い出の残る家電を孫の家で使って欲しいという年寄りの気持ちを考えるとなかなか断れないものだという事が良くわかった。

とにかく、面倒になる前に一度作ってみる事にした。一番基本の食パンレシピの通りに次女と必要な材料を投入する。次女はケーキやクッキー作りで慣れてきたので、粉を出したり量ったりする動作にだんだん頼り甲斐が出てきた。お菓子作りに比べて粉と水を投入してスイッチを入れるだけなので簡単だ。あとは5時間待って、美味しい食パンが出来上がった!

家族にもなかなか好評で、翌日は材料を変えて食パン型のフランスパンを作った。主な違いは薄力粉を加える事とミルクを入れない事。7時間もかかるので夜に材料を入れて朝焼き上がるようにタイマーをセットすると、パンの焼ける香ばしい香りで朝を迎える事ができた。ちょうど難易度が次女のレベルに合っていて、簡単に美味しいパンが出来上がるので次女は大喜びだった。

「パン焼き機」とは、こね、発酵、焼きを連続して行う機械で、食パンの形なら何でも自動で作れるし、丸いパンを作りたい場合は途中で取り出して別にオーブンで焼けば良いらしい。期待以上に家中が盛り上がった。

時間を売る

年始なので過去の日記を読み返している。愚痴ばっかり書いたと思っていたが意外と少なかった。えらいな私。始まりは三年前に長女が怪我をした事だった。そのまま長女は不登校になり私は子供のケアに専念するため制作を辞めた。さらに翌年私が転職で家を空けるようになると次女も不登校となった。それでも私は希望を失わないように努力してきたつもりだが、一年ほど前に妻が貧血で倒れた後に何もやる気が無くなってしまった。

電話で妻の怪我を聞いた夜の気持ちはよく覚えている。ああ、もうこれはダメだ。いくら努力しても悪い事しか起こらない。今後何も良い事は起こらない。ここから抜け出そうとしても、不気味な力で後ろのどす黒い穴に引っ張られて抜け出せない。

意外にも家族の状況はそれから好転した。妻の怪我はすぐに治り、次女は少しずつ外出できるようになった。長女はセルトラリンの処方以来会話が可能になり、外出は困難だが以前のように饒舌になった。私だけがあの夜の無力感が残ったままだ。それとも、たまたま妻の怪我のタイミングで自覚しただけで自分の無気力には別の理由があるのかも知れない。毎月会社の心理アンケート的な奴に答えているのだが、変だから受診しろとついに警告メールが来た。

話は変わるが若い頃風邪で寝込みながら考えた事がある。

俺は一日八千円のバイトをしている。一日バイトで寝込むと八千円の損害が発生するばかりか、補填のために将来の一日を無駄にする事になる。彫刻家という金を産まない未来を選んだ俺にとってこの損失は莫大だ。損失を最小化するためには、月給の正社員でなければならないし、できたら寝たままでも金が増える仕組みを構築しなければならない。

絶好調の一日も風邪の一日も、一日は同じだ。そうであれば、元気の無い一日を売って、後で元気のある日に売った金を使うべきだ。それから三十年が過ぎて、まあ仕組みはできた。サラリーマンとして寝込んでいても月給は入ってくるし、子供の引きこもりで旅行に行けず貯めた金は株になって何となく増える。バイト暮らしの長い風邪と比べれば時間を無駄にはしていないはずだ。

いつ自分の元気が戻るのか分からないし、その時になって都合よく会社が暇かどうかも分からない。それでも私は無気力な一日を売って、耐える。そして未来を信じて不確実な将来を買うのだ。

自分が無気力になって、かつて軽蔑していた無気力おじさんへの解像度が上がった。人生は勉強になる。