昭和元禄民族差別

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 先日このトゥゲッター(と読んでいいのかな)を見て、なんとなく思い出したことを挙げてみる。

 記事などは出てこないが、国会の議事録を検索すれば概要に触れることができる。

 以下、だいたいのところを引用してみよう。

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 衆 - 文教委員会 - 22号
昭和48年06月15日

 

○長谷川(正)委員 去る六月十一日の夕刻、国電新宿駅と小田急の新宿駅で、また翌日の六月十二日の同じく夕刻に国電高田馬場駅で国士舘大学生及び同高校生による東京朝鮮高校生に対する集団暴行事件が発生いたしまして、たいへんな衝動を与えました。

 

 

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参 - 地方行政委員会 - 11号
昭和48年06月26日

○神沢浄君(略)私は警察庁の長官から、この間新聞紙上をたいへんにぎわしておりました国士館大の学生暴力の問題につきまして、その後どのように対応し、処理をされてきておるかという点を伺いたいのでありますが、その質問に入る前に、参考として、これは朝日新聞の六月十四日の「天声人語」欄、これを読ましていただきますが、「東京の国士館学生の無法ぶりを知って、はき気をもよおす思いだ。高い詰めえり、だぶだぶズボンのいで立ちで、肩をいからせて盛り場を歩きまわる。朝鮮の高校生を見つけては、「目を見た」 「顔を見た」とインネンをつけて、袋だたきにするとこういう手合いを「学生」だと思うから、錯覚のモトになる。ヤクザが詰めえりを着ているのだと考えた万が分かりやすい。「オス」と身内だけの仁義をきりながら、腕っぷしの強さで世間に認めてもらおうという幼稚さも困ったものだが、それがいっぱしの国士なのだと勘ちがいしているのだから、なおさら始末に悪い▼許せないのは、何の関係もない市民まで巻きぞえにしていることだ。新宿駅の階段で、七十歳のおばあさんが突落され、額から血を流すケガをした。「こわかった」と身を震わせていたという。別の駅で、やはり国士館とみられる学生たちが国電を止めて暴れまわり、百五十人の乗客が悲鳴をあげて逃げまどった▼これだけ世間を騒がせているのに、当の大学の責任者からは一言の説明もない。不祥事を起したら、自分たちの教育方針、対策、処分を明らかにするのが、大学の社会的責任というものではないか。何を聞いてもナシのつぶてで、学内は秘密主義のベールに包まれたままだ」と、こうありまして、そのあとがこれはたいへん警察にかかわり合いのあることになっているわけです。「もう一つの不思議は、「詰めえり暴力団」のことになると、警察の動きがなんとも緩慢にみえることである。朝鮮学校、通勤者、商店街からも苦情が出て、新聞に報道されたあと、やっと重い腰を上げたのは十二日のこと。しかも「朝鮮側の暴力もあります」と、まるでケンカ両成敗のような口ぶりで説明をする警察幹部もいる▼朝鮮人に抱く偏見という奥深いところに、この事件の根があることに、ことさら目をつぶって、お茶をにごしてはならない」。と、こういうなにがあるわけなんです。「天声人語」です。

 

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衆 - 法務委員会 - 40号
昭和48年07月04日

こういうことをなくして、学内の民主化をやろうという運動が起きておるにもかかわらず、少数の右翼学生はこれをはばもうとしておる。ことに許しがたいのは、チッソの総会で暴力団の一員として雇われて、そしてあのチッソの総会で公害病患者に対して暴力をふるう。これは国士舘の学生だと言われている。あるいはガードマンに雇われて、そのガードマンの先兵になっている。こういうように反動的な、右翼的な、反民主的な行動をずっととってきているわけです。
 講師には賀屋興宣、石原慎太郎、こういった連中が講師に呼ばれている。これは勇ましい右翼政治家ですからきっとすばらしい講演をやるでしょう。体質的にこういうものがずっと反共を呼び、尊皇愛国の精神を涵養している、こういうことになるわけです。
 旧軍隊の憲兵がこの学校には約五十人、高校に約十人おります。そして天長節には軍艦マーチが吹奏されて、赤いオープンカーに舘長が乗って閲兵する。そうして、学生が小銃がわりの一・五メートルの棒を肩にかついで分列行進をやる。ちょうど学徒の出陣と同じような情景が展開される。教授会は御前会議と呼ばれる。この御前会議というのは何ごとですか。そして、コの字型の机に教授がすわっていると、大元帥服にそっくりの服を着た舘長がしずしずとあらわれる。こういう情景です。
 この学生はチッソだけでない、三里塚の応援にも行っている。それは農民の味方をするのではなしに、三里塚において公団側のガードマンとして暴力をふるっている。前の舘長の柴田舘長が死んだときには、自民党の副総裁の椎名悦三郎氏が追悼文を読んでいる。その追悼文の一節は、柴田精神で訓育されているような青年こそ最も日本が望んでいる人材でなければならないと信じます、とある。驚くべきことです。葬儀委員長は石井光次郎さん。昭和三十八年工学部の開校式には田中角榮氏その他の諸君が参加をしております。
 だから、局長が改善をしようとしても、こういううしろに大きな、目に見えないバックがあり、これが大学の反動性をささえる大きな支柱になっているわけです。だから、君たちの指導には限界があるということはわかる。それが実は法律の限界でなく、政治の限界なんですよ。こういうような反憲法的な、反民主的な、反動的な、依然明治憲法的なものが存在している、憲法に反するような教育をやっているのを、文部省はどうにもなりません、それは学校の自主性ですと言って、これからもほうっておくのですか。私はここで、もう文部省は調査をしてそのことはよく知っていると思うのですが、大体いつごろまでにはこういうふうにしますということを具体的に明らかにしてください。 

 

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衆 - 法務委員会 - 40号
昭和48年07月04日

朝鮮の高校生が新宿の交番へかけつけて、いま暴行を受けていると言ったら、そうしたら、そこへ国士舘の学生がやってきて、新宿警察の了解を得ていると言ったら、おまわりさんがすっと手を引いたというのですね。そういうことのないようにしていただきたい。

 

 国士舘の色が変わっているのは、その単語で検索をかけたから。

 最後のところ、こういうのは別な形でもちょくちょく聞いた話。

 警察は変わらない。

 

 

国士舘大学 (2016年版大学入試シリーズ)

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