2008年 09月 21日
情の解縛
先々週のある朝、電車の中で、隣に座った人が開く日経新聞をつい覗き見してしまったのは、こんなとんでもない1面広告のコピーに眼を奪われたからです。“犯人”は、私の大嫌いな、かのC社。
「スティルカメラの老舗がなんてことを!」というところですが、いうまでもなく、この会社は、ビデオカメラの製造・販売においても長い歴史を持っていたりします。実際、私が見たのはビデオの広告だったようです。
そして私がこのコピーを見ていやぁな気持になった一週間ほど後、実際に同社から「ハイヴィジョン品質の動画も撮れる静止画記録機」が数種類、発表されたところです。
動画がありふれており、撮影にも心得のある人が当り前にいる現在と、一人の発明家がぼやけた静止画像を得るのがやっとだったニエプスの時代との極端な比較をするまでもなく、人が「イメージ(=動画と静止画)」に抱く意識は、当り前ながら時代によって違います。
冒頭のコピーが強ち嘘だといえないのが、厄介なのです。否、むしろ、動画と静止画なんていっても、所詮は技術に制限されるハードウェアによって分け隔てされていただけなのかもしれません。
しかし一方で、機械にしても道具にしても、技術の発達や発展というプラスの面だけではなく、ただ単にそれらを製造する側の功利的な都合によって、本質を揺るがされるような変化を余儀なくされることは少なくありません。
この身も蓋もないような事実に対して、何を考え、どう対していくかは、たかだか動画と静止画にとどまらない、ヒトとしての大きな問題だと私は考えます。
せめて取捨選択の決定くらいは自分でしたいものですが、そもそも、このこと自体が認められにくいのが現実でもあります。
「写真」を撮る道具が無くならない事を願いつつ、
デジタル機器の変容を楽しめればなぁと思っています。
まぁ、静止画ですら満足に眺められないような忙しい世の中ですから、
動画など、次々に塵芥を作り出すだけなのだとしか思えません。
えぇ、私の事です(^^;
家庭の事情としては「これなら写真と一緒にビデオも云々、、、」という
どこかで見たようなセリフを吐くものと思われますが(笑
きちんとメッセージの織り込まれた(またはそう感じられる)イメージが
いつもながら、、、一層、、、冴えています。
ありがとうございます。
いや、かなり忙しかったのは事実です。
暗澹・・に関しては、最近のエントリー2つで書いたつもりです。
動画は全く興味持てないんですね。
こればかりはどうしようもないわけで・・