ダメだしの理由を告げてくれているかを確認する

卒業研究・修士研究時のセルフケアをお忘れなくで以下のコメントをいただいた。

コメント失礼します。
私は理系院生であり、現在修士論文執筆を行おうとしています。

提出が2月なのですが、教授にテーマを否定され続け、まだテーマが確定していません。
自分の努力不足、能力不足なのは分かっていますが、先の見えない毎日が辛いです。

教授は私が作成する資料の穴を見つけ否定はするのですが、フィードバックを頂くことはできません。
「自分で考えろ」というスタンスです。

毎日が本当に辛く、考えてはいけないことなのですが、自殺を考えてしまうことがあります。
最近ではプラスに物事を考えられなり、最悪の方向ばかり考えてしまいます。

全てをnext49に頼るような質問になってしまいますが、
私はこれからどうしたほうがよいでしょうか。

稚拙な文章ですが、何卒よろしくお願い申し上げます。

まずは、以下を読み始める前に、大学のカウンセリングサービスで予約をとり、カウンセリングを受けてくることを強くお勧めします。絶対に、肉声で相談できるサポートが必要な状態です。ネットの向こうの有象無象たる私の意見を聴く前に、カウンセラーの方と話をして、心理的負担を少しでも取り除いてください。

はじめに

研究がうまくいかないという相談の場合、教員が問題の場合、学生が問題の場合の両方がありえるので、双方の主張を聴かないと適切な助言ができないことが多いです。説明の際に、起こったことや行ったことを淡々と列挙していただけると、それらの事実から類推できるのですが、ある出来事について自分がそれをどのようにとらえたのかを列挙されている場合は判断が難しいです。

という制限事項を踏まえて上で以下をお読みください。

教員が問題なのか、学生が問題なのか

「教授は私が作成する資料の穴を見つけ否定はするのですが、フィードバックを頂くことはできません。『自分で考えろ』というスタンスです。」とありますが、本当にフィードバックがもらえていないのかをまずは検討した方が良いと思います。ちゃんと指導している教員の場合、ダメだしをするのは当然として、「なぜ、私はそれをダメだと思うのか」を説明するのが普通です。本人が説明しないまでも、その説明が書いてある文書(本、論文、Webサイトなど)のポインタを示しているならば、それは説明しているとみなしてよいです。もし、教員がダメだしだけをして、その理由を説明していない場合は、教員が問題の場合が多いと思われます。

まずは、教授(あるいは他の教員や先輩)はダメだしの理由をちゃんと説明してくれていたのかを確認しましょう。

理由を説明していた場合

最初の一歩は、「否定」の理由をさぐることです。 私自身もかつては経験しましたし、今、学生指導を行うときにも良く経験していますが、ダメだしされる学生自身は、別の事柄についてダメだしされていると思っていても、ダメだししている方からしてみると実は同じことを注意していることが良くあります。

教員側が何を同じとみなしているかといえば、方法、論理・理屈などのフレームワークの部分です。そのフレームワークの下で行われた・考えられた結果・表現にはそれほど注目していないのです。一方で、学生側は、結果・表現に注目しており、これが異なるならば違うものとして受け取ります。

つまらない例ですが、論文中で数式の一部分としてアルファベットやギリシャ文字を使うときには斜字にするというのが規則です。あるアルファベットやギリシャ文字について「斜字にしなさい」というダメだしがされている場合は、当然のこととして指摘したそこだけを直せばよいということではありません。同じ文書中のすべての数式中のアルファベット・ギリシャ文字を斜字にすることが期待されているのです。さらにいえば、今後、あなたが書くすべての科学技術文書においてそれが行われることが期待されています。

このとき、指摘された部分だけ修正して再び指導を仰いだとしたならば「なんで、他のところは直していないんだ!」と叱られるのは確実でしょう。それに対して「でも、先生は指摘していなかったじゃないですか」と学生に反論されたら、苦笑いして天を仰ぐしかありません。実際のところ、すべての起こりえる間違いを指摘しきるというのは無理ですから、ルールや基準、方法、考え方・論理・理屈を覚えてもらい、そこから演繹的にどうやればよいのかを考えてもらわなければ、時間がいくらあっても指導が追いつきません(学生にとっても、得るものがありません)

上記の例は本当につまらない例ですが、これと同音異曲同工異曲のことが良く起こります。何度も何度もダメだしされているとき、そして、最初は説明してくれていたのにだんだん説明してくれなくなっている場合は、既にダメだしされたことと同じことを何度も繰り返している可能性があります。

どうやってこれに対処したらよいでしょうか?まずは、ダメだしの理由・基準をはっきりさせることが重要です。これまでのゼミや相談の録音を聞き直したり、自分のメモや教員からのコメント文を読み直すことなどを行い、「何について、どういう基準で、ダメだといっているのか」をはっきりさせましょう。必ず、「何について、どういう基準で、ダメだといっているのか」という形式でまとめなおすことが重要です。可能ならば、なぜ、その基準は妥当なのかも検討してみましょう。

次にその基準を使って、過去にダメだしされた事柄について再検討してみてください。 そうすると、自分では別の事柄だと思っていたのに、同じ基準において「ダメ」と判断されているということがわかるようになります。そして、ではどうすればその基準において「ダメ」なものにならないのかがわかると思います。

理由を教えてくれない場合

教員がダメだしの理由を教えてくれない場合(その理由が書かれている文書のポインタすら教えてくれない場合)は、以下の3つのうちどれかだと思います。

  1. あなたのことを過大評価している
  2. その教員が天才肌過ぎる
  3. その教員は自分が教員であることを理解していない

あなたのことを過大評価している場合

その教員があなたのことを過大評価している場合、つまり、説明しないでもこれくらいわかるだろうと思っている場合には、教員に「私はそこまでの知識や技能はありません」ということを伝えないといけません。具体的には、素朴に「理由を教えて下さい」とお願いしてください。

「お前は給料もらってんだからちゃんとやれよ」と思うかもしれませんが、教員は先入観であなたはこれくらいわかると思っているで、学生側からその先入観をこわしてあげないとどうにもなりません。「この給料泥棒」と思いつつ、教えを請うてください。

その教員が天才肌過ぎる場合

その教員が天才肌の場合、すなわち、そもそもダメな理由を他人に説明しなければならないことがわからない人の場合は、その天才肌の発言を翻訳して、凡人とすり合わせている翻訳者がどこかにいるはずなので、その人に翻訳してもらってください。教員自身に頼んでも、その頼み自体が理解できないと思います。

基本的には、そういう天才肌の人が単独でまともに研究室運営できているはずはありません。必ず、助教や准教授、あるいは秘書の方が、翻訳業務を務めているはずです。その人を探しあてて、「先生がダメと言った理由ってなんなんでしょう?」と相談するのが良いです。その研究室での経験が長い、博士課程の先輩なども良い翻訳者候補です(少なくとも翻訳者を知っている可能性が高いです)。

その教員は自分が教員であることを理解していない場合

教員が教員としての自覚がない場合、すなわち、教え導く意識が足りない場合は問題です。先の2パターンは善意の困ったチャンなわけですが、このパターンは確信的に「教える」ということを放棄しています。私は、このような方々と間近に接したことがないのでうまい方法は思いつきません。

とりあえず思いつく方法は、研究室の先輩を指導者として教えを乞うというものです。そして、最近2〜3年の卒業論文や修士論文を熟読し、卒業・修了ラインを見定めて、それを最短で満たせるテーマ、成果を上げることに邁進するのが良いと思います。

おわりに

カウンセリングを受けて、顔を突き合わせて誰かと相談できる環境を作った後は、まずは、指導教員が本当にフィードバックをくれない人なのかを確認してみた方が良いと思います。

追記1

はてなブックマークコメントより

  • 「同音異曲」という言い方ができていたことに初めて気がついた。「同工異曲」だよね。「異口同音」との混成か。

完全に間違っていました。ご指摘ありがとうございます。たぶん、同音異句にひきづられて間違えていたのだと思います。

追記2

はてなブックマークコメントより

  • 「否定→何が悪いか自分で考えろ」のコンボは着実に自我を破壊する。マインドコントロールの事前準備としても有効。

これは重要なポイント。なので、ダメだしの理由を述べているかどうかがちゃんと指導しているのかどうかの一つの指標になるのだと思います。

ただし、これは程度問題です。第一に、教育の場合は程度の差こそあれ、考え方の変更を要請するものであるので、ある意味では「自我の破壊」を含んでいるものです。なので、教育と洗脳は隣接領域にあると思います(専門家の人からすると暴論でしょうが)。教育の目標が市民や専門家としての自己を確立するのを手伝うことであるのに対して、洗脳の目標は自分の意図に沿うように相手を制御すること(そのために相手の自己を崩す)だと私は理解しています。目標はこのように違うのですが、手法は同一の部分が多々あります。ですから、教育上のあるやり方が洗脳にも使えるということをもって、そのやり方が教育として不適切であるとはいえないと思います。

第二に、基準やルールを理解するには「何が悪いか自分で考える」というプロセスは欠かすことができません。このエントリーでも述べていますとおり、すべてのダメな事柄に対処療法的にダメだしするよりは、基準やルールを学生に理解してもらい、演繹的にダメな事柄を理解してもらう方が、教員にとっても学生にとっても良いことだと私は考えています。理想的には、学生が、ダメだしされたときに理由の説明がなくても、このダメ出しに至った基準やルールを自分で導きだせるようになるのが好ましいです。この能力を身につければ、失敗から多くのことを学べるようになります。言われたことに対処するという受動的な態度から、言われたことから、なぜそのように言われたのかを推測して、基準やルールを見つける能動的な態度への変更を迫るときの入り口として、「否定→何が悪いか自分で考えろ」は欠くことができないものだと思います。

「否定→何が悪いか自分で考えろ」が洗脳目的になってしまわないようにするために、ダメだしをする側の注意としては以下のものがあると思います。

  1. ダメだしの対象を具体的にして、かつ、範囲を狭める
  2. 一定期間の後に、自分がなぜダメだししたのかの理由を説明する