読書体験を誰と共感するか?

虎とラッパ:中学校に導入する時におススメのライトノベルとはへの主にライトノベルを読むよ^0^/:もっと中高生の読みたいラノベを考えろの批判理由が面白い。

まず自分の身にあてはめて考えてみようよ

中学校の図書館にいって、10年も前の、名前程度しか知らない、クラスのみんなも読んでない、イラストも古い、10巻以上も巻数があるシリーズ作品が置いてありました。あなたは借りますか?

普通借りないよね。借りる?別にいいと思うよ。で、借りてそのシリーズ読破して。その読書体験を誰と共感するんです?
(主にライトノベルを読むよ^0^/:もっと中高生の読みたいラノベを考えろより)

自分の身にあてはめて考えてみると読書というのは個人的なもので、基本的には、その体験を誰とも共有しなかった。他の人もその人の読書体験を私と共有してくれていなかったので、その人の読書体験に共感することはなかった。何を読んでいたとしても、読書はそんなにカジュアルなものではなかったような気がする(もちろん、本好きの人はいたし、読書は趣味として成立していたけど、私の中学校の同級生ではあんまりいなかった)。

最近中高生の間でラノベが読まれるようになったのって要は

「今週のジャンプ読んだ?www」
「読んだ読んだ!w」
「ワンピまぢ熱いな!!wwwww」
「ルフィやばいんだけどww」
「あとでこっちにまわして」

が

「今月の電撃新刊読んだ?www」
「読んだ読んだ!w」
「禁書まぢ熱いな!!wwwww」
「上条さんやばいんだけどww」
「最後どうなるのか教えて」

に変わっただけなんですよ
(主にライトノベルを読むよ^0^/:もっと中高生の読みたいラノベを考えろより)

確かにジャンプやマガジンではこういう会話があったような気がする。でも、メインはテレビだったなぁ。もし、ライトノベルでこういう会話ができるようになっているならば、小説(ライトノベル)を読むということが漫画を読むことやテレビを見ることと同等になってきているということなので、結構、日本進んだなと思う。

でも、ライトノベルがこのようにコミュニケーションのきっかけとしての役割を持つということは、40代〜50代の会社員の人にとっての日本経済新聞は、中高生のライトノベルと同じということなのね。

中学校の図書室にライトノベルを売りにいくならば、虎とラッパ:中学校に導入する時におススメのライトノベルとはにある10の前提に賛成。コミュニケーションのきっかけとしてのライトノベルはその使い方や必要性はわかるけれども、予算制限と場所制限がある学校の図書室がそろえるのはきついと思う。

Togetter:普通に考えて、個人の使える時間を最大限浪費してラノベ読み続けているような人間がまともなはずないで述べられている予算制限と場所制限があるのだから、学校(not 生徒)が読ませたい本を置くべきであるという意見にはだいたい賛成。ただし、教育目的に合致するならばライトノベルだろうが、漫画だろうが、写真集だろうがおけばよいと思う。また、図書室に生徒が足を運ぶきっかけとして、ある程度は生徒の要望を反映させた方が良いとも思う。

娯楽として読むなら、学術論文も、漫画も、ライトノベルも、技術書も、Webサイトも、Twitterも等しく娯楽。学べる人は何読んだって学べる。学べない人は学術論文読んだって学べない。ということで、ライトノベルの納入はやめて、動物の表紙が興味をそそるオライリーの動物本を納入するのはいかがでしょう?中学校、高校の図書室にずらっとならぶオライリーの動物本!これなら、技術立国を目指す日本にばっちり。