T・レックス マーク・ボランの伝説

逆回転でも美しい アキマツネオ

――どの時代のマーク・ボランがおすすめでしょう。

 順番をつける気はないけど、俺はティラノザウルス・レックスのほうが好きな部分が多いんですよ。結局T・レックスってバンド形態はロックンロールのカテゴリーにはめられたマーク・ボランの世界なんですよ。ティラノザウルスはそういう枠がまったくないからマーク・ボランの純度がもっと全然高いんです。だからそういった意味ではティラノザウルスのほうがものすごくマーク・ボランを感じられて、音楽性もめちゃくちゃに高い。あの二人だけであれだけのサウンドをやってるのはすごいと思う。

――ミッキー・フィンはどういう存在でしょう。

 (略)スティーヴ・トゥック(略)はすごくパーカッションが上手だったですね。それに比べるとミッキー・フィンはやっぱり劣る。コーラスもほとんどできない。ただ、たとえば漫才師ってやっぱり二人であることが大事でしょ。片方はただ頷いているだけでも、でもそれがいないと漫才にはならない。それと同じです。ミッキーはステージングだけの相方ではなくて、たとえば新しい曲ができたりするとマーク・ボランはミッキー・フィンにテープを渡していたらしんですよ。マーク・ボランがそれを忘れてしまった頃にミッキー・フィンがそのなかで気に入った曲を口ずさむと、マーク・ボランがそれを思い出して、それでその曲を実際にやるということもあったらしいです。T・レックスではマーク・ボランのエゴがすごすぎて、それでミッキー・フインが中和役としていつでも存在していたと思います。彼がいたからバンドとして成り立っていたところもあるんじゃないかな。ミッキー・フィンは直接会ったことがありますが、本当にいい人でした。彼は最終的にはT・レックスを首にされているんです。だから嫌な思いをしているところがあるかもしれないけど、マーク・ボランの悪口は一切言わなかったですね。「T・レックスの音楽はほぼ俺の影響がない。マーク・ボランが全部作っていた」と言ってました。「あるとすればビーバップという音楽スタイルがあって、そういうのを教えてあげたことはあったけどね」と。

(略)

 俺は本当にT・レックスしか聴かないから(略)あらゆる聴き方をしているんですよ。逆回転でも聴いているんですよ。

――逆回転だとどう聴こえるんですか。

 他のミュージシャンの曲は逆回転だと聴けた代物じゃない。でもT・レックスは聴ける。特に「テレグラム・サム」のサビはこの世のものとは思えないくらい美しいメロディなんです。(略)

逆回転でレコーディングしているのもあるんですよ。ティラノザウルスの二枚目に入っている、日本語でいったら「デボラ/ラボデ」というタイトルの曲です。(略)

タイトルどおりに、真ん中まで来たら逆回転で折り返すんです。鏡のようになっている曲です。パーカッションから何からすべてが逆回転になっているんだけれども、ただそれは曲として成立しているんですよ。逆回転になることによって、そこから新しいメロディが出てくるんです。Cメロみたいな感じね。途中までギターだったのがアコーデオンみたいな音になったと思ったら、それは単純に真ん中から逆回転で折り返しているものだった。そこでマーク・ボランの曲は逆回転で聴いても良いかもしれないというのがあって、逆回転で聴くようになった。そしたら案の定、格好良かったんです。(略)

T・レックス入門 立川芳雄

[来日公演の評価は散々だった]

ライヴ映像なんかも見ているうちに、悪評の原因がわかったような気がしてきました。ひとことで言うと、当時のファンの抱いていたイメージと、あまりにもかけ離れていたからでしょう。(略)

[ミッキー・フィンが]コンガやタンバリンを叩いたりするんですけど、その音がまったく聞こえない(笑)。まあPAの調子が悪かったのかもしれないんですが、個人的には、演奏よりも、わけのわからない踊りを踊ったり、楽器の上に乗ったりしている彼の姿のほうが、印象に残ってます(笑)。バンドは四人編成で、他の二人(略)のプレイはとにかくシンプルなんですね。そうなると必然的に、マーク・ボランの弾き語りみたいになってくる。これが自己完結型ということなんです。

 しかも彼のギターが独特なんですよ。バッキングの部分とソロの部分が渾然一体としているというか……。(略)

しかもボランは、ギターを弾くのがすごく好きらしい。曲と曲の間に、わけのわからないギター・ソロみたいなものを延々と弾いたりするんです。これ、当時の女性ファンや、ギターに興味のない人にとっては、つまらなかったでしょうね。

(略)

そんなわけでステージはマーク・ボランの一人舞台だったんですが、でも、いわゆるワン・マン・バンドというのとはちょっと違う。上手く言えないんですが、ロック・コンサート特有の「熱さ」みたいなものがあまりなくって、妙に醒めたような感じというか……。いま振り返ると、すごく不思議なライヴだったような気がします。当時、会場に行ったファンの多くは(略)派手な「グラム・ロック」のコンサートを期待していたと思うんですが、ボランのほうには、そうした期待に応えようという気持ちはあまりなかったのかもしれませんね。

 それから、ミュージシャンとしてのマーク・ボランという観点でもう一つ指摘しておくと、彼って、音楽批評家的な面をもった人なんですよ。ボランの伝記本やインタヴューはかなりたくさんあるんですが、それを読むと、彼は他人の音楽作品について積極的に語っている。ミュージシャンって、同業者の話はあまりしない人も多いんですけど、マーク・ボランはけっこう積極的に批評をしています。グラム・ロック系のミュージシャンにはアート・スクール出身だったりして美術系から流れてきた人が多いんですけど、マーク・ボランは

(略)

オーソドックスな音楽好き、楽器好きだったんでしょう。でも、にもかかわらず出す音はかなり変わっているという、不思議な個性のある人ですよね。彼のことをギタリストとして見る人は少ないんですが、もっと評価されていいと思います。映像作品を見るとわかるんですが、ギターの弾き方は典型的な我流ですけれど、左手の使い方が上手い。すごく独特であまりたくさんの指を使わない感じで、ちょっと雑にコードを押さえているよう奏者に見えるんですけど、すごくいい音を出すんですよね。

(略)

[「ライド・ア・ホワイト・スワン」]

とてもいい曲です。リズムはブギで、そこにトニー・ヴィスコンティのアレンジした暗い感じのストリングスが絡む。この曲で、ブギのリズムとイギリスっぽい陰翳のある音を合わせるという独特のスタイルが確立されていますね。

 ヴィスコンティは、自分のストリングス・アレンジは自己流だと話していました。ちゃんとしたオーケストレーションの理論はわかっていないんだけども、少人数のストリングスをロックのバンド・サウンドに付け足して、ちょっとダークな感じにするのが大好きなんだそうです。そういうヴィスコンティの好みと、マーク・ボランの音楽性とが、このアルバムあたりからぴったり噛み合ってきた。

(略)

[『電気の武者』]

 もう一点、このアルバムで注目したいのは、前作から参加している男性バッキング・コーラス、ハワード・ケイランとマーク・ヴォルマンの二人です。(略)

タートルズのなかでも妙な指向性をもっていたのがこの二人で、フランク・ザッパのマザーズにも参加していたし、フロ&エディという名前でかなりユニークなアルバムも発表しています。『電気の武者』ではこの二人のコーラスが冴えまくっています。ひとことで言うと男だか女だかわからないような声なんですね。すごく不思議な感じの中性的なコーラスで、これがマーク・ボランのヴォーカルを追いかけ回すようにしながら、曲をじわじわと盛り上げていく。かなりアブノーマルな感じのコーラスと、ボラン独特のヴィブラートのかかったヴォーカルの組み合わせが絶妙です。

(略)

[76年『銀河系よりの使者』]

ボランがソウル・ミュージックに自己流でアプローチしているんです。(略)

[ボウイの]二作がやっぱりアメリカのソウルに接近している感じなんですね。時期を同じくして、かつてのグラム・ロックの二大スターが自己流ソウル・ミュージックをやり始めたというのが面白い。(略)

ただデヴィッド・ボウイは優秀なスタッフを集めて完成度の高い音を作るんですけど、マーク・ボランは先に言ったとおり基本が弾き語りですから、なんでも自分でやってしまおうとする。そこがうまくいかない原因にもなるんでしょうね。

 この『銀河系よりの使者』が個人的に嫌いになれない理由は、独特のサウンドにもあります。安っぽくてゴージャスなんですよ。ストリングスを入れているんだけど、ヴィスコンティのアレンジしたものと違ってものすごく派手なんですね。ペナペナで安っぽい。でも、案外それがいい。そういうキッチュな豪華さって、マーク・ボランみたいな人じゃないと似合わないじゃないですか。ディスコ風のリズムもあったりして、胡散臭い魅力があるんですよ。(略)

T・レックスという体験 萩原健太

あつく燃え上がった60年代ははるか記憶の彼方へ。(略)ロック系の音楽が生気を失い(略)内省的な手触りを持つ(略)シンガー・ソングライターの音楽が静かなブームを呼び始めた。(略)

ごく私的な体験や内面の揺らめき、そして"私"と"あなた"のパーソナルな関係などを、ナチュラルなアコースティック・サウンドに乗せて歌って人気を博した。

 このような内省的な動きは黒人の間にも広まった。マーヴィン・ゲイ、スティーヴィー・ワンダー、ダニー・ハザウェイ、カーティス・メイフィールド、ロバータ・フラックといった黒人アーティストたちが、白人、黒人の壁を乗り越え、より人間の内省へと分け入った歌詞を作り始めた。サウンド的にも(略)ジャズやクラシック、ロックなどの要素も大胆に取り入れた洗練された音作りを指向するようになった。と同時に、"ブラック・イズ・ビューティフル"(略)の流れの中でファンク・ミュージックが完成。立役者は、もちろんスライ・ストーンだ。スライは先達ジェームス・ブラウンが60年代後半に提唱したブラック・パワーを正当に引き継ぎ、70年代中盤に花開くPファンク軍団の爆発をうながす橋渡しとなった。

 この黒人音楽の動きは、ある意味でルーツの再検討でもあったわけだが(略)ルーツを見直したのは黒人ばかりではない。60年代を通じて、ビートルズに先導される形でロックの可能性を模索しながらやみくもに拡散を進めていた白人ミュージシャンたちもここに至って再度ルーツ帰り。南部のロックンロールやブルースの伝統を掘り起こし始めた。クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァル、ザ・バンド、レオン・ラッセル、デラニー&ボニー、オールマン・ブラザース・バンドなど、さらにはそこにエリック・クラプトンやデイヴ・メイソンら英国勢も加わり、その種のルーツ音楽再評価の気運に火を点けた。

 もちろん、英国でも事情は同じだ。ビートルズの解散以降、米シンガー・ソングライター・ブームに呼応する形でキャット・スティーヴンス、アル・スチュワート、ギルバート・オサリヴァンら内省的なシンガー・ソングライターが台頭。エルトン・ジョンも最初はこのフィールドから登場した。(略)

ジャズやクラシック、現代音楽へのプローチから生まれたプログレッシヴ・ロックも、ロックンロール自体が持っていたはずの直截的な"熱"を疑問視するところから生まれた新時代の音楽形態だった。とともに、キッチュでグラマラスな外見を全面に押し立てたデヴィッド・ボウイ、ロキシー・ミュージックら、いわゆるグラム・ロックのアーティストも、結局は何かを諦めるところから"退廃の美学"を構築していった。(略)70年代のロック/ポップ・シーンの色合いを決定付けたのは(略)60年代末への反動ともいうべき"諦観"であり、"達観"であり、当時の流行り言葉でいえば"シラケ"だった。

(略)

ルーツ音楽再訪の気運と、退廃的なグラム・ロックの盛り上がりとを当時もっとも印象的に体現してみせていたのが、我らがT・レックスだった。ぼくはそう位置づけている。「ゲット・イット・オン」はまさにそんな彼らの心意気が託された象徴的なビッグ・ヒットだった

ティラノサウルス・レックス登場

ジャケットのアートワークを担当したジョージ・アンダーウッドは、「コズミックになったウィリアム・ブレイク、って感じの絵を描いて」とマークに依頼されたことを覚えている。(略)「幻視者」ブレイクは、マークによれば「イギリス」そのものなのだった。

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