仕事に主導権は握らせない
先日東野圭吾の小説を読んでいたところ、本編にはそれほど関係ありませんが、こんな記述が出てきました。
男一人、どんなことをしてでも食べていける。
だが魂を殺したままでは、生きている価値などない。
非常にいい言葉だと思い、早速メモりました。
思えばフルタイムで働いていた10年間、僕の魂は殺されていました。
仕事が出来なくて、辛いのを筆頭として。
寝たい時間まで眠れなかったり、甲子園等のスポーツ中継を見られなかったり。
時間的、体裁的にも大幅に行動を制限されて。
仕事のために、多くの好きなことを犠牲にして。
それでも得られるのはお金だけで。
一体僕は何を守っているんだろう?という気持ちでした。
生きている価値がなかったとまでは思いませんが、価値が小さかった10年間だと思います。
あくまでもセミリタイアなので、今後も収入確保のために、仕事をしていく必要があります。
しかし、従前のように、仕事に主導権を握られるような状況は決して作りません。
主導権はあくまでも僕が握ります。
文書にあるように、お金が少々ヤバくなっても、男1人どんなことをしてでも食べていけます。
日雇いの仕事をしてみて、それは実感しました。
現在は週1の労働を基本としていますが、あくまでも重要なのは自分のやりたいことをすること。
睡眠時間を確保して、自分の予定を優先して。
残りの空いた時間で、仕事をしてやってもいいなと思った時間、内容についての仕事しかしない。
嫌だと思ったら我慢せずに、次の仕事はしない。
その結果、週1のペースが崩れても気にしない。
無理をして、埋め合わせをするようなこともしない。
仕事なんかに、魂を売り渡す愚かなことは今後決してしない。
生きる価値を十分を感じるために、魂の開放です。
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