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情けは人の為ならずは本当だった。誰かのために行動すると身体的な痛みが和らぐことが発見される

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Zinkevych/iStock

 「情けは人の為ならず」ということわざがある。誤用されることも多いが、正しい意味は「人に情けをかければ(親切にすれば)、相手の為だけでなく、やがては良い報いとなって自分に戻ってくる」という意味だ。

 イギリスの小説家、チャールズ・ディケンズはこんな言葉を残した。「この世に生きる価値のない人などいない。人は誰でも、誰かの重荷を軽くしてあげることができるからだ」

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 そしてこれらは本当のことだ。見返りを期待しないで他人のために善い行いをする、つまり利他的行為は、健康に良いということが科学的にも証明されたのだ。

先行研究で明らかになっている利他的行為による心身への影響

 これまでの研究から、ボランティア活動など、誰か(何か)のために行動をすると、その思いやりの気持ちが、ドーパミンやオキシトシンなどの神経伝達物質の分泌を促し、気分が良くなってストレスが軽減され、不安が減ってうつが改善することがわかっている。

 また、2017年の研究では、自発的な利他的行為が、実際に肉体的な痛みを減らし、目的意識を向上させることもあることがわかった。

 今回の研究はさらに踏み込んだもので、利他的な行動と肉体的な痛みの軽減の詳細を明らかにしたものである。

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利他的行為はすぐさま体の痛みを軽減させる

 『米国科学アカデミー紀要』(2020/01/14)に発表された論文によると、実際に利他的な行為によって、被験者が感じている痛みがすぐに和らぐことが証明された。

 一連の研究からわかったことだが、痛みの刺激に反応する脳の部位が、他者に施すという行為により、不活発になるのがその理由だという。

 研究では287人の被験者に対し、いくつかのシチュエーションで、利他的、利己的という2種類の違う行動をした場合、肉体的な痛みに対してどのように感じるかを調べた。

・地震が起こった後で自発的に献血をした人たちは、そうでない人たちよりも、注射針の痛みを感じなかった。

・出稼ぎ労働者の子供たちのためのハンドブックを改訂するのに、自発的に自分の時間を割いて手をかした人たちは、そうでない人たちよりも極寒の外気にさらされても辛いと思わなかった。

・慢性的な痛みに苦しめられているがん患者に、他人、もしくは自分の為に料理と掃除を行ってもらったところ、他人の為に行った患者は、自分の為に行った患者よりも痛みの度合いがかなり和らいだ。

・孤児を助ける募金について実験。寄付を快く行った人に「寄付がどれくらい子供たちの役立つか?」という質問をし、その後手に強い電気ショックを与え、MRIで脳をスキャンしてみたところ、電気刺激にそれほど反応しなかった。

一方寄付を行わなかった人にも同様の電気ショックを与えたところ、電気刺激に強く反応した。「自分の行為が子供たちの助けになった」と信じている人ほど、痛みに対する脳の反応も小さかったことが明らかとなった。

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誰かの役に立っていると感じることで痛みが軽減

 今回の研究から、脳がどれくらい痛みを感じるかは、他人に施した善行にその人がどういう意味を感じているかも大きな要素になることがわかった。より他人の役に立っているとその人が信じるほど、痛みを感じにくいという。

 これは、利他的な行いがその人に役割意識を与えることと関係があるのかもしれない。

 自発的な利他的行為が、ある種の役割喪失感(例えば子育て卒業や、有能な社員といった役目を失ったときなど)から起こる、ストレスやうつ病、目的意識の欠如感を軽減させるのに役立つのかどうか、研究者たちはとくに関心をもっている。

 他にも、利他的行為によって脳のドーパミンが放出され、行為者が”温かなぬくもり”を感じて気持ちが高揚する「ヘルパーズ・ハイ」というべつの要因もあるかもしれない。「ヘルパーズハイ」とは、人を助けたり、親切にすることで幸せを感じる状態のことだ。

 痛みの軽減とこの心地よい気分を促す化学物質が合わさり、わたしたちは見返りを求めずに人を助けるという行為で自分に報いているともいえる。

 なぜ、利他的行為が実質的な肉体の痛みの癒しになるのか、明確な答えを見つけるにはさらに研究が必要となるだろう。

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References:ksl. / fox10など/ written by konohazuku / edited by parumo

 私にはこんな経験がある。東日本大震災の時だ。恐怖と不安で身動きが取れなくなって6階の部屋でうずくまっていたが、隣から子供の泣き叫ぶ声がした。

 はっと我に返り、慌てて通路に出ると隣のドアが開いていて、母親が避難のために子供に靴を履かせようとしていた所だった。

 子どもは泣き続け玄関から動こうとしない。私は何も考えず、咄嗟に子供に靴を履かせ、その手を取り、一緒に非常階段を下りた。母親はもう一人の小さな子を抱きかかえながら後からついてきた。

 あんなに怖くて震えていたのに、ある種の使命感が私の恐怖心を全て吹き飛ばしたのだ。子供を救ったつもりが、逆に子供に救われていたのだ。

 先の不安を恐れ、自分のことばかり考えてクヨクヨしても状況は変わらない。ならば、どんなに些細なことでも自分ができる何かを見つけて、それに意識を向けたほうが何かの足しにはなるはずだ。

 日本では本当に困っている人がわかりづらい状態になっているが、幸いにもネットがある。どこかで誰かが救いの手を求めている。自分が困難に陥ったときほど、誰かを助けたいと強く思うことで、結果的に自分が救われることになるのかもしれない。まさに「情けは人の為ならず」だ。

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この記事へのコメント、42件

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  1. 人が幸福を感じるのも利他行為を行った時だと言うから、幸せホルモンか何かが出るんだろうか
    人間って社会性の動物なんだなってつくづく思うわ

  2. どうだろう?
    何度か書いたが、人助けはしているが、自身の健康に改善があったとは思えない。
    どうして同じ部位だけ様々な病気を起こし手術を繰り返すのか?

    この記事は承認欲求の充足とかに関係しているのかな。
    それがホルモン分泌を引き起こすのではないだろうか。
    ならボケ防止にも効果があるかも、それと効果の程度は、もともとの欲求の強さに関わるかも。

    1. ※5
      承認欲求とは無関係だと思いますよ
      私も定期的に献血をしていますがSNSで発表しませんし会社で言う事もありません
      でも、献血をするとなぜか気分が良い
      誰かの役に立っている、誰かを助けてるはずだと思うだけで気持ちが良いです

  3. >情けは人の為ならず

    これ、意味取り違えてる人すごく多いよね
    一度きちんと正しい意味を学習てか検索くらいしといた方がいいと思う

  4. むしろ社会的でない動物の方が珍しい
    利他的行為が結果的に自身のためになることは、遺伝子レベルで記憶されてるからね

    アリストテレスの人間は政治的動物って話はまた別の意味。

  5. なんかわかる。いい人ぶるつもりはまったくないけど、たまに善い行いをすると心が軽くなる。

  6. 痛みの緩和…、そうですか~。

    ところでディケンズですか?
    この記事を読んで、
    オスカー・ワイルドの『幸福な王子』を思い出しましたよー。
    子どもの頃は、王子が気の毒だと思ったものですが…、
    王子は確かに幸せだったんですね。

  7. これはわかる。
    痛みを測ったことはないけど、他人に親切な事をしたら自分自身も気分がいいもん。

  8. どれだけ人を助けても、このボクの『痛み』は消せやしないのさ…

  9. >>イギリスの小説家、チャールズ・ディケンズはこんな言葉を残した。「この世に生きる価値のない人などいない。人は誰でも、誰かの重荷を軽くしてあげることができるからだ」
    心に刻んでおこう

  10. それもわかるけど、やさしさを搾取されるような状況が続くと、本人が主観的に満足しているように見える場合にも、心身が悲鳴を上げてる場合もある

  11. 善意で人助けしたところで逆恨みされることもあるからなんとも言えない

  12. 去年、バス停で老婦人に話しかけられて、「そこに行くにはこの先のバス停を降りてこうこう」と説明したけど、なんとなく心配で。そしたら、彼女は降りた先で違うとこ歩いちゃってて。一緒に降りればよかったと思ったから、次で降りて追いついて、案内したの。
    ちょっとの間、「いいことした!」って思ったけど、すぐに「違う、自分が救われた」って思って。あのとき降りてなかったら、きっとすごい後悔してたと思うんだ。
    私は私を救ったの。

    1. ※20
      よくわかります
      私も登山中に怪我してる人を見かけて自分の予定を中止して一緒に下山した経験があります
      もしあの時、助けずに予定通り登山していたら、その山行は怪我人が気になって楽しくなかったと感じてます
      それどころか山に行くたびに思い出して嫌な気持ちになりかねません
      助けた人には感謝されましたし、その山には後日改めて登山して気持ちがいい山行が出来ました
      結果として、助けた場合と助けなかった場合、私の幸せの総量は助けた場合のほうが多かったと思ってます

  13. 利他的でないと様々な困難に打ち勝って今日まで人類が生き残ることはなかっただろう。
    生き残るための仕組みが、より利益がわかりやすい動機付けと共に組み込まれているんだな。

  14. 子供ができたときわかったな、子どものためだと思うと今まで苦痛だった事が緩和されているように感じる。仕事の大変さも対人ストレスも変わってないはずなのに明らかに苦痛は減った。

  15. これを逆手に取るやつもいるんだろうな…
    ってそれがいわゆる詐欺師か

  16. 人間は社会的な生き物なので利他的に行動することにインセンティブが働くようにできているってことだろうね。

    すでに指摘している人がいるけど人のこの性質を利用しようとする人間(テイカー)がいるので、相手がテイカーとわかった時点で与えることは即止めないといけない。
    さもなければお金やその他リソースを吸い付くされることになる。まあ身体の痛みは和らぐかもしれないけどね。

  17. うーむ…
    強いから助ける事が出来るのではなく
    助ける事によって強さを身に着けていくって事なのだろうか…

  18. 人をマッサージすることで自分の凝りもほぐれると良いのだけれど

  19. 電車で隣にいた人が痴漢の冤罪を着せられそうになってたから、
    証言のために鉄道の事務所やら警察署やらで時間取られたけど、
    ちょっと待ってただけのつもりが何時間も経ってたな。
    非日常的な事だから体感時間が早く過ぎただけのことだと思うけど。
    ただ、そのせいで遅れた仕事を片付けるのはキッチリ時間がかかったけどね…。

    1. ※31
      仕事は大変だったでしょうが、あなたは本当に素晴らしいことをしてくれましたね。
      冤罪の危険からその人を救ってくれたのです。
      その人の人生そのものを救ったのに等しい行いです。
      どうか、自分のことを誇りに思って下さいね。

  20. これは「脳は主語を理解できない」という話と同じ事なのかも。人にしている事は、自分もしてもらえるとなんとなく思えるから。

  21. >5
    身体の使い方がまちがってるからですね。くり返すのは。

  22. 看護師が腰痛から逃れられないはなぜだろう?
    身体介助などは仕事だからか(お金を貰うのは奉仕じゃないから)?
    それとも、もうオキシトシンが出ないくらい日常なのか?

    1. ※41
      職業病を一発逆転できる程の抜群の効果はないってだけの事でしょう
      そんな効果があったら、この世の中は勇者だらけになってる

  23. 人助けした後って確かに少しテンション上がるけど、その後落ち込む事が多い
    良い気になってる自分に嫌気がさすというか

  24. >自発的に献血をした人たちは、そうでない人たちよりも、注射針の痛みを感じなかった。

    元々そういう針の痛みが平気なタイプの人だから
    二の足を踏まず献血にも積極的、というんじゃなくて?

    1. ※43
      90回ほど献血してるけど注射は大っ嫌い
      看護師さんの腕にもよるが痛いもんは痛いw
      見るのも嫌だから顔を背けるし、なんなら採血中も目に入らぬよう腕にタオルかけてもらう
      あんまり社会貢献してないから、せめてこのくらいと思って我慢してる

  25. ペットロスになると染々分かるよね
    あの子がいたから頑張れたんだなーって
    自分の中では人間以上に大恩人よ

  26. パルモさんやるやん
    僕は普段は人を騙してお金を稼ぐ“営業”という仕事をしているけれど、かれこれ15年程献血をしているんだ。そのお陰かまだ気持ち救われているのかな。

  27. 自分以外の人に関わる何を背負ったら、自分だけの時より踏ん張れるってのはあるね

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