多かれ少なかれ、我々の人生は不安と共にある。例えば初デートの時、仕事の面接試験、新居への引越しなど、様々な出来事の前に神経が過敏になるのだ。
不安を覚えると、人は心身に異常をきたす。特に感受性の鋭い人たちにとってはなおさらだ。日常のちょっとした変化が大きなストレスとなる。
感受性の強い人は創造力が高く、活発な精神活動ができる傾向が強いものの、欠点は人一倍不安に弱いことだ。すぐにネガティブな幻想を思い起こして、不安にさらに拍車をかけ、事態をよけい悪くしてしまうことがある。
感受性の鋭い人は最近ではHSP(Highly Sensitive Person)と呼ばれるようになった。ただしHSPは生まれつき非常に感受性が強く敏感な気質もった人たちを意味する心理学的用語であり医学用語ではない。
HSPの人は環境感受性の高いく、神経系統が生物学的にちょっと違っているため、まわりからの刺激をより吸収しやすくできている。
ちょっとした音や、ほかの人が見過ごすような些細なことや、他人の感情にすら感化されてしまう。そのせいで、圧倒されて押しつぶされそうになってしまうのだ。
そんな感受性の鋭いHSP属性の人が不安を感じたときのために、以下のようなことを覚えておくといい。
1. あなたの不安は感情のパッケージの一部にすぎない
感受性の鋭さは、良いことも悪いことも一括包装されたひとつのパッケージなのだ。そんな自分を恥じることはない。感受性が鋭いことによるメリットを考えてみよう。
あなたは豊かな創造力の持ち主で、思いやりがあって、他人の気持ちに寄り添うことができて、ほかの人が見落としがちなことに気がつき、新しいことを学ぶのも速いのだ。
2. 天候のように、感情も変化する
今感じていることが、このあと5分後も、5時間後も、5日後も、ましてや5年後も同じとは限らない。感情は一時的なもので、今日の天気予報と同じようにすぐに変わってしまうものだ。
人生はなるようにしかならない。不安な感覚はいずれは消える。「このひどい世の中、永遠なんてものはない。自分たちのトラブルでさえね」これは、俳優で映画製作者のチャーリー・チャップリンの言葉だ。
3. 誰かに話す
不安は孤独な感情だ。孤独だと不安がよけいに増して悪循環になる。信頼できる誰かに、直面している不安や状況を話してみると良いだろう。
感情を吐き出すと気持ちが楽になるはずだ。また、誰かに自分の恐怖を説明するということは、それが現実的なものなのか、そうでないかを客観的に見極めるのに役立つかもしれない。
4. 人との関係に明確な境界線を設ける
人との関係で不安を感じるなら、しっかり境界線を引く(距離を取る)か、その関係を断ち切って、不安の原因を取り除いてしまうこと。そうすれば、そのことで悩まされることはなくなる。
5. 怖いものから逃げても解決にはならない
あなたを不安にさせる状況や人を避けることは、長い目で見ればその不安をさらに悪化させるだけだ。
勇気を奮い起こして、問題に真っ向から立ち向かうこと。それはただの懸念で、きっと克服できると自分に言い聞かせること。
6. 自分の人生をコントロールできるのは自分だけ
人生をコントロールすることはできないが、それに対してどう対処するかは自分でコントロールすることができる。
ストレス研究分野の父と呼ばれる医師のハンス・セリエは書いている。
わたしたちをダメにするのはストレスではなく、ストレスに対して私たちが自身の反応だ。
7. 不安からはなにも生まれない
不安にかられているのは時間のムダだし、あなたの人生の目標に近づくことすらできない。作家のジョディ・ピコーはこう書いている。
不安は揺り椅子のようなものだ。なにかすることを与えてはくれるが、それはたいした成果をもたらさない
8. リラクゼーション療法を試してみる
深く息を吸って、数秒そのまま息を保ち、それから吐き出す。カモミールティーをいれる。思いっきり体を動かす。不安は体中にアドレナリンをあふれさせるので、エアロビクスなどの運動をすると、アドレナリンを解消することができる。
温かい風呂に入る。リラックスできる音楽を聴く。マッサージを受ける。読書やインターネット、ネットフリックス(オンラインオンデマンド業者)を観て、気を紛らすなど、自分に合った方法を実践してみよう。
9. 物事のバランスをとる
実際よりも事を大げさに考えたくなる衝動を抑える。作家で行動科学者のスティーヴ・マラボリはこう書いている。
わたしがなにも保証しないのは、一見、無秩序なように見えるかもしれないが、あなたの健康に勝るものはなにもない。ストレスや不安や恐怖で自分をダメにする意味などなにもない
10. 生きていれば結構なんとかなるもんだ
作家でやる気を起こさせるのがうまい話し手でもあるダニエル・ラポートの言葉はあなたを勇気づけてくれるかもしれない。
追伸:あなたは死ぬわけじゃない。それは確かだ。破産したってまだ大丈夫。仕事や恋人や家を失ったって、まだ大丈夫。
なにをやってもうまくいかず、ライバルにこてんぱんに負け、心が折れても、お払い箱になっても、死ぬわけじゃない。こうしたことを体験した人に訊いてごらん
via:upworthy/ translated konohazuku / edited by parumo
感受性の強い人は感情移入しやすく、外的な要因に感化されやすい。感受性がそれほど強くない人から見たら、なぜそんなことが気になるの?と思うような小さなことでも感じ取ってしまうので、ちょっと変わった人だなと思われてしまうことも多い。
その感性は愛情深く芸術的に優れているのだが、ストレスを感じやすく、他人に同調しすぎて自分を見失うこともある。
まずはそんな自分を受け入れ、上記にあげた対処法を実践することで、自分に適した生き方を選択していこう。
追記:過去に人気のあった記事を再送してお届けします(2016/09/28)
自分で自分は感受性が強いとかってわかるのかね
本人にとっては自分が普通で周りの人が鈍いように感じるんじゃないの
※1
最初はたしかに主観的にしか見れないけど色んな人達と出会って擦り合わさせていくうちに自覚できるものだろう。
というか、他者との比較や摩擦によってしかそもそも自分の偏りを知ることはできないとも言える
※1
感受性って言われると泣ける映画だったり人の波乱万丈な人生話とか聞いてもらい泣きすぐしちゃうような人って印象が自分の中ではある
物事を不安に思ったり対人関係に不安を抱いたりするのは感受性が強いからだって言うのは
本人自身自覚がないかもしれないね
心配性とかマイナス思考な性格って思ってる人がいるかも
※6
悪化も経過のひとつであって、自分の未来が悪化のまま確定した訳じゃないと受け入れること。
もしくはただ悪化というものを受け入れて受け流すこと。
悪化を悪いことだと思って抵抗するのをやめること。
とかかな~。
結局、あがいてもどうしようもない時ってあると思うんだけど、そういう時の「もう自分では何もできないけどなんらかの結果が出る」ってことも含めての「なんとかなる」なんでしょう。決して「結果は良好なものになる」とは限らないし、逆もまたしかりだし。
人間万事塞翁が馬だよ。
※1
昔はわからなかったな。なぜ自分が気付けることに他人が気付けないのかが。
今は明確に違うんだってわかったから、諦めるというのではないけど、相手のレベルに合わせていけるようにはなったと思う。
感受性の強い人は10個ともすでに気付いてる
>>3
そう。
気付いていても拭えない圧倒的な不安感があるからどうしようもない。
「なんとかなる」には「今より事態が悪化する」ことも含まれると思うんやが
それはどうしたらいいんや!?
※4
事態が悪化しても永遠に続くわけじゃない。いつかは終わる。なんとかやり過ごして、生きてさえすれば良い。……と考えるのはどうだろう?
10っておいw植木等かw
♪そのうちなんとかな~るだろ~お~
偉大な歌だったんだなw
※5
今までの人生のそのときどきで「気付いた」人は多いだろう
しかし実際に不安にかられたときに「意識的にそれぞれを想起できるかどうか」は別の話
経験を経ていても、トレーニングしなきゃ出来ないことは多々ある
特にメンタル系のトレーニングは、あたりまえのことをあたりまえに順序立てて想起できることが重要で、それは一見簡単なことだが、実際は多くの人にとって簡単なことではない
※5
感受性と頭の良さはまた別かと
※5
感受性の強さとそれをコントロールする事は全く別の問題。
私は感受性が低すぎて悩んでいるので、今度そういう人向けの記事も紹介してください
人間関係断ち切りすぎて、直に誰とも話さないんだが
それが出来れば苦労はしねぇよとか
完璧な作戦スねー実現不可能だという点に目をつぶればよぉーとか
etc…
不安を感じすぎて血便とめまいを感じるが大丈夫だろうか
4
今より事態が悪化しても死にやしない。
この世で誰一人自分自身で「死」を見た事が無い以上、もしかしたら本当は死なないのかもしれない。
死を恐れるのは死んでからにしろ
人生をコントロールする事は出来ないってなんか怖い。
それだけでまた不安になっちゃうよ。
>>天候のように、感情も変化する
自分の解決策に似たようなものがある「雨がふっただけさ」と心で思うんだ
※15
「ますます『ムカッ腹』が立って来たぞ……逆じゃあないか? なぜ殺人鬼のためにぼくがビクビク後悔して『お願い神様助けて』って感じに逃げ回らなくっちゃあならないんだ?
どうして ここから無事で帰れるのなら『下痢腹かかえて公衆トイレ探してる方がズッと幸せ』って願わなくっちゃあならないんだ…? ちがうんじゃあないか?」
軍隊でのしごきってのは厳しいが、これは軍隊に限らず「訓練でできないなら本番でもできない」ってのが念頭にあるからだ
逆に考えれば、訓練ってのはできるようにするためにするものだ、当たり前だがその当たり前への感じ方の変化ってのが大切だ
これを見る限り不安症みたいなもんなのかね
年を取ると鈍くなるよ。それこそ子供の頃と思春期に持ってた感受性の、どんどんすり減っていく残りを零れ落ちないように抱きしめるように。
感動する事も喜ぶ事も年を重ねて「我慢、耐え忍ぶ事」を覚えるとプラスの感受性も抑えられてしまう。
悲しい事や辛い事は「我慢と耐え忍ぶ事」でやり過ごせる。
自分の感受性が強い、周りは弱いと言う事と言う事でもない。
独りよがりに周囲を考えず感情を露わにする事でもない。
書きたいこと63が書いてたw
私瞑エンパスだが、瞑想と般若心経が効いてるよ
般若心経の意味をザッと知ってからひたすら唱えるといい
本当に頭空っぽになってくるから
あと 米17も。30代なれば嫌でも鈍くなるからw大丈夫だよー
使えるツールは何でも試してね
でもその弱さに付け入る宗教やスピセミナーには気をつけて
ウン万も払うなら本買った方がいいよ
悲観的なことを思うときりが無いねぇー
今の仕草や発言は相手を傷つけたのかもと不安になったり、相手を思う余りこれで良かったのかと不安に駆られて自滅するパターンが若い頃は多々あったわ。
初心に帰り、湧き出る感情を否定せず勇気を出して前に進むしかないのよねーここでいう5番かな。
感受性が強い人向けと言うより強迫性障害の人向けの内容では?
HSP(過敏性症候群)ってカテゴリーも出てきてるけど個性と捉えるなら良いけど
病理と認定するのはアメリカのカウンセラーの商業的な意図を感じてしまう
※19
君のこれからの人生で大地震の被害にあうかもしれない。
それは恐らく「大地震にあう」という人生(運命)だ。これは変えられない。
だが、その人生(運命)にどう抗うか?向き合うか?は自分の心や態度の問題だからコントロールは出来る。
事象は変えられない、でも態度は変えられる。
私はまさにそのHSPなんですが、生きるのが苦痛です
できれば人間以外のモノに生まれたかった
要するに「考えすぎるな」ってことか
感受性が高い人も低い人もそれぞれメリットデメリットがある。
世の中の微妙な変化に気付いたりチャンスに活かしていけばいい
毎日30分くらい瞑想してたら
不安を受け流せるようになってきた
自分の感じているものがその他大勢には理解されないし、理解されないというのが一般的という事実に気付いた時の絶望感。単に適応できない自分に失望する。細かすぎ気にしすぎ面倒臭い解らないと言われまくると、もう誰かに話す気力もなくなる。
※24
23ですが無神経でごめんなさい
生きるのが辛いレベルなら専門家に相談したほうが良いですよ
相性の悪い医者もいるので、相見積を出させる要領で医者は選んだほうが良いです
辛いモノを食べても大丈夫な人、食べてもなかなか太れない人がいるように
感受性はあなたの個性です、繊細であることは悪い事ではありません
あなたの個性にあった人や環境に出会えるよう祈ります
こういう「○○な気持ちで悩んでる人のためのX個の考え方」みたいなのってネットではよくあるけど、たいてい本人もよくわかってるんだよね
理屈ではわかってるのにどうしても実行できない、脳や感情がそのように対処できない
だからこそなおさらつらいんだよ
「あっそっか~それでいいんだー」って思えるなら最初からそこまで苦しまない…
人生塞翁が馬ってことだよ
死ぬわけじゃない、と言われても
悪いことの絶対的なピラミッドがあってその頂点が「死」なのか?
職をなくし恋人をなくし心が折れることが死よりも辛い人間だっているんじゃないか
とかひねくれて考えちゃうところがもうダメなんだなこりゃ
わかってるけどどうにもならない俺たち
ふへへ・・・なんでこんなんなんだろうね?
でも俺は不安とうまくやっていくんだ
あれはたぶん、俺を守ろうとしているんだから
最近いろいろあってからフラワーカンパニーズの深夜高速って曲の
「生きててよかった」ってフレーズをずっと聞いてる。
かなり重症になってる事を実感してる
※29
自分も辛い時それを聴くよ。
まあ、生きてて良かったのフレーズの続きがあるとしても、瞬間的に人生を受け入れられる。いい歌です。
カラオケで歌ってたらそのフレーズの時店員入ってきたw
これは感受性の強い人への提言です。
鬱や心疾患の人は受診しましょう。
うん、理屈はわかってるよ。
でね自分が一番効くのは、すでにいい年なのに、両親に「そんなの心配しなくても大丈夫だよ~~」と笑い飛ばしてもらう事。
・・・だからこんな自分は「両親が亡くなったらどうしたらいいんだ」とまた不安なんだよ。
超不安なときは1個も思い出せない。
だめだ。
きっといいこと書いてあるんだろうけど
今、不安定すぎて文字が読めない。
また後日ちゃんと読もうっと。
うつ病とかと勘違いする人も多いね
自分これで病院行った
人と話すの大好きなんだけど本当にわずかな声のトーンの変化や視線の動きに気付いて気にしちゃうんだよね
あと周囲の雑音がすごい気になって熟睡できる日の方が少ない
旅行に行こうものなら3泊なら3泊とも寝れない
ただ耐えるしかない
※34
よくわかる。ほんとそう。
感受性が高いか低いかは知らないけど。でも不安な時って大体その通りなんだよね……。その不安な環境と付き合い続けるからほぼ常にネガティブ。
これがポジティブだったら一生自分の勘違いに気づかなかったかもと思うとポジティブになりたいと思えない。けど、石橋を叩き壊した気もする…
「深く考えすぎるな」とか「楽観的に」とかよく言われてるけど、
物事をスムーズに処理するには計画と段取りが必要なこともあるし、
そのためには結局リスクとか不安要素もある程度考慮しないといけないんだよね。
さっさと専門家に相談してサクッと解決したほうが後々楽だったり・・・
※37
金がない、病院もない、足もない。
ここは陸の孤島やで。
例えば空を見ただけで、その雲や色によっては何かを思い出した様にソワソワザワザワした気分になる事がある。
でもコレが何故か自分では分からない。
ときどき人の顔によっては、顔を見ただけで匂いのイメージがわく(別に臭いとかじゃなく、例えば青のりの匂いがしそうだなとか、ジャガイモの味がしそうな顔だなとか)もある。
誰か同じだって人いない?
こんなん誰にも言えないんだけど。
他人に理解されなくても全く気にしない私は神経が太いんだろうか?
物心ついた幼児の頃からずっと、他人が解らない理解されないなんて、皆そうだろうし当たり前だと思ってたし
だからこそ、ある部分では解る、共感できると、それも嬉しいし
一時の不安も当たり前だし、でも一生は続かないし、まあ即死ぬ訳でもないし
もっと言うと、死んでも次があるし
(ワイはうっすら前世の記憶があるので輪廻はただの実感でしかない、まるで無宗教だが)
どんな悲惨な人生でも(実際、割と悲惨だが)焦る理由が、ないのですよ。まるで。
今回はこういう設定のゲームなんですねー。という。ただ、それだけ。
一生かけて今生のテーマをクリアすればいいだけ。皆。
不安は大概、ただの妄想、想い癖だから。
瞑想でも皿洗いでも何でもいいから、気分を平たくして、切り替えるだけ。
淡々と何年も地道に訓練すれば、切り替え早くなるよ。
変なナルシズムや被害者意識が、一番、自分自身にも他人にも邪魔になる。
なんか大体分かってることなんだろうけど
ある時期から、こうした方がいい
みたいなのが辛くなって、字だけ送った
そんな簡単に変われないし、自分を否定するようだ
4と5は矛盾しません?
結構不安がりな質だけど、映画で凄い痛そうなシーンを見ると1発でノックアウトされるのは感受性が強いのかな?
吐きはしないけど血の気が引いて頭がクラクラする。発狂しそうな気持ちの悪さもセットで落ち落ち映画も見られない。
実写やそのレベルのCG以外は大丈夫なんだけどね。
よくわかんない。
無神経な人って、一瞬うらやましく思ったりするけど、
やっぱり「その人のようになりたいか」と問われたら、
ぜったいにイヤだよね。
感受性高い人はドラマやアニメとかで登場人物が失敗するシーンを嫌がる
体の調子が悪いとどうしてもマイナス思考になってしまうよ。普通の人のように働くこと旅行にいくことも出来ない。日々のギリギリの家事や用事をすますだけでヘトヘト。
病院に行っているけど、中々解決法もなく徐々に悪化する状態をただ眺めてるだけ。
感受性が高いっていうか「一を聞いて十を知る」に代表されるような人達は総じて察しがいいから、早い段階で自発的に状況対応能力を身につけて自信や達観を持つようになるしなあ、別にこういうアドバイスがなくても彼らは大丈夫だと思うよ。流石にカミーユレベルが戦争とかの極限状態に追い込まれると厳しいかもしれんが
境界線の引き方が下手ですわ
感受性は無常である。無常なるものは苦である。苦なるものは無我である。
無我なるものは、わが所有にあらず、わが我にあらず、またわが本体にあらず。まことに、かくのごとく、正しき智慧をもって観るがよい。
この教えを聞いた聖なる弟子たちは、そのように観て、感受性を厭い離れる。厭い離るれば貪欲を離れる。貪欲を離るれば解脱する。解脱すれば、解脱したとの智が生じ、<わが迷いの生はすでに尽きた。清浄の行はすでに成った。作すべきことはすでに弁じた。このうえ、もはや迷いの生を繰返すことはないであろう>と知るのである」
不安定な人生だからこそ操縦するんだ。だからこそ目標に向かって飛んで行けるんだ。操縦桿を握れ
人や動物の感情?にすぐ乗っかちゃうから本当困る
自分が体験したような感覚で長く考えてしまったり忘れられなかったり
若干テーマにズレを感じるので思うことを書きます
感受性の高い人はそれ故に他人の不幸をそのまま背負うことが多いと思うんですよ
だから他人の不幸を取り除くことに必死になる
見かけの上では、ある種の利他愛にも似ているんだけどその本質は同情ではなく
自己救済のようなものでしょう
それ自体に問題はないことが多いのですが、問題は他人の不幸には際限がなく自分でそれを未然に防ぐことも出来ないことです
また、誰かが他の誰かに向けた敵意や悪意に傷ついてしまう、というような場合に
これを解決することができないのです
今きつかったから助かるよありがとう
動物の感情が伝わって来ることがあるな。
素晴らしい
しかしこれを知ったところで今抱えているこの不安が結果の体調不良がどっか行ってくれるわけじゃないんだよな
やっぱ病院行く。
※61
失敗するキャラによる
「ざまぁw」が増幅されるときもあるぜ
至道無難唯嫌揀択。細かいことを気にしなければ大体のことはうまくいく、という意味。これをなるべく想起するようにしてる。
ただ、そういう意思とは無関係に、頭の中で不安なこと・嫌なことをいつまでもいつまでも勝手に反芻してしまうことが辛い。
ええいうるさい私は頑張るのだ!と張り切っても構わず続く。音楽が耳から離れないのと同じ。気合を入れて勇気を出して行動しても一日中反芻されるので、それでいちいち胃が荒れる。
なるべく客観的になり冷静さを保とうとするんだけど、そうすると自分の感性すべてを他人事にして無視したり否定してしまうので、バランスとるのが難しい。
余計なお世話かも知れんが
自分の場合、脳内グルグル(@_@)不安思考は、マントラ的なモノでいったんストップかけてから、感情や問題の抑圧はせず「書いて」言語化&分析するのが、じわじわ効いた
脳内思考だけだとループしがちだが、書き出すと自分の思考の流れ、癖が解りやすくなる
自分自身に突っ込む冷静さも出るし
他人に見せるわけじゃないから何書いたっていい、自己カウンセリングのようなもの
マントラといっても別に宗教とかじゃなく、いったん気分を立て直すための短い文を設定する、それだけ
単に数を数えるのでもいいしホ・オポノポノでもお経でも意味のないフレーズでも何でもいい
たとえば体が疲れたり猫背になって腰が痛かったら、一息入れてグッと背筋を伸ばすだろ?
アレを意識を立て直す時にもやる感じ
「まあ待て」と気分を起点に戻す癖をつける
感受性共感性想像力の高い人は
「エンパス」でググってみてください
一種の才能だと思います
感受性が高い人にはゼロベース思考が利く
大きく息吸って長~くはいて
肩の力を抜いてボーッとしてみる
しばらくすると腹の底辺りからムクムクと湧いて来るものがあるはず
それに従えばいい
一定の基準より頭が良ければ人より気付きが多くなるが、普通の人が1気付く時に10気付くとして、10個気付いた内の7,8はマイナスイメージなんだよね。残りの1,2を残りのマイナスイメージを抑え込んでうまく表に表現する為に人より心身に負担が掛かっている
>5. 怖いものから逃げない
ドメスティック・バイオレンスとか虐待とか
逃げたほうがいい場合もあるよ。
自意識過剰。
誰もお前のことなんか気に留めてない。
と、思ってると結構楽。
私の心の安らぎを、世界観を父は壊すんです、残酷な事を言ったり見せたり洗脳します、世界はヤバくて危なくてお前は馬鹿と、おかしいと思うのに母は知らないんです、ていうか 聞いていても知らないふりをします、その卑怯さや、無能さに腸が煮る、
あの人たちはイカれている、私は私をそのままを愛していいのか分からなくなる 他人の思想は自由である自分の思想も同じに自由
そうでなくては人ではない
父も母も、私のことを「人間」扱いしなかったんですよ、
シリアスな小説とか漫画とか読むとその雰囲気を引きずって生活に支障が出るから読めないんだよね
あれが面白いとかこれがリアルとか世間でブームになっても乗っかれないw
雰囲気や画面が暗い映像も嫌w
コメディとかほのぼの系しか手がだせなくて自分って薄っぺらい人間なのかなと思ってたけど、もしかして感受性の問題だったのかな?
他人や家族を抑圧して傷つけ自分を保とうとするエナジーバンパイヤ的な公害人間はどこにでも一定数いる(少数派だが)
そういう輩は不安や恐怖を煽り他人を操作したがる
汚染源から離れるのが自分を守る一番の対策だけど、時間も覚悟も金も要る
他人に(家族も)苦情を言って要求しても、自覚ない人や良心ない人は変わらない。
自分が自立して変わるしかない。
全ての人間は自由だ。
不自由、不幸になる自由もあるし
平和に幸せになる自由もある。
途中が不安でも、依存心さえ克服できたら、
どこで誰と(独りでも)どう生きても自由だ。
それが解ればキモが据わる。はず。
人に話せば「変なこと言ってるって思われないかな、大丈夫かな」と思ってしまう。
それでも話したくって、聞いて欲しくって最終的に独り言に行きつきました。
話し手も聞き手も自分ってかんじだから楽なのかな。
6. 人生をコントロールすることはできないが、それに対してどう対処するかは自分でコントロールすることができる
これ良い!!! まさに!
人間関係を断ち切るって言ったって、家族だけはどうにもできんのだ。><;
あとはやっぱり読経だな。何はともあれ・・法華経を。
最近感情は振り子だと思うようになった
悲しい⇨嬉しい
すごい嬉しいことはすごい悲しいとセットで
要は振り子を派手に動かさないことが大事なんかなと
大人になって感情がフラットになっていくのも
振り子のコントロールがうまくなっていくからなのではないかとね
♪
怖いものから逃げないかぁ・・・その対象によるなぁ。
克服できる恐怖は克服すべきだけど、
絶対的な恐怖にあまり立ち向かうのも危険かも。
西欧人は戦い好きだから、この辺はアジア人とは違うでしょうね。
例えば、地震や台風を怖がるなというのはやっぱり違うでしょ。
この記事を見て全ての項目に当てはまったので改めて私は感受性が強い人なんだとわかりました。
感受性の強い私にとって本当にためになる言葉ばかりで今とても清々しい気持ちです。
このような記事を作って下さった管理人さんに感謝です!
対処は気付いて分かっていても出来ないから辛いんだろ。「へーそうなんだーじゃあそうしよう」と言って簡単に馬鹿で鈍感になれたら苦労しない。
人口密度が低い、自然の豊かな所でお金の心配なく暮らせると、こういう人も幸せになる。
自然が豊か=元気な植物たちの力も感じ取るから。
実際、人間には本来肉体だけで捉えられる範囲以外にも感性はある。ただ、社会や親たちがまるでそれがないかのように教育してるだけじゃないのかな?
思考はパルスとして脳から出てるし、磁石のように同じような波形の人同士は合うし、心地が良いと感じるもの。
金持ち喧嘩せず、ってよく言われるのもストレスが少ない人同士が合うから楽チンな関係でいられるってこと。
感受性って、「自己」の範囲が広めなだけ。
そして都会は広告含め、主張のオンパレード、、広告製作者の気分まで感じる。
ゆとりのある環境でのんびり暮らしたら、感受性は幸せなものばかりを拾えるようになる。
だから、ロシアのアルタイ地方のような自然豊かな場所はそういう人々にとって、また、都会で何か作る人々にとって超オススメです。
この中から1つだけ選んで実行しろと言うならまだしも。
全部同時には無理だぜえ・・
だって、逃げろ!避けろ!と言う次に、立ち向かえ! て、・・どっちなんじゃい!?
もっとこう、
「もし電車が遅れて今日一日遅刻して絶望したとしても、どうせお前1年後にはすーっかり忘れてることやろ?どうでもええことやん!」とか
「大事な試験に落ちるかもしれなくて将来の不安で怖い?どうせお前は試験に受かっても別の事で将来の不安やら不幸やらを感じると思うで?どうせ同じや同じ!」
「お前なんか、地球にとっても1ミクロンの価値もないで。宇宙規模で言ったら0.0000000… ほんとどうでもええな!気にする必要も0.000001ミクロンくらいやで!どーにでもなるなる上には上がいるし下には下がいるし、どーでもなるしどうなっても慣れる慣れる!」
みたいな気楽になる話かと思ったらクソ真面目なアドバイスでちょっと緊張しちゃったでゴザル。
心が折れても、お払い箱になっても、死ぬわけじゃない。こうしたことを体験した人に訊いてごらん
死んだ人の話は訊けないんだぞ!
ネットには無数に自殺を仄めかして突然更新が止まるブログ、ツイッター
沢山ある
それらに同調しそうになる度にこの世界への絶望が深まっていってる
3年も前の記事だけど、記事の内容よりコメント欄に書いてある同じような人たちの言葉に少し心が軽くなったよ
ありがとね
これが出来たら苦労しない定期
>これが出来たら苦労しない定期
あたぼうだw。
ちょっとお酒入って世界観が変わると楽しくなれるが、生きることとは不安とのセットだが、それでも僕が病気になって狂気に振れないのは、その不安は一歩手前で止まってることを意味する。
ビッグファイブに付いて学ぼうか。
個人的な話だけど
あのときの自分の行動や言動が、あの人にはこういう風に見えたのかも
っていう憶測が、時間が経つほど何パターンも出てくる。
こうすればよかった~とか、あのときの自分は気づかなくて事態を悪化させていたなぁとか後悔してしまう。
タイトル見ただけで不安で心配で
この記事は読めない。
死にはしないんだから気にするなっていうけど
言うほど死を恐れてどうこうじゃないと思うんだよね
むしろどん底で苦しい中を生きていかなければいけないということで心が折れる
「どんな苦境もいつかは終わる」のも確かに事実なんだが
「生きてるうちに終わるとは言ってない」だからなあ
自分も感受性が強くてTVで「ココが痛いと命にかかわる病気」みたいな番組を見ると、その後にその部分が痛んで病院に行く羽目になったりしてた
今は「不安の9割は実現しない1割は心配した事によって回避できる」ってのを格言にしてる
本当にその通りなので心がかなり軽くなったよ
HSP(Highly Sensitive Person)と違うのかな?
10.生きていれば結構なんとかなるもんだ の言い草には引っかかるものがある。
死にゃしないという楽観の前提として生への執着がある。これは必ずしも共有できる前提ではない。
例えば鞭打ち刑を受けたり、爪剥ぎ拷問を受けている人が望むのは、本当に生の継続だろうか。
ここまで極端じゃなくても、日常的に疎外感や閉塞感に苛まれている人が生きてりゃ良いことあるよと言われても「私は”今”辛いんだよ!」と憤慨するだろう。
根本的な話をすれば恐れや不安の本質は苦痛への拒絶反応。
恐れの本質は今ココにある苦痛そのものであって、死はそれをもたらしうる概念の一つに過ぎない。
志半ばで斃れるという希望の断絶、家族友人を悲しませてしまうという罪悪感、死に至るほどの傷や病で受ける身体的苦痛。
これらを拒絶したい、しかし避けがたいと感じるから不安に駆られる。苦痛を想起することでの苦痛という構造。
だからは不安に苛まれる人に必要なのは今ある苦痛を緩和する具体的手段と、苦痛を想起させる状況や環境から離脱。楽観主義への思考様式の変容は後者。
そして前者の手段として自殺を選ぶ人が耐えないことは理解しておく必要がある。
こういったことって、ただ単に他人からの受け売りだとそれぞれ本人にはなかなかしっくりこないように思いますねw、だからみんなそれぞれ思い思いの自分の考え方を書いてる。そういったことを自分なりに考えるキッカケとして、こういった手法や法則を知ることは有効ですね。
主スレ、ツッコミどころ満載やな。持てる者の戯言やわ。
気にしいなところがあるようで、悪い方に悪い方に想像を働かせては鬱々としては自分の首絞めてたので
とにかくやることやってみて「なるほどこうすると、こうなるのね」「では次のお客さま(対処法)~」ってとりあえずトライアル・アンド・エラーしてるよ
それでも「ちょっときついな…」って時があるけど、そんなときは1と2の言葉を思い出そうと思いました。素敵な記事をありがとう。
世の中が悪い
感受性が高すぎるってただの道具だからな。
何とかもハサミも使いようってこと。
たしかに使い慣れない頃はただただしんどいが
これが逆に使いこなせるようになると
ものすごく優秀な武器になる。
使いこなせるようになるまで時間が掛かるけどな。
誰かに話すは案外ハードル高いけど、割と独り言でもスッキリする
少しは考えがまとまるのかなと思ってる
誰かに話すのが良いとは思うけどこの不安を理解してくれて聞いてくれる人はいないんだなこれが
親にすら面倒くさいと言われたし
人に話すことでまた新たな不安が出てくるから結局我慢して自分の中で消化していくしかない
何もかも分かってるんですよ。
でも、それだからといってできるわけではない。
世に猖獗する心無い言葉、弱者叩き、競争、あまりにも多くの悪徳を見て、どうやって、これを展開する大衆を意識せずに生きていけるというのですか。
助け合いの精神もない。只管、他罰的。苦心しても、厭世感は深まるばかり。
明らめるにも耐えられぬ、絶望感。
そして、これを共有できそうな人が、おおよそ存在しないという絶望ですよ。
隠遁しかない。それか、ヨーロッパか東南アジアに移住するしかない。
壊れかかった精神に鞭打ってでも、これらを達成するしかない。