第15回:中国ミステリは現実の事件を扱えるか(執筆者・阿井幸作)

 
 毎回この場所を借りて中国ミステリの一部を取り上げてきましたが、今回は私が常々読みたいと思っている中国ミステリを紹介したいと思います。
 
 中国ミステリと一口に言ってもこのジャンルは既に多岐に渡り、ある程度の読者のニーズにまで応えられるようになりました。低年齢層向けにはライトノベル系ミステリの『推理筆記』シリーズ(2010年~)があり、SFミステリならば雑誌『超好看』の肝煎りで出版された『風雪山神廟』(2015年)、そして武侠小説とミステリを組み合わせて中国色を出した『冥海花』(2011年)もあり、一概に『中国ミステリ』と一括りにはできません。
 さらにに本格ミステリも台湾の寵物先生(振り仮名:ミスターペッツ。第一回島田荘司推理小説賞受賞者)や香港の陳浩基(第二回島田荘司推理小説賞受賞者)を探さずとも普璞や王稼駿、そして紫金陳ら大陸の作家に任せることができ、中国大陸のミステリも決して遅れているわけではないことがわかります。
 最近情勢が不穏な中国現地にいる私はこのように成熟していっているかのように見える中国ミステリに対して以下のようなミステリの誕生を願ってなりません。
 それは中国で現実に起きた事件を小説化した中国ミステリです。もちろん事件と言っても三面記事に載るような小さなものではなく、例えば最近で言えば日本でも話題になりテロや陰謀論なども囁かれた天津大爆発事件や、10月の国慶節連休直前に発生して恐るべきスピードで解決した連続小包爆発事件、そして汚職官僚や腐敗分子の摘発と言った共産党関係者の事件などです。決して真相が明らかにされず、事件の背後に何かがあると疑う社会情勢にある中国はまさにミステリの題材の宝庫だと思うのですが、政府発表と異なる見解を出すことに危険が伴うこの国ではそこまで真に迫った社会派ミステリを書くことは難しく、ネットで発表したとしてもすぐに削除されてしまうでしょう。
 この件について中国のネットでも情報を募りましたがやはり私の求める作品はなさそうで、あとは中国国外を探すしかなさそうです。
 
 中国で現実の事件を基にした小説として挙げることができるのは社会派ミステリよりもサスペンスやホラー小説の類になります。『尸語者』(2012年)や『無声的証詞』(2013年)は監察医の肩書を持つ作家・秦明が実際の事件を基に書き上げたサスペンス小説です。『法医秦明』シリーズと呼ばれる一連の作品はもともとネット小説でしたが今では50万部を超すベストセラーとなり、中国のサスペンス小説界を牽引しています。
 また、作家・蜘蛛の『十宗罪』(2010年)も実際に起きた奇妙かつ残酷な事件を小説にしていると言われていて、目を覆いたくなるよう凶悪犯罪に選び抜かれた警察官が果敢に挑むという警察小説の体裁が取られています。
 これらの本に登場する地名や人名は匿名にされ被害者らのプライバシーに配慮されているようですが、そこに書かれているのは中国で本当にこんな残虐な事件が起きたのかと疑いたくなるほどのもので、『ほんとうにあった怖い話』程度の信憑性に留めておく方が良いかもしれません。また、題材として使われている事件はどれも衝撃的ではありますが結局は民間の犯罪ですので、やはり私が望むような腐敗分子の犯罪が取り上げられることは今後もないでしょう。
 
 ちなみに舞台となる場所を匿名にするのは一般のミステリ小説にもよく使われる手法で、例えば周浩暉の『死亡通知単』(2008年)の舞台はA市としか書かれず、紫金陳の『無証之罪』(2014年)は架空の地名が設定されていました。両方共、高い知能を持つ犯罪者の凶行に為す術のない警察の醜態が書かれているので、もしかすると現実の警察への配慮なのかもしれません。ただし、指紋の『刀鋒上的救贖』(2011年)では殺人や強姦などの凶悪事件が次々発生する舞台として北京市が選ばれているため匿名が絶対条件というわけではなさそうです。
 
 現実社会に大きな影響を与えた事件を題材にした中国ミステリは今後も現れないのでしょうか。そこで可能性があるのが公安関係のミステリです。公安関係局が出版している『啄木鳥』という雑誌は小説以外に中国で実際にあった大捕り物のドキュメンタリーを掲載していて、流石当事者側が書いているだけあってリアリティはあります。ただし政府見解を否定することを書けるわけがなく、公式発表をなぞるだけですので公安に対して都合の悪いことは表に出ません。
 
「ミステリ小説は民主主義の社会でなければ成熟しない」と言ったのは森村誠一だったでしょうが、中国におけるミステリはここ数年で着実に成長していっていると実感しています。このまま成長を続けていく上で中国社会に存在するタブーが中国ミステリの発展を阻害することになるのか、それともタブーと上手く折り合いをつけていくのか予想もできません。ただ、私が求める中国ミステリの出現にはまず中国人自身が読みたいと思わなければ何も始まりません。そしてそれは外国人が気軽に踏み込める問題では無いので催促することもできず、今はただその登場を気長に待ち続けるしかないようです。
  


阿井 幸作(あい こうさく)


中国ミステリ愛好家。北京在住。現地のミステリーを購読・研究し、日本へ紹介していく。
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