高いインフレ目標と中央銀行の独立性の関係

オーストラリアの経済学者ジョン・クイギンが、表題の件に関してユニークな議論を展開している(Economist's View経由)。

Linking to Bennett McCallum with some puzzlement a while back, Brad DeLong asked why a higher inflation target could be seen as undermining central bank independence. I’m with McCallum on the analysis, but not on the policy conclusion. A higher inflation target would reduce central bank independence, and a good thing too.
(拙訳)
少し前にブラッド・デロングが、当惑気味にベネット・マッカラムの主張にリンクしながら、なぜインフレ目標を高めることが中央銀行の独立性を損なうように見えるのか、と問い掛けた。この件については私はマッカラムの分析に賛同する。ただし、彼の政策に関する結論には賛同しない。インフレ目標を高めることは中央銀行の独立性を減じることにつながるが、それは同時に良いことでもあるのだ。


この後にクイギンは、中央銀行の独立性を(効率的市場仮説と同様に)強形式と弱形式に分類している。弱形式は中央銀行に政府があれこれ指図しないこと、強形式はインフレ目標を定めたらその達成については中央銀行に任せることである。前者は先進国では昔から当たり前になっている独立性である。後者は1990年代に広まった独立性であり、クイギンに言わせれば、以下の要素から成り立っている。

この独立性を極端にまで推し進めたのが、当時自由市場主義者たちの称賛の的となったニュージーランドである、とクイギンは言う。しかし、それは惨憺たる失敗に終わり、そこまで極端な独立性を追求しなかったオーストラリアがアジア金融危機をうまく乗り切ったのに対し、ニュージーランドは陥る必要の無かった不況に陥った、とクイギンは断じている。


その上で、以下のように結論付けている。

A higher inflation target would be an even more direct repudiation of central bank independence. Not only would it facilitate active fiscal policy but it would underscore the point that the greatest financial disaster in history occurred during the era of strong central bank independence and as a result of the combination of central bank independence and financial deregulation, previously cheered on as the cause of the Great Moderation.

To paraphrase Clemenceau, monetary policy is too important to be left to central bankers. Governments will inevitably held responsible for the outcomes of macroeconomic policy, so they need to take a substantial share in shaping it.
(拙訳)
インフレ目標を高めることは、(積極的な財政政策や金融の規制強化よりも)さらに直接的な中央銀行の独立性の否認となる。それは積極的な財政政策の余地を作り出すだけではなく、史上最大の金融災害が強形式の中央銀行の独立性の時代に起きたこと、および、かつては大平穏期をもたらしたとしてもてはやされた中央銀行の独立と金融の規制緩和の組み合わせの結果として起きたことを強調することになる。
クレマンソーの言葉*1を言い換えるならば、金融政策は中央銀行家に任せるには重大すぎる。政府は必然的にマクロ経済政策の結果責任を問われるのだから、その政策策定にも実質的に関わるべきである。


このクイギンの議論に対し、オーストラリアでRismark Internationalなる不動産関連の金融ビジネス会社を営むChristopher Joyeという人が以下のように噛み付いている(クイギン自身がエントリの追記でリンクしている)。

As far as I can see, John does not tender credible cases in support of this thesis. It is more an ideological crusade that bundles together independent, inflation-targeting central banks with Libertarian, free-market fundamentalism, the latter of which is John's bete noire. This is one debate Australia does not need. On the contrary, I believe we should consider cutting the RBA's CPI target from 2.5% to 1.5%.
(拙訳)
私の見る限り、ジョンはこの主張を支持するような信頼できる論拠を示していない。これはむしろ、インフレ目標を掲げる独立した中央銀行と、ジョンが忌み嫌うリバタリアン的な市場原理主義とを一緒くたにしたイデオロギー的な戦闘なのだ。こうした議論はオーストラリアでは不要だ。逆に私は、オーストラリア準備銀行のCPI目標を2.5%から1.5%に切り下げることを検討すべきと考えている。

これに対しクイギンは、自分の議論は欧米を念頭に置いたものだ、と釈明している。

*1:cf. ここ。「La guerre! C’est une chose trop grave pour la confier à des militaires./(英訳)War is too serious a matter to entrust to military men.」