3月11日のハンギョレ新聞に掲載されていた高橋哲哉氏のコラムです。
やっぱり日本社会って、構造的にイジメの要素を持っているんじゃないかなぁ・・・。でも東京地裁での和解の成立は希望が持てる“成果”ですね。それではどうぞ。
日本の右翼による在日朝鮮人攻撃/高橋哲哉
今年の盧武鉉大統領の3・1節記念演説は、日本でも報道された。ところで最近、日本では在日朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の“3・1節記念在日朝鮮人中央大会”をめぐって看過できない事件が起こった。この集会は3月3日、日比谷公園の野外音楽堂で開かれる予定だった。東京都は1月25日に場所使用を許可したが、2月 16日に突然取り消した。理由は「日本人拉致事件があるのに、北朝鮮との関係が深い総連に(場所を)貸してはならない」という右翼団体の抗議のため、反対者の妨害行為が予想され、参加者の安全を保障できないというものだった。
東京地方裁判所は使用取り消しの執行停止を要求した朝鮮総連の訴えを認め、28日に場所使用を認める判決を下した。これに東京都が不服を申し立て、高等裁判所に抗告したが、高等裁判所はこれを棄却した。
会場の使用が許可されたことと、日本の司法が良心を発揮したことに私はまず安心した。右翼の脅迫に屈服し、民主主義の根幹となる“集会の自由”を否定することは、あってはならないことだ。
東京都の使用取り消し決定がどのような背景で下されたのかを考えてみると、問題はさらに深刻だ。2002年の日朝首脳会談以降、日本社会では日本人拉致事件を北朝鮮の“国家犯罪”として糾弾するあまり、北朝鮮と直・間接的につながるあらゆるものを無条件に“悪”として規定する傾向がますます強まった。朝鮮学校の児童・生徒に対するいやがらせは、以前から何かあるたびに繰り返されたが、最近は日本当局や警察が朝鮮総連や在日朝鮮人を標的にし、大したことではない問題で多くの公安職員を動員して逮捕や家宅捜査をする場合が目につくようになった。警察庁長官の発言も、北朝鮮を窮地に追い込むための“国策操作”という雰囲気を漂わせている。
石原慎太郎知事が率いる東京都の場合、枝川朝鮮人学校に対する弾圧を行った。東京都江東区枝川は、戦前はごみ焼却場だったが、そこに在日朝鮮人が強制移住させられた後、自力で民族学校を運営してきた。戦後、東京都はこの地域の管理を一切放棄してきた。2003年12月、都は枝川朝鮮人学校が都有地を不法占拠しているとし、4億円の地代の支払いと退去を求める訴訟を提起した。世界の常識による民族教育権を保障することはおろか、歴史的経緯も責任も無視し、すでに60人以上の子供たちが学んでいる学校を潰そうとする行為だ。
日本人拉致事件が公になって以降、いわゆる右翼勢力だけでなく、日本の公権力自体が在日朝鮮人に対する攻撃性を強化している。朝鮮総連主催の“3・1節記念大会”は、このような流れに真っ向から抗議し、万景峰号の入港禁止など日本政府による制裁措置の撤回、在日朝鮮人の人権擁護を求める内容だった。このような中で起こった東京都の場所使用取り消し決定は、それ自体が非常に政治的な圧迫行為ではないのかという疑問を抱かずにはいられない。
日本の裁判所は今回、既存の流れとは反対に集会の自由を守る姿勢を見せた。しかし、それよりも“場所使用取り消し”のニュースがインターネットなどによって伝わった際に、電話やファックスでこれに抗議する声が広まったという点がより心強かった。上で述べた枝川朝鮮人学校問題の件も、学校を守ろうとする在日朝鮮人と韓国人に協力するために、日本人弁護士や市民が熱心に活動した。東京地方裁判所で8日、学校側の実質勝訴と言える和解が成立した。学校側が1億 7000万円の和解金を支払い、4000坪以上の土地を取得できることになったことも、このような連帯の成果だと言えるだろう。
高橋哲哉/東京大学教授・哲学
2007年3月11日 ハンギョレ新聞