日本の総選挙とマニフェスト/李鍾元
8月30日に予定された衆議院選挙を控え、日本列島は暑い8月を迎えている。そのうえ戦後日本の政治史上初めて、選挙による政権交代が実現する可能性が高い選挙だ。まだ公式的な選挙運動期間は始まっていないが、関心と熱気が徐々に高まっている。先週、講演を兼ねて訪問した札幌で会った民主党の関係者は、「北海道全勝」の可能性まで言及した。旧社会党時代から、農民層の支持を基盤に伝統的に野党が強く、現在も民主党が多数派を占めている地域ではあるが、それほど「政権交代の風」が強く吹いているという意味なのだろう。むしろ民主党に吹く風が強すぎて、その反作用が起きたり、「バブル」のようにはじけてしまうのではないかと心配しているようだった。
もちろん、「風」だけではないようだ。最近は、マスコミでマニフェストという用語に接しない日はほとんどない。各政党が選挙公約を具体的な政策構想として発表するマニフェスト選挙が定着したような感じだ。日本は1990年代以降、二大政党制と政策選挙による政権交代方式が確立した英国をモデルに政治改革を推進してきた。小選挙区制と党首討論などと共に、マニフェスト選挙もその一環だった。もともとの意味は「宣言」、「声明」だが、ここでは政党または候補者が選挙の際に提示する公約と政策構想を意味する。従来、韓国や日本で使われていた「選挙公約」と意味上は同じだが、内容的に単純なスローガンに終わらず、政策目標やその実現時期、方法、財源を具体的な数値目標と共に提示することで、政策の実現可能性と事後検証を可能にするという点が大きな特徴だ。19世紀中頃、英国で始まった選挙マニフェストが日本に導入されたのは、1999年の統一地方選挙のときからだ。一部の改革派自治体の首長候補たちがマニフェストを提示したことを契機に、2003年の総選挙から全国選挙へも拡散しはじめた。
マニフェスト方式をもっとも積極的に活用したのは、統合野党として発足した民主党だった。授権政党としての政策能力を具体的に提示する手段として、重視されたのはもちろんだ。これと共に、旧社会党出身から自民党に脱党派まで党内に多様な性向のグループが共存する民主党が、党内に政策対立を最小化し、対外的に統一した姿を見せるという意味も大きい。実際にマニフェストを打ち立てて何度も選挙を経ながら、「烏合の衆」と揶揄されていた民主党は、授権政党としてのイメージや容貌を備えるようになった。この過程で年金や医療など、生活と直結した社会福祉問題に専門性を備えた「政策通」の民主党議員たちも、新しい類型の政治家として頭角を現した。半世紀以上続いた自民党の「一党優位体制」が弱体化しながら、執権能力を備えた統合野党がどのように形成されてきたのか?この数年間の日本の政治は、興味深い事例を提供してきた。
各政党が競って打ち出すマニフェストだが、その内容の充実度には多くの差異があり、これを詳細に読んで理解する有権者もそれほど多くはない。しかしこれを土台に、マスコミも各政党の政策を比較・分析する報道に比重を置いている。ニュースや時事番組だけでなく、主婦層を対象にした昼の番組でも「マニフェスト放談」が展開されるなど、有権者の政治意識の形成にも大きな役割を果たしている。各政党のマニフェストを比較・評価する市民団体が各地で出てきており、マニフェスト研究所を解説した大学もある。政策は政治家と官僚に任せておいて、国家の決定に従うばかりだった保守的な日本社会でも、「有権者民主主義」への変化が少しずつ起きているようだ。
李鍾元/立教大教授・国際政治