ウルムチの涙、その種は差別と排除
『ハンギョレ21』[2009.07.17第769号]
中国政府の漢族移住政策でウイグル族がますます少数派に転落…
溜まった剥奪感が民族的葛藤として爆発
▣チョン・インファン
差別と葛藤の種がまかれると、挫折と憤怒は流血の実を結ぶ。だが死んだり傷つたりするのは、いつも力のない貧しい者たちだ。中国西部にある新疆ウイグル自治区の省都ウルムチの血の色が、乱雑な今日を作り出しているのもこれと同じ論理だ。
» 中国西部の新疆自治区でウイグル族と漢族住民の間で流血の事態が起こってから4日目の7月8日、中国軍の兵士とデモ鎮圧の警察兵力が省都ウルムチの中央広場に整列して威力を誇示している。写真REUTERS/DAVIDGRAY
時間を少しだけ戻してみよう。6月25日夜、中国南部広東省の韶関市に位置する香港系おもちゃ工場「シル」の社員寮が血に染まった。鉄パイプなどで武装した漢族労働者100人余りが、集団でウイグル族労働者の寮を襲撃したのだ。この工場では、これに先立つ5月と6月の2ヶ月間にわたり、合計800人ほどの新疆出身のウイグル族労働者を新規採用していた。ウイグル族労働者が来てから寮の内外で犯罪が急増したという話に尾びれがつき、挙句の果てにはウイグル族労働者が自分たちの寮で漢族女性労働者を強姦したという怪しげな噂が漢族労働者を刺激した。
広東で流れた血がウルムチ事態の起爆剤
一晩の「活劇」は明くる朝、400余りの公安兵力が出動した後に収まった。この過程でウイグル族労働者2人が無残に殺害された。香港の日刊『サウス・チャイナ・モーニング・ポスト』は、6月28日付で「この日の流血事件で病院に運ばれた負傷者は、重傷者10人以上を含む118人に達した」、「このうち81人がウイグル族労働者」だと伝えた。事実上、漢族労働者による一方的な「襲撃」だった
「根拠のない噂」が広まったのは、事件発生から3日後の6月28日だ。この日、中国官営の『新華社通信』は「公安当局は、事件の発端になった根拠のない噂を広めた容疑者を逮捕した」と報道した。「チュ某」と伝えられた漢族出身の容疑者は、当初シロ工場で働いていたが、退職後の再就職先が思うように見つからなかったことが伝えられた。最近、ウイグル族労働者が大量に採用されたせいで職が見つからないと考えたのだろうか?彼は「新疆のやつらが無辜な漢族女性2人をシロ工場の寮で強姦した」という無謀な嘘をインターネットサイトに広め、泥沼にはまった。
広東省で流れた血は、3200km以上離れた新疆で再び流血の事態を招いた。7月5日、省都ウルムチで怒り狂ったウイグル族が、シロ工場で同族が無残に殺されたことに抗議するデモを行った。数百人で始まったデモは、瞬く間に数千人に膨らんだ。昔から続く差別が作り出した怒りは、それだけ揮発性が強かった。『新華社通信』は「(ウイグル族の)暴徒が(漢族の)通行人を襲い、車両に火をつけた」と伝えた。デモ隊への発砲のニュースがそれに続いた。
翌日の7月6日、中国当局は前日だけで140人もの人がこの流血事件で死亡したと公式発表した。街は封鎖され、重武装した軍兵力が路上を占領した。外部との通信は遮断され、インターネットも通じにくくなった。『AP通信』は現地の携帯電話会社である「チャイナ・モバイル」の関係者の話を引用し、「平和を維持し、流血事態が広がることを防ぐために携帯電話サービスを中断した」と伝えた。中国当局はデモが「事前に緻密に計画されたもの」だと発表した。検挙旋風が吹き荒れはじめた。
事件から3日目、中国当局は人命被害の規模を修正した。その間、死亡156人、負傷者も1000人余りに増えた。7月5日の状況がどの程度だったのか、今さらながらぞっとした。中国当局はこの日までに逮捕した「暴徒」が1430人以上にのぼると付け加えた。この日の午後、武装した漢族住民たちが「報復攻撃」に出たため、公安当局は夜9時から翌日の朝8時まで通行禁止令を出した。
新疆自治区は中国全体の面積の6分の1を占める広大な地に、13の民族2000万人が暮らしている場所だ。代々その地で暮らしてきたウイグル族は、清朝が滅亡した1912年以降に広範囲な自治を享受してきた。1933年10月に完全な独立を宣布し、第1次東トルキスタン共和国を建設したが、翌年初頭に再び中国に帰属した。独立への熱望は簡単には静まらず、1944年にソ連の支援を受けて第2次東トルキスタン共和国を樹立した。しかし中国共産党は1949年、再びウルムチを掌握し、1955年に新疆を自治区として宣布した。ウイグル族は1949年を「植民化」元年と呼ぶが、中国当局の公式的な立場は「西漢時代(紀元前206年~西暦24年/前漢)にまで遡る、手放せない中国の領土の一部」というものだ。
1990年代に入り、ウイグル族の分離・独立の動きが再び拡大し、「東トルキスタン・イスラム運動」(ETIM)という団体まで作られた。中国版「テロとの戦い」が後に続いた。2001年の9・11同時多発テロの直後、中国当局はETIMがアルカイダと関連のあるテロ組織だと主張した。ウルムチで今回の流血事態が起きた直後、『新華社通信』は「テロと分裂主義、極端主義という3大勢力が再び混乱を煽っている」と非難したのも、このような脈絡からだった。米国務省もETIMをテロ団体と指定している。
偶然の一致なのだろうか?ETIMの名前が知られるようになった頃から、中国当局は西部開発事業を大々的に推進しはじめた。新疆一帯に莫大な規模の投資が伴うという宣伝と共に、漢族の集団移住を督励した。その結果は新疆一帯の人口構成比率に急激な変化をもたらした。いわゆる「漢族化」戦略だった。実際に、1940年代の新疆地域の漢族人口比率は5%強に過ぎなかったが、現在の新疆全域の漢族人口は40%に達する。「原住民」であるウイグル族は45%にとどまっている。
2005年の統計基準で人口が約268万人に至るウルムチでは、すでに「逆転現象」が起こっている。イギリスの時事週刊誌『エコノミスト』は最新号で「すでに2000年の人口統計資料でも、ウルムチの多数派は人口の45.3%を占める漢族であり、ウイグル族(42.8%)は少数派に転落した」とし、「新疆一帯での漢族の人口増加率はウイグル族の人口増加率はウイグル族の2倍に至る」と伝えた。それに教育と雇用の機会さえも、漢族に優先権が与えられている。ウイグル族は何かと危機感を募らせていった。
人権団体の「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」(HRW)は、2005年4月に出した「致命的打撃」という報告書で、ワン・リカン新疆自治区の共産党書記の言葉を引用し、「新疆政府は分裂勢力に対する強圧的な取締りを行っていくだろう。分裂主義勢力に対して慈悲はありえない。ただ致命的な打撃だけがあるのみだ」と伝えた。この団体は報告書で「ウイグル族は自治権拡大や独立国家建設を望んでおり、これは多民族国家を求める中国当局にとって脅威として映るしかない」とし、「中国当局はウイグル族のアイデンティティのルーツであるイスラム教を手なずけることがウイグル族を手なずける手段だと見ているため、ウイグル人たちの宗教的自由を多面的に監視・統制・弾圧している」と指摘した。
「漢族の報復攻撃への傍観が、事態をさらに大きくした」
7月8日、ウルムチに兵力が増強配置された。主要8カ国首脳会談への参加のためにイタリアを訪れていた胡錦濤国家主席も急遽、帰国した。「流血事態に加担した者は、極刑に処する」という当局の発表が相次いだ。7月9日、3日間門を閉ざしていた官公庁がついに業務を再開した。バスも再び路上を走りはじめた。このまま収拾するのだろうか?『ロイター通信』は「上海出身の漢族」だという元教師の話をこのように伝えた。「当局が(漢族の)報復攻撃を早い時期に防がなかったために、事態がどうしようもならないほど大きくなった。ウルムチの路上にばら撒かれた民族間の怨嗟の残影は、当分の間は容易に消え去らないだろう。軍兵力が撤収した後に、どうやって生きていくべきかを考えると恐ろしいばかりだ」
チョン・インファン記者