令和七年 年頭所感

 

令和六年、年の瀬。

おれは湯豆腐を作っていた。

とつぜん、シンクの水が詰まった。

水が、流れない。

シンクに水は溜まっていく。

お湯を流してみる。

さらにシンクは水でいっぱいになる。

ゴム手袋をして排水口に手を入れてみる。

なにも起こらない。

水が少しでも流れているようすはない。

おれは困った。

おれは冷蔵庫に貼ってあるマグネットを見る。

おれは年の瀬に水道管屋にぼったくられるのかと思う。

最悪の気分だ。

シンクは水でいっぱいになりかけている。

おれの気分もいっぱいになりかけている。

だめもとでおれはパイプユニッシュを持ち出した。

ぐうぜん、半分くらい残っていた。

おれは、水の中にパイプユニッシュを入れた。

パイプユニッシュが流れている気はしない。

しかたないので、排水管の真上から注いだ。

ちゃんと入っているのか?

おれにはわからなかった。

おれは酒をあおり、湯豆腐を食べた。

酔った目に、少し水が減っているように見えた。

酔った目に、幻が見えているのだろうと思った。

しかし、たしかに、減っているように見える。

やがて、水は半分になった。

もっと減っていった。

音を立てて流れ去った。

おれはパイプユニッシュに感謝した。

そうとうに感謝した。

年の瀬、水の詰まりを解消。

こんなに恩を感じることがあっていいのか。

命の恩人、というほどではないけれど。

そして、おれは思った。

おれはパイプユニッシュのような人間になるべきだと。

無駄に長く生きてしまった。

成し遂げたことはなにもない。

ただ、まだ若い人のためのパイプユニッシュになりたい。

同い年の人の、年上の人のパイプユニッシュになりたい。

人が困っていたらそれを助ける。

邪悪なものから人を遠ざける。

お金もそんなにかからない。

いつでもそこにある。

そんな、パイプユニッシュのような人間に。

おれは、なれるのだろうか。

おれは、助けられるがわの人間だ。

基本的にはそうだ。

それでも、だれかのパイプユニッシュになれたら。

それは喜ばしいことだろう。

おれはおれの人生を諦めている。

表面上は諦めている。

ならば、せめて人のために。

パイプユニッシュのような人に。

そんな人に、おれはなりたい。

今年からは、そんな人になりたい。

パイプユニッシュのような人に。

 

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