みんなは世界を信用して生きているのか?

会社の帰り、スーパーに寄る。スーパーの駐輪所に自転車を止める。ガッシャン、とロックされるタイプのやつだ。2時間までなら無料。おれはスーパーで買い物をするだけなので無料。買い物を終えたおれは番号を押してロックを解除する。

 

しかし、ロックが故障で解除されなかったらどうなるのだろう? これは困る。精算機にはなにか通信機のようなものがついていたと思う。そこに連絡せよということだろう。しかし、通信したところでどうなるのか。結局、係員がどこからか来るのを30分とか1時間待つことになるだろう。この寒空で。寒いから買った肉は大丈夫なのか? それにしても、帰れないじゃないか。

 

30分も1時間も待っていると、その間にも自転車を取りに来る人や、新たに駐めに来る人もいるだろう。止めに来る人には「故障していますよ?」と知らせるべきだろうか、ただの客であるおれが。それに、おれのように帰ろうとする人も集まってくるだろう。しかし、みな帰れないのだ。これは困る。集団の怒りが高まる。その怒りの矛先はどこに向くのか。

 

思うに、スーパーである。おれはさきほど、「スーパーの駐輪場」と書いた。これは正確ではない。スーパーの入っているビルの駐輪場だ。2階にはクリニックが数件、薬局、あるいはジムなんかもある。ただ、スーパーは1階にある。スーパーの駐輪場のような感じがする。

 

そこで、スーパーの店員に食って掛かる人もいるだろう。店長を出せ、ということになるかもしれない。しかし、店長も困るだろう。駐輪場はビルに付属しているものだし、その管理をしていないがゆえに精算機に通信機がついているのだ。店長には壊れたロックを解除する方法などわかりはしない。

 

人々の怒りは収まらない。店長に罵詈雑言が浴びせかけられる。店長ももうくたびれてしまっている。日々の労働、下がらない物価、落ちる売上。そこにきて自転車がなんだ! すべてが崩れ落ちた店長は、精肉売り場の裏側から牛刀を持ち出す。それでもって、抗議している客を斬りつける。スーパーも駐輪場も血まみれだ。

 

もしもそうなったらどうする? たとえおれが遠巻きに見ていたとしても、事件を目撃してしまった。警察がきたら、警察に事情を聴取されるだろう。寒空の中で待たされた挙げ句、さらに帰れなくなる。聴取の場所はパトカーの中だろうか。パトカーの中は暖房が効いているだろうか。となると、さっき買った肉が心配だ。もしも警察署で目撃情報を語るようなことになったら、肉はもうだめだ。

 

駐輪場の機械は、ちょっとくたびれている。こんなことが起こる可能性は低くないといえる。大丈夫なのだろうか。おれも平気で駐輪場を使っていていいのだろうか。刃傷沙汰に巻き込まれかねないし、肉もだめになる。肉がだめになるんだ。

 

こんな危険はほかにもある。たとえばコインパーキングのロックが壊れて、お金を払っても解除されなかったらどうなるんだ? 世界の終わりだ。

 

おれは、毎日、毎日、毎時、毎秒、こんな不安を抱えて生きている。みんなはどうなんだ? 世界はそんなに信用できるものだと思っているのか? 信じているのか。みんなへいちゃらな顔をして生きている。おれは不安でしかたないが、できるだけ不安を隠して生きている。でも、だれだって一歩間違えれば人生が最悪になる。寒空に立たされて風邪を引くかもしれないし、買った肉がだめになるかもしれない。スーパー店長に刺されて死んでしまうかもしれない。

 

それでも、みんなそんなことはないみたいな顔して生きていて……、どうもおれには信じられないのだ。

 

(……と、いうようなことを昨日のスペースで話した。そんなことを毎日話している)

 

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