片渕須直監督 『マイマイ新子と千年の魔法』

 朝方,メールの受信をしたついでに巡回をしていたところ,たまごまご(id:makaronisan)さんによるアニメ『マイマイ新子と千年の魔法』紹介記事が目に留まりました。

調べてみると,北海道では札幌シネマフロンティアで午前と午後の計2回上映。これも何かの縁だろうと思い,16時10分からの回を観に行きました。観客は14人で,うち親子連れが2組。流行ってはいませんね。
 以下,この作品についてのネタバレを含むかもしれません。
――と注意書きを入れておきますけれども,この作品はストーリーの起伏を楽しむような性格のものではないので,あまり気にしなくてもいいところではあります。
 作品の舞台は,昭和30年の防府市(山口県)。メインヒロインの新子(しんこ)は,周防国衙(すおうこくが)史跡の周囲に広がる麦畑に囲まれて暮らしている。同居するおじいちゃんから周防の国は千年の歴史を持つことを聞かされ,昔に思いを馳せる夢見がちな少女(但し髪型はワカメちゃん)。この町に東京から転校してくるのが,サブヒロインである貴伊子(きいこ)。線路を挟んだ南側の埋め立て地に建てられた工場の医師として働くことになった父親に付いて町に越してきた。町中を馬車が走っているし,同級生の男子は青っ洟を垂らしているしで浮いてしまう貴伊子。新子の好奇心から出でた行動により,貴伊子も環境に馴染んでいきます。
 中盤は,子供達が田園を走り回り,遊びにふける描写が重ねられていきます。そこにオーバーラップしてくるのは新子の空想。千年前,この地に赴いた国司が娘を連れていたことを知り,千年前から続いているという川の流れを頼りに,彼女の姿を偲びます。都からやってきたお姫様には,同い年の友達はいたのだろうか…… 
 序盤において貴伊子の部屋を訪ねた新子が目にしたのは『ハイジ』と『小公女』の単行本。白髭の好々爺+田舎少女+都会という人物配置は,嫌でも『アルプスの少女〜』を想起させます。あと,新子には妹がいるので『となりのトトロ』も比較対象として名前を出さずにはいられない(メイと同じく途中で××するし)。他方,『セーラ』の方はというと「貧しい労働者」「友情」といったもののメタファーとして作用しています(たぶん。《千年の魔法》が絡むと自信が無い)。
 作品の雰囲気は,児童文学としての趣を強く感じさせます。子供たちは精一杯に日々を生きていくことにより少しずつ成長していくのだ,と伝えるかのように。この作品世界には邪気が無い。死や別れ,怒りといったものは現れてきますが,穏やかに包み込まれていく。
 ただ,作品としては分かりにくいものになっているということは否めません。ある事件をきっかけに終盤へと移るのですが,その事件については直接の描写は行われず「食べかけのうどん」によって暗示されるのみです。劇場では隣に小さな女の子が座っていたのですが,親に対して「×をククルってどういうこと?」と小声で尋ねていました。重要な転換点でありながら,ここでも負の側面を覆い隠そうとしたがために読解を必要とする構成になってしまい,子供向けの作品とは言い難い作りになってしまった原因であろうかと思います。ただ,このような《幼年時代には立ち向かい難い壁》が描かれているのは,宮崎駿の作品観(コンテンツは何をテーマとして持つべきか?)とは明確に異なる方向性を指向しているところであります。『新子』の世界は明るく晴れ渡ってはいても,ジブリ的な快楽原則によって支えられているものではない。
 あと,《千年前の少女》とのオーバーラップは,言ってしまえば“A I R”の手法なわけで…… これもまた複雑度を上げてしまった要因でしょう。かくいう私,〈昭和〉と〈平安〉との重ね合わせにおいて,新子と貴伊子,それに諾子(なぎこ)をどういう関係に置いて読み解けば良いのかで相当に困惑しています。
 驚いたことと言えば,おじいちゃんが×んだことが突如挟まれるワンカットで伝えられ,新子が××して結末を迎えたことでしょうか。あまりに打ち切りチックだったので,劇場の下の階にある書店へ高樹のぶ子による原作(ISBN:4101024227)の構成を確かめに行ったほどです。《千年の魔法》というキーワード,土地と結びついた人々の継続的な営みのことかと理解していたのに,新子が××するとなると採れない読解だし。
 ジュブナイル映画として見ることも,ガール・ミーツ・ガールとして捉えることもでき,さらには情感あふれる背景は舞台探訪に出かける契機をも与えてくれます。強い感動があるわけではないが,淡々とした日常というものでもありません。見終わったときに満ち足りた気持ちを残してくれる良作。貴伊子が動いているのを見て,貴伊子がしゃべっているのを聞いているだけでも幸せになれます。