図書館の思い出(2)
だからある意味では、僕の人生はその時々に利用している図書館から自分の住処まで本を運び続けた人生でもあるわけで、僕の真の職業は「書籍運搬業」というべきかもしれない。
今利用している図書館は、今年の4月に場所と名称が変わって「文京区立本郷図書館」という名前になったが、もう10年以上前からお世話になっている。今までリクエストした本で断られたことは一度もない。近隣の区立図書館はもちろん、都立中央図書館、はては国会図書館からも本を取り寄せてくれる。頼んだ本を取りに行ってみると、菊半裁版(A2)の重さは5キロくらいはありそうな本だった時にも、私達もこんな大きな本は初めて見ました、これからもどんどん面白いのを頼んでくださいね、と言われた。それには軽い感動さえ覚えた。
この図書館は今年の2月までは「鴎外記念本郷図書館」、略して「鴎外図書館」と呼ばれていた。森鴎外が1892年・30歳の時から1922年に60歳で亡くなるまで住みつづけた家「観潮楼」の跡地を区が譲り受けて1962年に「鴎外記念室」を併設した区立図書館として開館した。それが、この4月から、「鴎外記念室」はその場所(文京区千駄木1-23-4)にそのまま残り、図書館だけは道を隔てた向かいの地域センターの中に移転し、名称も変わったというわけだ。
「観潮楼」は家の2階から海が見えたという所から名付けられたらしいが、急勾配の団子坂を登りきった高台にあるから当時は実際海が見えたのだろう。僕は初めてその「鴎外記念本郷図書館」に行ったときには、そこに鴎外が住んでいたという事実に震えるような気分がしたものだ。
「観潮楼」は鴎外死後火災にあって現在の建物は鉄筋だが、鴎外がひょっと顔でも出しそうな気配。ここで茉莉さんも生まれ暮らした。啄木は歌会にやってきた。荷風は根津神社裏から続くお気に入りの道、藪下通り(汐見坂とも)を登ってここに来た。その道は三四郎が美弥子と歩いた道でもある。
「鴎外記念室」では鴎外の自筆原稿や手紙なんかを展示しているが、なんと言っても圧巻は鴎外のデスマスクだろう。図書館に行ったついでに、たまにその記念室に立ち寄ってそのデスマスクを見ていると厳粛な気分になってくる。明日、7月9日は鴎外忌。