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藤牧義夫とは 版画作品(1) 21歳まで 版画作品(2) 22歳 版画作品(3) 23歳 版画作品(4) 24歳 絵巻4巻 年譜(1) 誕生~20歳 年譜(2) 21歳・22歳 年譜(3) 23歳・24歳 筆者自己紹介 お気に入りブログ
はじめに
このサイトは版画家・藤牧義夫の作品と人についてできるだけ正確な情報をもとに紹介しようとするものです。
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![]() 版画家、図案家、画家。群馬県館林市生まれ。1927年(昭和2年)16歳で上京、染織図案家・佐々木倉太の門に入り図案の修業を積む。18歳の頃から版画制作を始め、21歳のとき小野忠重が主宰する「新版画集団」に結成時から参加、その機関誌『新版画』にほぼ毎号作品を発表する。22歳で帝展入選を果たし、23歳のとき大作「赤陽」、また隅田川の風景を描いた長大な絵巻を制作する。24歳のとき突然行方不明となる。右の写真は1935年2月頃羽田飛行場での藤牧義夫。 藤牧は関東大震災からの復興を果たしつつあった大都市・東京の風景を、光と影に対する鋭い感覚をもって独自の視点から構成し表現した。1910年代末から30年代にかけて沸き起こった創作版画運動における最も独創的な版画家の一人。 しかし近代日本美術史において彼の表現の重要性が十分な評価を受けているとはいえない。数種の展覧会図録を除いて現在のところその作品集は刊行されていない。 さらに、近年、彼が行方不明になった後、多くの贋作がつくられていたばかりか、少なからぬ数の作品が改竄されていたことが判明しつつある。彼はその死においても、また、その死後においても悲劇に見舞われた芸術家だった。 幼くして母を亡くし、父の愛を受けて育った藤牧は、少年時代に父を亡くして後も生涯父への思慕の情に貫かれた。父の信仰した日蓮宗教団・国柱会の熱心な信者でもあった。 代表作「赤陽」(1934年)は 東京国立近代美術館蔵[下に画像/41.0×27.0]。また、全長60メートル余にも及ぶ白描の「絵巻 4巻」(1934年)はうち3巻が東京都現代美術館蔵、残る1巻は館林市立資料館蔵。 ![]() #
by espritlibre2
| 2007-12-07 10:07
| 藤牧義夫とは
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