忘れられた画家 ヨシオ・マルキーノ
10月24日(火)の夜、家に帰ってたまたまテレビをつけたら、「なんでも鑑定団」で牧野義雄が取り上げられていた。鑑定に出されていたのは、依頼人が10年ほど前にロンドンの知人宅で見て気に入り、1000万円で譲ってもらったという絵。評価は2000万円ということだった。今ではまったく忘れ去られてしまったこの画家がこうしてテレビに現れたのには驚いた。鑑定士の言によれば「鑑定団史上絵画における大発見」らしい。
ところが、その絵に僕は見覚えがあって書架から牧野の自伝を探しだして確かめてみた。上に掲げた写真がそれ。アップした写真は、本の挿画から再複製したものである上に、右四分の一ほどをよんどころない事情でカットしたので(ごめんなさい、牧野さん)、本物のよさは伝わるべくもないだろうが、ないよりはまし。題名は「Bush House」と本にはあるが、番組では「BBC放送局前」と言っていた。今も風景は変わっていないらしい。深く立ち込めた霧に反射する光がまぶしいほどに美しい。
牧野の自伝というのは、”A Japanese Artist in London”
Chatto&Windus,1910. (写真右) という本で、これには邦訳もある。
『霧のロンドン 日本人画家滞英記』(恒松郁生訳 サイマル出版会 1991年刊、絶版)。僕がもっているのはこの邦訳。英語原書の方は当時よく売れたらしく、古書サイトabebooks.comを見ると今でもそう高くない値段でかなりの数が出ている。ただ、邦訳の方は見かけない。ついでに言うと、牧野の翻訳はもう一冊あって『西洋と東洋の比較思想論』(恒松郁生訳 ロンドン漱石記念館、1992)、同じ著者とは思えないタイトル。
牧野義雄(1869-1956)は現在の愛知県豊田市生まれ。1893年(24歳)渡米、サンフランシスコのジョン・ホプキンス美術学校入学、1897年ニューヨーク経由で一度はパリに向うが、訪ねて行った画商の林忠正が日本に帰国していたため、先輩の勧めでロンドンに落ち着く。ここでも美術学校に通うが絵は売れず失意の日々が続く。ところが1907年”The Colour of London"という題の、霧のロンドンの風景を描いた画文集を出版するや大成功をおさめ、パリ、ローマの続編も出版。20世紀初頭のロンドンでもっとも有名な日本人となる。1942年帰国、1956年鎌倉にて死去。
僕がこの画家を知るようになったのは、イサム・ノグチについて調べている時に、その父・野口米次郎が牧野と親しい友人だったということを知って、その伝記を調べたのがきっかけだ。20世紀の初め、ジャポニズムを標榜することなしに、ロンドンの人々に受け入れられ愛された牧野の画業は今ではまったく埋もれてしまった。牧野義雄の展覧会は、国内では戦前・1930年代に資生堂、三越で、戦後は1990年に豊田市で開かれたとの記録があるが、もちろん僕は一枚の本物も見たことがない。この忘れられた画家の展覧会を企画して、僕らに新しい発見をさせてくれる美術館はないものだろうか。
牧野義雄を英語で検索するとき、特に書籍を検索するときには、Yoshio Makino ではなくて、Yoshio Markino と r をつけることに注意が必要。彼はきっと英国人にも発音しやすいようにマルキーノという名前にしたのだろう。