もう遅いかも知れませんが・・・
■⑴.「富豪の輩」は、政府にとって“全面・悪”では、ナイんです!
ソレは、<郡司の力の衰退で、彼らに代わる存在として>政府は、彼らを登用し、“利用”してますので!
※※※ その利用例
・・・例えば先ず、❶「出挙の運営」を請け負わせてます<→ その際、彼らは“里倉負名”という立場に!>。
次いで ❷<10世紀初めの班田制の廃止では>、「田堵<or 負名>」として、“名の請負耕作”や“徴税の請負”を任せて!
■⑵.「富豪の輩」登用がもたらした問題点!
“名”を任せられた「富豪の輩」は、いわば“班田農民”に代わる「10世紀以降の財政基盤」となるワケですよね!
・・・しかし時の経過と共に、“名の請負耕作人”から「名の主<名主>の様な存在に」成長。
彼らは、<「田堵は一年契約」で“耕作権”などナイ弱い立場だったのが>“名に対する権利を強め”て、「管理権や支配権」を持ち、やがては「<借り物の>公田を私領化」する者も出現。
・・・当然発生するのが、国司<受領>との抗争!
<例えば、988年の「尾張国郡司百姓等解文」に表れる例を含め、約20件が11世紀初頭前後に記録>
■⑶.「土地はクニのモノという原則」から見ると、「個人が土地を持つ」=「私的土地支配」と言えますね。
ただ律令制では、それは、一概に悪いと言う訳ではありません。
なぜなら、「個人が土地を持つ」のは、743年の「墾田永年私財法」以来、認められているデスから!
ただ、
■⑷.「私的土地支配が悪い」と言うのは・・・PartⅠ.
11世紀後半からの、院政期の状況です!
つまり、「領主<“本所”>」が、「国家の権限の一部を奪ってしまう<不入の権が、“警察⁽検非違使など⁾”>の立ち入りまで拒む」コト!
・・・つまりコレに依り、荘園が“治外法権”を持ち、「国家内の独立したクニ<“邦”>」の様になってしまうこと。
・・・ソレまでの「不入の権」は、「税務署員⁽検田使⁾の立ち入りを拒める特権」で、実は、ソレも、似た様な状況ですが・・・。
■⑸.「私的土地支配が悪い」と言うのは・・・PartⅡ.
「“私的”=“利己的”」と読み替えれば、「延喜の荘園整理令」が指摘する中の、二つの問題となるでしょう。
ソレは、
ⓧ「院宮王臣家」による「開発」事業と、
Ⓨ天皇による「勅旨田の開発」
簡単に一部を簡約・引用すれば
「ⓧⓎによる「開発」は農民の生業を奪うだけでナク、“浮浪逃亡の原因”とな
って、クニを乱している。
荒廃田<耕作放棄地>があれば、貧しい農民には、一代の間は占有許可し、食うに困らない高貴な連中には認めていない。
コレは、昔からの定めだ。
つまり未利用地の開墾は、農民の生計のタメなのに、
院宮王臣家は、法を無視し、競って田の占有を進めている。
国司・郡司はⓧⓎをはばかり、逆に、ソレに依って税収増が実現してるように見なしている。
しかし、実は、土民の労役を費やし、国内の農業の妨げとなっている」
■■■⑹.
“寄進地系荘園<11世紀~>成立まで流れ”です。
以下の様に、整理できマス。
※※ 「国免荘」について少し踏み込んで書きましたが、分かってらっしゃったら余分・・・(^^ゞ
①「令」の方針・・・農民に“開墾奨励”<国司の“勤務評定”に影響!>
However、明確な規定がナイ<特に、“収公⁽クニが召し上げる⁾”の部分が>
↓
明確化< → 収公期限>
↓
②「三世一身法」
③「墾田永年私財法」
↓
;;;;;
A.「初期荘園」や<農民による>小規模の開墾地の誕生・・・共に「輸租田」
::::㋐.「有力農民<“富豪の輩”>」の台頭・・・奈良時代末~
:::::
B.「院宮王臣家荘園」の誕生・・・・・・・平安時代初め<9世紀~>
:::::::: ↖㋑中央の有力者<院宮王臣家>と㋐「富豪の輩」の結びつき
____________㋐は、調庸等の納入を免れるため、
________________自分の“居宅”や“開墾地”を㋑中央の有力者に「寄進」
______________________________________↖“寄進地系荘園の原型”
:::::
C.新たなタイプの“違法荘園”の登場・・・・・平安時代中頃<10世紀~>
::::::::↘
_____「国免荘」:
※※※
「国司の判断で、
㋑中央の有力者<貴族+寺社>に、⒳管理を任せた公田。
その際、同時に、⒴免税も認めていて、
⒴それが慣習となっている土地。
・・・そのため、「荘園か公領か分からない!!!」
・・・とにかく⒵一見、「㋑有力者の私有地<=荘園>」に見えるが、
「“土地台帳”上では、“公田<クニの土地>”」
・・・このタイプの土地<国免荘>は、「税を掛けにくい」ために。問題化<“一国平均役”の賦課で>。
D.10世紀の状況の整理
①.衰退して荒廃化するA.初期荘園・・・輸租田
②.寺社の土地<寺田・神田+開墾地>・・・免税の許可書を持つ「官省符荘」
これらに代わって
③.違法なC「国免荘」の流行。・・・・・不輸の地が拡大
④.㋒「開発領主」< ← 大名田堵や、土着した貴族やその子孫>が、ⓐ原野の開墾やⓑ荒廃田の復興で、ⓒ耕地を集積・・・輸租田
⑤.「国司と対立」した開発領主が、「寄進」で問題解決へ
________________________________↘㋑中央の有力者<貴族+寺社>
⑥.公領内の土地が、耕作民<荘園から出作する田堵>に依り「寄進」↗
⑦.「延喜の荘園整理令」で、弊害が指摘された「勅旨田」が終了。
E.11世紀の新たな状況
⑧1040年には、以前に設けられた③「国免荘」は、合法化< “一国平均役”を掛けるため >
その結果、 C「中央の有力者」の“グレーな私領<国免荘>は、荘園 と認定”!
・・・また、後三条天皇の「延久の荘園整理令」でも、「寛徳二年<1045年>以前の違法荘園は、原則、認可!」
■⑺.9世紀に現れる「院宮王臣家荘園」・・・■⑹のC
<多分、名前だけが教科書に載っていて、説明がほぼナイのでは>
そこで、有力農民<富豪の輩>と、“院宮王臣家”とについて少し
“院宮王臣家”の「家司<高級執事的な役人>」は、「彼らの代理人」として、その利益拡大のために活動。
・・・また「富豪の輩」の中には、“院宮王臣家”と結びつくことで、「家司」と自称して様々な弊害を生んでいると、「延喜の荘園整理令」では、問題視しています。
・・・つまり、㋐土地の「所有者名を“院宮王臣家”と」唱えたり、or 書き換え<初期の“寄進”>えて㋑「国司を圧倒」。
・・・具体的には、㋒「原野を囲い込んだり・河川を独占」して⒴「農民の生産を妨げ」たり、㋓税の納入を拒んだりと・・・。
■⑻.「荘園整理令」発布の原因。
私的土地支配の増加も問題ですが、一番の要因は、「火災で焼亡した内裏の巨額な再建費用」を得るためなんです。
・・・全ての土地に「一国平均役」を掛けるため。
つまり、全ての土地を「荘園か公田か」をハッキリさせ、「グレーな状態の国免荘<Cの⒵>」をなくす< → 収公する=公田に戻す!>
■⑼.「権門勢家が私領を集積するのは・・・?」
支配者階級が「寄進を受ける」のは、彼らにすれば必然的な理由があったんです。
・・・それは、高位の貴族や皇族等が、
奈良時代であれば受け取れた「食封⁽じきふ⁾」という「高額の特別給与」が、10世紀以降の「公民制の崩壊」で受け取れなくなったタメ。
つまり彼らの言い分としては、
「食封で受け取る封物<例えば、1000戸分の税の大部分>を受け取れないから、その代わりに、年貢を受け取っている」のだと!
「世の中の乱れなんて、知ったことじゃない・・・」と (>o<)
なおタイムリミットが近づいてます。
なので、終了後に疑問が出たら、
「再質問」をUPして、
そのアドを教えて頂ければ、回答します・・・