日本史 寄進地系荘園が成立するまでがよくわかりません。 まず、9世紀に富豪の輩や院宮王臣家が台頭し、勅旨田などの私的土地支配が増加していて、そのため延喜の荘園整理令が出されましたが、彼らが台頭すること、私的土地支配が増加することは何が悪かったのでしょうか。 そもそも私的土地支配とはどのような状況のことですか? そしてその後、私領を寄進し、権門勢家も経済基盤確保のために私領を集積し始めますが、これは別に悪くないんですか?

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長くありがとうございました!わかった気がします!

お礼日時:10/12 12:12

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9世紀の私的土地支配の問題点と寄進地系荘園の成立について説明します。 まず、「私的土地支配」とは、本来公地公民制のもとで国家が管理すべき土地が、富豪層や院宮王臣家などの有力者によって私的に支配される状況を指します。 この私的土地支配が問題視された理由は以下の点です: ・班田収授法に基づく公地公民制の崩壊につながる ・国家の税収基盤である口分田からの収入が減少する ・富豪層が農民を自らの支配下に置き、国家の支配から逸脱させる ・国家による一元的な土地・人民支配という律令制の根幹が揺らぐ 延喜の荘園整理令(902年)は、こうした状況を是正するために出されました。 その後の寄進地系荘園の発展については、状況が変化しています: ・10世紀以降、律令国家体制が弱体化し、中央の権門勢家(寺社や貴族)が新たな権威として台頭 ・地方の開発領主や富豪層が自らの私領を権門勢家に寄進し、その権威を借りて国司の支配から逃れる「寄進」の仕組みが発達 ・権門勢家も荘園領主として経済基盤を確保する必要があった この寄進地系荘園の発展は、当時の社会変化に対応した新たな土地支配の形態として、国家も一定程度容認せざるを得なかったものです。「悪い」というより、律令制から荘園公領制への移行期における社会変化の一環と捉えられています。国家も院政期には、荘園整理令を出しつつも、一方で荘園の存在を公認する政策へと転換していきました。

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