イブが実を食べた理由 聖書の創世記で人間のイブが善悪の知識の木の実を食べてしまいますが、それは何故でしょうか? アダムとイブはそのときエデンの園に暮らしていて、今の人間のように不完全ではなく、人として完全であったのですよね? そして神から与えられた環境も完全だった。 神は是が非でも神を崇拝するロボットは要らなかったので、人間に自由意志を与え心からの崇拝を望んだ。 なので神の支配を拒否することもできた。 イブが自分の意志で神の支配を拒否したことが実を食べる行為であったとされていますが、完全な環境で、完全な人間で、実を食べれば死ぬこともわかっていたのですよね。 実を食べることで自分が死ぬのなら普通は食べようとしないと思うのですが… イブは完全であったので、今の人間のように「あっ!やっちった☆ごめんうっかり…」という不注意的なことや相手の真意が理解できないことなど絶対に無かったということはイブは蛇が嘘をついていることもわかっていたはずです。だまされて食べたわけではなく、自分の意志で食べた。 自分のおかれている何不自由ない状況、神が求めていること、自分に求められていることも蛇が唆していることもしっかりわかった上で、しかも実を捥いだところで死ぬようになり、神の支配よりも自分が辛い状況に置かれることを理解しながらも実を食べた理由とは? 全てが完全な状況で、他の者の支配では上手くいかないことを知っていながら「神様に支配されるのいや」と判断してしまったのは、実はイブは当時幸せではなかったのではないかと思ってしまうのですが。 そうすると人にとってもっとも幸福な状況だったという状況設定はおかしくなってきてしまいます。 私はどう考えても神様の責任が大きいと思うのですが。 全知全能であり、全てをはじめた存在だからです。 今この時点で苦しんでいる人がいることは神の意志としか思えません。 だって自由意志を持ちながら人が絶対にいついかなるときも幸せに暮らせるように創ればよかったのです。 それができなかったのであれば全知全能ではありませんよね。 もし神の想定通りならば愛の神ではなく責任転嫁されているように思います。 聖書を信じておられる方はそのあたりどのように理解されているのでしょうか? ちなみに冷やかしでもなんでもなく、単純に聖書を読んでみた一般人の素朴な疑問ですので、お手柔らかにお願いいたします。 神を心から信じられる人の気持ちを知りたいだけなんです。
全知全能の神に不可能は無いはず 自由意志で神を崇拝し今のようにならぬように創ることもできたはずでは 人には到底無理なことですが神ならできる 無理(全知全能じゃない)ならば人を創造しないべきでは 最後に殆どの人間を滅ぼすのに… イブが神を疑ったのはイブや人だけの責任でしょうか 人は様々な影響を受けて自分自身を形成していきます 完全な環境で猜疑心は沸くはずないのでは 親への疑いの心は親の不誠実さを感じて生まれるのでは
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