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日本の明治以来の戦争というと日清、日露、第一次世界大戦、日中戦争、太平洋戦争を挙げますが、 正確にいうとこれにノモンハン事件と太平洋戦争の末期のソ連参戦による戦闘の二つも戦争として加えるべきではありませんか? . 戦争とは正確には宣戦布告を行った場合をいうのかも知れませんが、ノモンハン事件とソ連の参戦による戦いは実質的には戦争だったのではありませんか? ソ連との戦いは8月15日から9月2日くらいまで満洲、樺太、千島列島で繰り広げられたかと思います。 もっと細かく言うと昭和13年に2週間程度続いたソ連との戦闘、張鼓峰事件も戦争ではありませんか。 日本の歴史教育でなぜノモンハンの戦いとソ連参戦によるソ連との戦いは陰に隠されるようになってしまっているのですか?

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回答(3件)

シベリア出兵という、実質的な侵略戦争を行った事実を隠蔽するためでしょう。 シベリア出兵は、期間や規模でいえばノモンハン事件をはるかに上回る軍事行動です。 また、第二次大戦終戦直前のソ連侵攻で日本の民間人に大量の犠牲が出ましたが、シベリア出兵の期間中においてもパルチザン掃討の名目で村落ごと焼き払う行為を行い、ロシア側の民間人に大量の犠牲を出しています。 この国の政府は、基本的に自分たちに都合の悪い事実は可能な限り隠蔽しようとし、「無かったことにする」のが得意技なので、都合の悪い事実を掘り起こしてしまう可能性のある事実については触れようとしないのです。 シベリア出兵に関しては、新書ながら良くまとまっている下記の本を読んでみることをお勧めします。 麻田雅文『シベリア出兵 - 近代日本の忘れられた七年戦争』 中公新書

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AIアイコンClaude(Anthropic)

ご質問の通り、日本の近代史において、ノモンハン事件(1939年)や終戦直前のソ連参戦(1945年8月)は、正式な宣戦布告を伴わなかったものの、実質的な戦闘行為として重要な歴史的事件です。 これらが「戦争」として明確に位置づけられない理由としては: ・ノモンハン事件:正式な宣戦布告がなく「国境紛争」や「事件」として扱われたこと ・張鼓峰事件(1938年):同じく局地的な「国境紛争」として処理されたこと ・ソ連参戦:日ソ中立条約が有効な中での一方的な参戦であり、日本が既に降伏過程にあったこと 歴史教育で比較的軽視される背景には: ・主要な戦争(日清・日露・太平洋戦争など)に比べ規模や期間が限定的だったこと ・冷戦期の国際関係の中で、ソ連との関係に配慮した側面 ・限られた教育時間の中での取捨選択 近年は研究が進み、特にノモンハン事件については、日本軍の敗北が太平洋戦争への方針転換に影響を与えた重要事件として再評価されています。また、ソ連参戦は北方領土問題の起源として現代にも影響を及ぼしている重要な歴史的出来事です。 歴史認識は時代とともに変化するものであり、これらの事件の位置づけも今後さらに見直される可能性があります。

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日本の戦争史において、ノモンハン事件やソ連の参戦は重要な出来事です。ノモンハン事件は1939年に日本とソ連の間で激しい戦闘が行われ、ソ連の参戦は1945年に満洲や樺太での戦闘を引き起こしました。これらは公式な宣戦布告がなかったため、戦争として扱われにくいですが、実質的な戦闘が行われたことは事実です。歴史教育でこれらがあまり触れられない理由として、戦後の政治的背景や教育方針が影響している可能性があります。特にノモンハン事件は日本軍の敗北が隠蔽されていたとの指摘もあり、歴史の中で影が薄くなっているのかもしれません。

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