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昔は中国のことを支那と呼びこれはchinaと同じだと聞きました。 これは日本などが支那と呼んでいたから欧米がchinaと呼び始めたのか欧米がchinaと呼んでいたから日本などが支那と呼び始めたのどちらなのでしょうか?

政治、社会問題 | 歴史69閲覧xmlns="http://www.w3.org/2000/svg">25

回答(7件)

日本で初めて誰かさんが支那と言う言葉を知ったのは、英語のChinaに当たる言葉をヨーロッパで初めて誰かさんが知ったのよりかなり前でしょうけど、『日本(など)が支那と呼んでいたから欧米がchinaと呼び始めた』のではありません。さりとて『ヨーロッパ人がChinaに相当する言葉を使っていたから、日本人も使う様になった』のでもありません。 日本語の支那は、インドのサンスクリット語(梵語)で書かれた仏教の経典の中国語訳の形で伝わったものです。(文句無しに『英語から』じゃありません) サンスクリット語の仏教の経典に、今で言う中国と似たような意味の(ラテンアルファベット表記にしたら)Sinaと言う言葉があり、そうした仏教の経典を中国語に訳す時は、当て字で支那とか至那とか書かれていました。(震旦とかはシナではなくシナスタンの当字表記) そうした経典の中国語訳が日本に輸入された結果、支那と言う言葉を、日本の僧侶が知った訳です。(記録上、遅くとも平安時代には入っていた。) 一方、英語のChinaに当たる言葉のヨーロッパ人による(今に伝わる)最古の使用例は、インドにいたポルトガル人によるものです。って事はインドで聞いたか、あるいはひょっとしたらインドから伝播していたペルシャ語のChinaに当たる言葉を聞いたか、のどっちか、と考えるかのが自然です。 つまり、日本語の支那も英語のChinaも、インドでの中国の呼び方が共通の起源だけど、そこからは別系統なんです。だから、『日本などが支那と呼んでいたから欧米がchinaと呼び始めた』のでも,『欧米がchinaと呼んでいたから日本などが支那と呼び始めた』のでもありません。 ただ、幕末から明治にかけて、欧米の書物が翻訳の形で入って来た時、原文でChinaに類する言葉が使われているのを和訳する時は支那と訳すのが自然なんで、清国ではなく支那と呼ぶやり方が《広まった》原動力としては、ヨーロッパの影響は考えられます。 (御参考) 仏典の中国語訳の形で遅くとも平安時代には伝わっていたのは今に伝わる史料からも確かですが、『(日本で)昔は中国のことを支那と呼び』と言うのはかなりナンですね。(昔っていつの事か、にもよりますが)ウソに結構近いです。 仏典に接する機会のある僧侶はそれを知ってはいても、そうでない人達は、唐、宋、明など『その時代の王朝名』で呼ぶか、あるいはその代表として唐と呼ぶか、そのどちらかがフツーでしたからね。 例えば、豊臣秀吉の中国侵攻計画は『唐渡り』と呼ばれ、江戸時代の長崎にあった中国商人の館は唐人屋敷と呼ばれました。支那渡り、支那 人屋敷、じゃありません。 辞書・事典類がまとめて引けるサイト『コトバンク』で見られる精選版 日本国語大辞典 の「唐物屋」の意味の解説は… ① 中国その他の外国から輸入された雑貨を売買する店。唐物商。唐物店(だな・みせ)。とうぶつや。 (以下略) と言っています。これは、中国を意味する唐唐派生して、外国一般の意味で使われていた事を示しています。 (仏典とは全く無関係な文脈での)地域の呼び方としての支那は、江戸時代中期の新井白石ぐらい以降見られるものの、宋とか明とか呼んでいたやり方も踏襲され、明治時代に鳴っても清国・清国人と呼ぶのもフツーに行われていました。 なので(日本では)『昔は中国のことを支那と呼び』が文字通りそのまんま当てはまるのは、辛亥革命で国名が中華民国となった為に、清(国)はもう使えなくなり、かつ政府が、日中韓の間では長い年月慣習として定着していた『正式には相手の島の自称を使う』慣習に反して、『日本側の公文書では支那共和国と呼ぶ』ってなややこしい事を決めて以降、敗戦間もなく迄だけ、つまり、日本の長い歴史の中では極短いホンの40年足らずに過ぎません。 なお、『支那は、仏教の経典の中国語訳に登場する中国の呼称』と言うのは、中国でも朝鮮半島でも一緒ですので、一般人は(今で言う)中国を支那とはフツー呼ばない、と言うのは、明治以前の日本も、中国も、朝鮮も一緒です。

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石原慎太郎氏は、中国というのは日本の中国地方のことで、支那chinaは昔から支那chinaなんだよ。 それを中国とかいうからおかしくなる。支那chinaと呼べばいいんだよ。 でも、議員らは腰抜けだから支那chinaって呼べなくて、中国なんて言ってる。 もっと、歴史を学んだらどうかね。 と言っていた。

英語のChina もシナ(支那)も古代中国の秦という国名が語源です。

英語からです。 秦または清からチャイナ、仏語でシノワetc→china→支那です。 日本では清・シンです。日清戦争の清シンです。 清の満州民族からマンダリンで中国自体、北京、北京語の意味で使われます。マンダリンホテルなどとも使われます。日本では使いません。 で、支那=清を崩壊させたのが辛亥革命で国民党の蒋介石が「もはや清ではないのに日本が支那と使って侵略した」として差別語にしました。 地名としてシナ海などが残っているので日本ではシナとカナ書きにしています。所謂反中の人は作為的に支那と使いますが、差別語にしたのは蒋介石の中華民国で中国人民共和国ではないです。滑稽ですね。 対日戦勝したのは中華民国国民党の台湾です。中華人民共和国の八路軍でも人民解放軍でもないです。 支那以上に滑稽な話です。

明治以前は、中国を唐土とか清国と呼んでいたようですが、大正昭和になり、日本は一等国だぁと威張るようになってから、中国を蔑む意味があったかどうか分かりませんが、シナと呼ぶようになったようです。 中国は、日本に侵略された恨みから、支那という語は、中国に対する蔑称だとしているということです。