回答(10件)

アイヌは日本の北海道の先住民族なので間違ってはいません。 先住民族は近代国家に組み込まれたときに、その地域にいた民族を言います。 組み込んだほうの大和民族は先住民族とはいいません。

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縄文時代は、日本全土に縄文人しか住んでいなかったんですね。 しかし、後から、渡来人が来て、縄文人の土地を奪っていき、縄文人は北に追われてしまったんですね。 縄文人は日本人に追われて北海道に逃げたのです。 幕府を起こした人がなる「征夷大将軍」という称号があるじゃないですか?その夷とは、縄文人のことなんですよ。 その縄文人は、今のアイヌの人々に非常に遺伝子が近く、縄文人とは、アイヌ民族のことだったんですね。 だから、アイヌ民族は、日本の先住民であると、政府に認定されているのです。

アイヌ民族は、日本に居住する人々の中で、最も縄文人に近いDNAを持っています。本州以南に居住していた和人が、大陸と列島で起きた縄文人と農耕民族の混血により、縄文人由来のDNAの比率が少ないのに対し、農耕民の流入が近代までほとんど見られなかったためです。これは琉球、先島方面の状況とよく似ています。こちらもれっとうゆらいののうこうみん、農耕文化の流入が10世紀以降と遅くなり、奄美、九州以東の和人とは異なり、縄文人のDNAの比率が、アイヌ民族ほどでは無いものの高くなっているのです。アイヌ民族は、5世紀から11世紀にかけて、沿海州由来の漁労民のオホーツク文化人との接触が見られます。こちら由来のDNAも確認されています。いずれにせよ、列島で住んでいた民族の中で、縄文人に最も近い人々ということです。 縄文人を日本の先住民と定義すれば、アイヌはその先祖に最も近い民族というのは、縄文人としての血の濃さで言えば、あながち間違ってはいません。しかし和人は、縄文人をベースに、大陸に由来する人々が農耕文化と共に拡大、混結して形成されており、それはいわゆる歴史時代より前に起きているので、先住民として縄文人だと決めつけるのは意味のないことです。なおアイヌ文化とアイヌ民族をごっちゃにしている人もおられます。アイヌ文化の成立は13世紀ごろとされていますが、それ以前の擦文文化や続縄文文化を担った民族から入れ替わったという事は無く、あくまで文化の変化に過ぎません。現代のアイヌ民族に縄文人のDNAが高い比率で見られることが証拠ということになるでしょう。

蝦夷民族であれば、日本の先住民族になります。いわゆる縄文人というやつですね。 蝦夷は次第に東へ北へと追い詰められていき、平安時代には北東北を除く本州全土から淘汰されるわけですが、その一部は北海道に渡り、やがて北方のアムール系の民と混血してアイヌになります。 アイヌの父系遺伝子の割合でいえば、縄文人7:北方人3ですから、アイヌは縄文人の生き残りの一派と言っていいでしょう。 アイヌ伝承を見ていくと、我々の先祖は青森の湾から来た、津軽の宇鉄から来た、南部地方から来た、と先祖の出自を言い伝えています。 例えばキラウコロエカシは約600年前に青森から船で道東に渡り、釧路の遠矢に住み着いて釧路アイヌの始祖となりました。 鎌倉時代に樺太からアイヌが来たというのは大嘘です。10世紀に擦文文化の蝦夷が樺太に渡り、樺太のウィルタやニヴフなどの北方民を脅かしましたが、元軍の遠征によって樺太から追い出されました。一部は北海道に渡りましたが、それをアイヌ全体の始祖とするのは無理があり、言語も、遺伝も、遺跡も、伝承も、いずれもそのような歴史を裏付けていません