plm…さんへ。 「正につき邪に遠ざかるの道」で納得出来ました。 ということですが、ということは、「正につき」の「に」も同じ使われ方だと思うので、こちらのほうも「正からつき」ということになるのでは。勿論これでは意味不明です。ということは、対句のように短い文で使われながら、始めの「に」とあとの「に」は違う意味なのでしょうか。 なお、フール氏のいった、対象の「に」というのは、「離れる」という自動詞においては使えない機能だ、ということ、おわかりでしょうか。 雨が地面に降る。 と言ったとき。この「地面」は「降る」の対象ではありません。場所です。つまり補語的な機能。もともと「降る」という自動詞は対象を持たないのです。 他動詞自動詞の件については、フール氏も関係しますので、参考にしていただいて(関心がおありならお答えいただいて)、前半についておたずねします。

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もう一度文脈理解を考える必要があります。つまり新ミュンヘンの理解でいいのかということです。俗耳に通じやすいので直ぐに納得してしまいますが、本人自身も、自信が揺らいでいるようであります。 文脈理解が不安定なままで用例を探しても徒労に終わるかも知れません。更に、見つかった用例に合わせるように文脈理解をするという、本末転倒の結果になる恐れがあります。 用例の一つや二つではほとんど何の役にも立ちません。国文科などではその程度の用例を用例としては認めません。せめて10例近くは出さないと。しかもその用例の解釈が不安定ではいけません。 やはり古典文法の知識なしには、江戸時代の古文でも深く理解することは出来ません。フールのような、受験文法だけで事たれりとするようなのは、入試問題には有効でも、それを離れると、初歩的な参考程度です。 締め切りも近づいておりますので、今回はこの程度で終わりたいと思います。