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ユダヤ人は、まだ選民思想持ってますか。 まだ、キリストを自分たちのメシアとして、認めませんか?? ユダヤ人が待ってるメシアって誰ですか。

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回答(5件)

イエスキリストはメシアではなく、マリアがヨセフという婚約者がいるのに兵士と不倫して出来た子というのがユダヤ社会での認識です。 ユダヤ人が待つメシアは、スケールが様々ですが小さいところではベングリオンやネタニヤフもメシア、最終戦争のときに君臨するのがモーセやモーセ級のメシアとなります。

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一応、一般的な選民思想と、ユダヤ教で考えられている選民思想には乖離があります。 一般的な選民思想は、神に選ばれたために自分たちは優れていると考えることを指します。 しかし、ユダヤ教で考えられている選民思想は、神に選ばれた民であるからこそ、神の御心を現すために歩む責任がある、と考えることです。 この考え方が変な方向に行くと、一般的な選民思想になりますが、本来の意味は後者です。 また、ユダヤ教はイエス・キリストをメシアと認めていません。 彼らが待っているメシアは、ダビデ王のようにイスラエルの地を統治し、平和をもたらす王です。同時に、ダビデ王の祖先である必要があります。 だからこそ、血筋を証明する家系図が無い中で、伝聞で伝えられている祖先の話を元にダビデ王の家系を探しています。

そもそもメシアとは「油を注がれた者」という意味で、イスラエル(ユダヤ人)の王や祭司をさす言葉です。 それが、イスラエルの王国が滅ぼされ、イスラエルの民が捕虜となっていった時代あたりから、かつてのモーセのようにイスラエルの民を苦難から導き出し、王国を築いてくれる救世主としてのメシア思想が生まれてきます。 イエス当時のユダヤはローマの支配下にあり、ユダヤの人々は自分たちをローマから救い出してくれるメシアを待望していましたが、自分たちの思想と全く違うことを言うイエスを、ローマへの反乱分子と見なされることを危惧するという名目で十字架につけて殺しました。 ですので、イエスをメシアとしては認めていません。 現代のユダヤ人にとってのメシアとは、バラバラになったユダヤ人たちを集めてくれ、ユダヤ(イスラエル)の国を再建して第三神殿をつくってくれて、世界の人々がエホバを讃えるように導いてくれる人であると考えられます。

あります。 ユダヤ教の聖書(キリスト教の旧約聖書)では イスラエル人をバビロニアから解放したペルシャの王キュロスが メシア:キリストと呼ばれています。 キリストとは イスラエルを敵から解放する役目を与えられている人物なのです。 … イエスの生前の時期であれば キリストとは(ユダヤ教の観点からすれば) ローマ帝国からイスラエルを解放する役目を与えられている人物なのです。 なので、 イエスが処刑された時点で、既に、 「イエスがメシアではあり得ない」のです。 ユダヤ教の伝統から考えればそうなるのです。

ユダヤ人にとってメシアはダビデ王やペルシャのキュロス2世 沢山のユダヤ人のために資金を提供してくれたロスチャイルド、 スペインのロスチャイルドでコロンブスの航海費用のスポンサーになったサンタンヘル、、こういった人たちがメシアです。世界をガラッと変えたからです。 一方キリスト教成立後ユダヤ人は殺されまくりで カーク・ダグラスもスピルバーグの「イエスを殺した犯人はお前だな」といって叩かれモグラさせられ「何で僕がイエスなんて知らないおじさん殺すんだよ?」 イエスって変な人が出てきたお蔭でユダヤ人はどれだけ殺されたか。 レザー・アスランの「イエスは実在したのか」を読んでも ローマの圧政に反旗をひるがえした革命家はいっぱいあらわれたしどの人がイエスなんかはっきりしませんね。当時パレスチナは [我こそはメシアなりよ]という教祖がぞろぞろ歩きその後をぼろ服まとった信者がぞろぞろ歩いていたという。 イエスは「我こそはメシアなりよ」というだけでローマから解放するために立ち上がろうとはしなかった。 マタイ伝のイエスはダビデ王からソロモン王へ続く血統の高貴な人物として描かれてるがルカ伝ではイエスの家柄は低い。マルコ伝では貧しい大工のせがれとなる。 ユダヤ人は迫害に遭い続けたために自分の民族を守るために戒律を作りユダヤ教を作ったのです。 キリスト教は貧者に天国を説き救いを与えるというので圧倒的多数の貧困層は信じた。殉教すれば天国に行けるというから。 圧倒的多数のハートをつかんで支配するのにうってつけの宗教と感じたでしょう。 パウロが非ユダヤ人に布教しなかったら歴史は全く変わっていた。パウロが出なかったらキリスト教の中心はローマに置かれなかった. イエスはメシアであるとしたのはパウロでありイエスは神なりとしたのは4世紀のニカイア公会議だった。 バチカンがユダヤ人罪人説を撤回したのが1962年、イスラエルと外交関係を樹立したのが1993年。 過去のユダヤ人迫害について公式に謝罪したのが1998年のことだった。 バチカンがガリレオの有罪判決をとりけしたのが1965年だった。 ​ユダヤ人の代表と言うとモーゼです。ユダヤ人存亡の危機の時ヤコブの民を率いたリーダーです。 ナチハンター、サイモンウイゼンタールが書いてたのですが。彼は幾度も殺されかけながらもマウトハウゼン収容所から生還しました。彼は燔祭を逃れたイサクだったのです。 ユダヤ人が危機一髪の時どんな時でもモーゼ役するユダヤ人があらわれたと書いています。そのモーゼ役が引っ張っていったのです。 私はやっぱりユダヤ人にはモーゼやヨシュアの血が流れてるんだと思いました。民族存亡の危機の時 実力を発揮して闘うんだと思いました。 キリスト教正統派はイエスの死の責任をローマでなくユダヤ人におしつけることによってイエスが反政府活動にかかわっていたという事実をうやむやにした。 キリスト教は最初からユダヤ人を憎ませるようにつくってあります。 西暦50年ごろパウロが書いたテッサロニケ人への第一書簡では 「ユダヤ人は 主イエスと予言者たちを殺し神に喜ばれず人類の敵となり」としるされています。 この記述はキリスト殺しの責任をイエスの処刑時にエルサレムに居たユダヤ人じゃなくてユダヤ人全体に負わせてる点 さらに人類の敵とまで非難してる点で重要です。 2世紀初めごろ成立したヨハネ伝8章44節には イエスがユダヤ人に向かって「あなたがたは悪魔を父に持ちその父の望みを行おうとしている。」と語りかける。 ユダヤ人は悪魔の子であるという恐るべき思想が書かれてるのです。 「聖書にはユダヤ人はキリスト殺しで悪魔のこと書いてあるではないか」という言葉は説教壇上に立った司祭の口から繰り返し信徒たちに向けて語られた。 否定的ユダヤ人像が2000年近く信徒に植え付けられてきた。 イスカリオテのユダという人物が存在したかどうか?疑う学者は何人もいます。パウロでさえ新約聖書の中でユダに対して何の言及してない。 ユダというキャラクターは異邦人の間に布教しようと努めたパウロがアンテイオキアに組織した最初のキリスト教教会によって プロパガンダ的に創作されたんじゃないか? 新約聖書の冒頭のマタイ、マルコ。ルカ、ヨハネによる福音書は彼らが生前に自ら書いたものでなくて 信徒の手によって 第一次ユダヤ戦争とその直後の時期に書かれたものです。 ヘレニズム期流布した反ユダヤ主義の信徒が書いたものじゃないか? 「イスカリオテのユダとユダヤの悪についての神話」ハイアム・マコピー ヨハネはユダヤ人を根本的な悪、強欲として記述してるのです。イエスが倒れたのは使徒たちの会計係でありながら金を誤魔化すユダ、銀30枚で自分の主人さえ売り渡すユダのせいだ。ユダ=悪魔という概念がヨハネ伝を読んだ最初期キリスト教徒の中に根を下してしまった。 所詮シャイロックの卑しいユダヤ人が稼いだ金だ。殺して奪ったっていい、、自分たちの行為を正当化してポグロム、略奪を繰り返してきました。 パウロが十字架上のイエスにこだわり、原罪という理論を考え出したのです。イエスの十字架上の死は人間の罪の代価なのだといいだしたのです。 イエスに従った者はイエスが十字架に架けられたのを見て動揺しだした。 パウロは信者の動揺をふせぐために原罪原罪といいだした。 原始キリスト教団の指導者の多くがガリラヤの大工や漁夫といった階層の人たちで日常語はアラム語を使ってました。イエスはアラム語でユダヤ人に向かって布教しました。 一方パウロはシリア、タルソスのローマ市民権を遣う家に育ちギリシャ語を自由に使いました。パウロはギリシャ語でギリシャ人ローマ人に布教したのです。 カリスマ的風貌言葉の名手パウロの巧みな布教がなかったらキリスト教はここまで存続したか? パウロはトーラーの規定を異邦人には課さず、割礼もしなかったので異邦人には入りやすかった。異邦人の信者を確実に増やしていきました。 キリスト教を造った時イエスをローマ人にしたかったのです。だけどイエスもパウロもユダヤ人であると知ってる人間がいたためにできなかったのです。 キリスト教は反ユダヤ思想でもって作られた。 ユダヤ叩きにうってつけの宗教だからローマは国教に採用した。キリスト教を布教して世界制覇を狙った。 新約聖書に書かれたイエス殺しという罪を着せユダヤ叩きを2000年も続けてきたのです。