フアン・マルティン・ゲバラ(弟) 「Che, My Brother」末弟の回想記だが美化と伝聞に終始。

Executive Summary

2017年に出た、かのチェ・ゲバラの、15才年下の末弟による兄の思い出……は前半だけで後半は自分の話。キューバ革命のときにまだ14才くらいなので、それ以前の兄エルネストについては (ほとんど家にいなかったこともあり) 漠然とした記憶しかない。このため他の伝記などからの伝聞だらけでオリジナルな部分は家族の思い出だけ。それもあまり詳しくなくて、弁明と美化に終始。本人が絶対に知り得ないことを断言したりする。たとえば革命直後の粛清裁判で、兄は実に人道的でフェアで云々と断言するが、そんなのお客さんできてた家族にわかるわけがない。ただし巻末についた家族の写真や各種の新聞切り抜きはきわめて貴重。


かのエルネスト「チェ」ゲバラの、15才年下の末弟、フアン・マルティン・ゲバラによる兄の回想記。兄がいまや大企業の広告やマーケティングに利用されるようになっていることを嘆き、単なるシンボルではない、本当の人間としてのエルネスト・チェ・ゲバラを伝えたいのだ、というのが本書を出した理由となっている。のだが……

残念なことに、それにはまったく成功していない。15才年下ということは、物心つく頃にはすでに兄は『モーターサイクル・ダイアリーズ』を満喫していて、ほとんど家にいない。このため、そもそも著者は生身の兄とあまり会っておらず、兄についての各種の報せに家族がどう右往左往したか、という話しかオリジナルなネタがない。

それを補うために、著者は (というか、これはフランスのジャーナリストに語って彼女がまとめたものらしいので、その編纂者は)、いろいろ話を他の伝記や記録から採ってくるんだが、そもそもこんな本をわざわざ読もうという人はすでに知っていることばかり。それについて何も新しい話は出てこない。

唯一おもしろいのは、キューバ革命で招待されてハバナにやってきたとき、彼らの父親はまだ、エルネストを説得してアルゼンチンに帰らせて医者にするつもりでいたという話、そしてその父親が商魂たくましく、バカルディと面会したり銀行と会談したりしていて、それを知ったエルネストが激怒して「オレの顔に泥を塗るな」と怒ったという話。著者は勉強が嫌いだったので、父親は手に職をつけさせようとして、そうしたところにこの14才の末っ子をつれていってビジネスの見習いをさせたかったみたい。もちろんフアン・マルティンはエルネストに肩入れして、父親はろくでもないヤツだと言いたがる。

←ハバナの旧バカルディ本社ビル。いまはHISとか入っている。

次に彼が兄と会ったのは、チェが米州会議に出席するためにウルグアイにやってきたときで、そのとき次男ロベルトとエルネストはかなり激しくけんかしている。ロベルトくんはふつうに成人して弁護士として成功して (せっかくの医学教育を無駄にした兄とはちがい) 父の期待に応えたんだけれど、エルネストはそれが気に入らず、おまえは資本家の手先だと罵ったらしい。そのときの具体的なやりとりとかがわかるかと思ったが (当のロベルトくんはそれについて語りたがらない)、それも特にない。ちなみにエルネストはそのときに18歳になった弟に、大学にいけと強く奨めている。配慮的には父親とあまりかわらないんだが、父はサゲ、兄はアゲ、という基本線は同じ。

多感な14才のときに兄が英雄視されているキューバに出かけてちやほやされたのが、たぶん決定的なアレを著者に与えてしまっただろうことは想像に難くない。勉強が嫌いで父母にいろいろ言われたコンプレックスもあったんでしょう。その後の彼は、体制に流されずに不正と戦うと称して左翼活動家になってしまい、特にアルゼンチンが軍政を強める中で 9年にわたり投獄され、両親や他の兄弟姉妹はその尻拭いに奔走させられる。兄のロベルトや父親はその釈放にかなり尽力して、その過程で左翼系の人とも接触し、だんだん反目していたエルネストの思想にも傾倒していくんだが、末の弟はずいぶん父親に手厳しく、それを諫める兄ロベルトに対してもずいぶんそっけない。本の後半は、そういう自分の活動についてのあれこれの報告になっているが……興味あります? 結局、人生の重要な部分を牢屋で過ごし、出てからは書店やったりレストランやったりで、本書ではキューバがいかにすばらしくて平等で物欲にとらわれず、と賞賛しているが、自分はその素晴らしいキューバには行かず (行けばいろいろ世話してもらえるのに) ドイツで暮らしているらしい。

シンボル化に反対して人間エルネストを描く、と称しつつ、彼がやるのは基本的に、チェ・ゲバラの美化とさらなる神格化でしかない。兄は常に優しく正義の人で立派なのね。チェ・ゲバラは革命直後の粛清裁判で、250人くらいを即席裁判で銃殺している。その人民裁判の様子もひどいもので、最初はそれを公開でやっていたけれど国際的な反発をくらってすぐに隠し、中止せざるを得なくなっている。でもフアン・マルティンは、兄は常に公正だった、残酷なことは一切しなかった、不正はなかった、囚人が怪我をしたら兄は自ら治療した、と言うんだが、そんなのお客さんとしてヒルトンにいたあんたがわかるわけないじゃん。

ゲバラ家の両親とも、アルゼンチンのそこそこ上流階級の出身ではある。ただしどちらも商才がないうえ、父親が変な事業にばかり手を出し、母親は無駄遣いばかりなので、家はそんなに豊かではなかった。でも著者は左翼活動家なので、親が名家の出身だなどというのはウソだ、彼らは金も権力もなく、家族からは見捨てられた恵まれない一家なのだと言いたがる。でも、召使いと使用人をかなり使っていて食うのに困ったりしたことはないのはあちこちの記述から見られる。

そして最後は、兄はいまや世界変革のシンボルだ〜、とぶちあげるが、そういうシンボル化を否定するための本ではなかったんでしたっけ?

というわけで、新しい話はまったく登場せず、ほとんどは他の伝記にも登場した話の切り貼りで、残り半分はチェ・ゲバラと関係ない話で、それでもかなりボリュームが薄く、あまり参考になる本ではない。ただ、家族写真などがたくさん出ていて、これだけは貴重。

←エルネストに抱かれる著者と父親

←エルネストが出たバイク広告。普通は写真部分だけ切り取られているので広告全体は初見