エスピン=アンデルセン『平等と効率の福祉革命』:新しい福祉社会の見取り図を提案する希有な本。ただ監訳者の我田引水解題はないほうがまし。

福祉の議論は公共頼みになりがちだ。医療も高齢者も育児も失業も国がもっと金を出せ――でも、家庭や企業も福祉をかなり提供している。そのバランスを見ないとだめだ、と看破したのが本書の著者エスピン=アンデルセンだった。きたる高福祉社会に向けて、彼は女性をもっと働かせろと主張した。福祉サービス職を増やし(企業の事業機会)、女性を働かせ(家計収入増大)、税収を増やせ(公共の負担力増大)!

この分析と提言は大きな影響を与えた。そして女性の労働進出は進んだ。でもまだ中途半端な水準だ。一方であらゆる社会では格差の固定化と拡大が進んでいる。なぜだろう?

本書はこの問題に取り組む。そしてまたもや明快な答を出す:家庭の育児を支援しろ、と。

女性が働きやすいよう保育園の整備を、というだけではない。児童の知的発達は赤ん坊の頃に相当決まってしまう。その時期に親が育児に時間と資源を投資しないと、学業面でも所得面でもハンデを強いられる。ところが低学歴で低所得の世帯は雇用も不安定だし、慣習からも育児に投資しない/できず、その子供も低学歴・低所得になる。似た者同士の結婚でそれがさらに強化されてしまう。これが現在の格差固定と拡大の一因だ、と著者はいう。

だったら、家庭の育児改善に公共がもっと投資しよう。ホントは赤ん坊を全部取り上げて国が平等に育てたいところだが、そうもいかない。だったら所得支援、育児補助、就学前教育の充実などにもっと投資すべきだ。それは女性の社会進出のみならず、経済全体の人材底上げにもつながり、高齢化社会の課題への取り組みも容易にする!

議論はすべて統計的な裏付けを持ち、また経済学や脳科学的な発達論の成果も取り入れて、堅実ながらもきわめて斬新。また評者のような素人の驚く指摘も多い。高福祉とされる北欧諸国は、その分だけ税金で取られるので実は見た目ほど高福祉でないなど。

そしてもちろん、この提案は即座に政策的な意味を持つ。本書の議論からすれば、あの子ども手当も趣旨としては意義を出せる。些末な名称変更にうつつを抜かしている場合ではないのだ。

監訳者の解題は、日本女性の低い社会進出状況については詳しいが、本書の議論の核心にほとんど触れず不満。本書は今後の社会における経済と福祉のバランスを実証的に構想した希有な本であり、その意義は女性問題をはるかに超えるのだ。少々専門的ながら、学者にとどまらず政策立案者や関心ある一般人も是非手にとって明日の社会像を考えてほしい。

(2011/10/30 掲載, 朝日新聞サイト)

コメント

書評のたぐいはだんだんこっちに一本化することにする。

さてこれは、すばらしい本なんだが、本書の監訳者である大沢真理の解説には腹がたった。紙幅がなくて一行しか書けなかったけれど、ぼくは本書に対する誤解を招きかねないものとして積極的に批判されるべきだと思う。

この本は、女性の社会進出が遅れている、という話だけじゃない。それはただの出発点で、その先が本題だ。ところが大沢は、自分の専門のジェンダーなんとかの話につながる話ばかりに終始して、あれやこれやとグラフだのなんだのを数十ページにわたって女性の社会進出の遅れを書くが、その後の本書の中心的な議論についてほとんど触れない。福祉が弱いから貧困が再生産されている、という話が一ページ未満あるだけ。そんなの解題じゃなくて、自分の研究紹介だろう。何かかんちがいしているとしか思えない。またそれに迎合した邦題の副題のつけかたも、望ましくない。「新しい女性の役割」が主題じゃない。新しい女性の役割を受けた社会のありかたのほうが主眼だ。

そしてその大沢真理の自分の研究開陳には、この手のフェミ系研究者とか「女性問題」研究者のいやなところがむきだしになっている。そこには、なぜ女性の社会進出が必要なのか、という説明はほとんどない。進出してないから遅れてる、進出してないからダメ、女性進出がこれからのトレンド、という規範議論がドーンと前面にきて、あとは進出してないしてないしてないしてないとデータが並ぶだけ。そして規範的な話から入っているので、結論も当然規範論。日本社会はダメだ、社会の意識改革が必要だという、思想統制待望論に落ちる。本書の解題では、この最後のところはちょっと控えめではあるけれど。

エスピン=アンデルセンのこれまでの本は、なぜ女性の社会進出を進めるべきか、というきちんとした議論があった。そして進めたあとの見取り図もきちんと描けていた。でも、訳者たちにそれはない。この書評の冒頭で揶揄した、公共だのみの物欲しげなクレクレくん議論に終始している。

ご承知のように、現状の日本では、女性の進出は後退気味の面もある。そして彼女たちのその選択は、現在の日本のマクロ経済環境ではミクロな合理性を持っている。仕事の絶対数が少ないので、そこで激しい競争に参加するよりも退出を選ぶほうが楽かもしれない。だから現状の日本で女性の社会進出を図ろうとすれば、おそらくマクロな経済環境を改善させて経済を拡大基調に持っていく必要がある。それには日銀をなんとかして、デフレを解消し、景気回復をはかり、そこから企業の事業拡大、雇用の安定に伴う世帯収入の安定化と向上、それに伴う税収の確保、それを使った福祉改善、それに伴うさらなる事業機会の増加……というスパイラルを作る必要がある。その中で女性の社会進出もずっと強力に実現されるはず。そしてそれとあわせて、福祉拡大も含む公共支出拡大をやるのは、おそらく意味があるだろう。でもそういう全体像なしに、福祉予算を増やせ、手当を増やせというだけではおそらくかえって状況は悪化する。
でも大沢たちにそういう全体的な見取り図は皆無。とにかく福祉を、金よこせ、公共がなんとかしろ。もちろん福祉の現状が問題ないというのではないよ。でも、単に国の福祉予算を増やすだけでは不十分というのもエスピン=アンデルセンの教えだと思うんだが、それがまったく理解出来てない大沢真理が「解題」ってなんだよ。
訳者たちが本書につけた用語解説も、非常に疑問。「回帰分析」とか「外部効果」とかいうのに説明がいるかね(かえってこむずかしくしてるし)。「学校環境」というのの解説は文化資本や学歴資本の話ばかりで学校環境についての説明皆無。「均衡」とか「協調的交渉」の説明で挙がっている参照文献は、ゲーム理論の初心者レベルの新書でげんなりだし(そもそもそんなの参照せずに書けるべき内容で、それをこんな入門書参照で書くというのは付け焼き刃丸見え)、しかも最後まで読むと、結局それは実際の中身とは関係ないそうな。じゃあ長々とページ使って書くなよ。ぷんぷん。もっときちんと紹介されるべき本なんだが、その点は残念。岩波もこの本をフェミイデオローグの宣伝に使わせたりせず、もっときちんと紹介すべきだったと思う。
なお、本書文庫化にあたり、訳者たちがこの書評について触れているが、ここでの批判の中心にはまったく触れずにお茶を濁しただけとあっている。



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