Crecer FA

岡山県瀬戸内市で活動しているスペインメソッドサッカースクール

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社会や生活に結び付けた学習「フィンランドの教育システム」から得た育成の方向性

 

前に期末テストから教育の話をした訳ですが、なんでそんな事を話したのかっていうのを今回は書いていこうと思います。

 

テスト期間に突入。サッカーと勉強は両立させてる?勉強に対してどう思っているか。 

 

 

 

日本の教育システム

日本の教育システムは、結構緻密に考えられていて、将来的に多くの職業に対応できる素晴らしいシステムだという事を前提に話していきます。

ただし、デメリットとしては、詰め込む為、勉強嫌いの子供が多くなるっていうのと、将来的に就く職業以外のことまで勉強するので、いらない知識を詰め込む時間が多くなったり、宿題が多いため興味があることを見つける時間が少ないということです。

 

 

 

仕事って何?


話しがいきなり脱線するんですが、僕が、勝手に思っている仕事の話をしていきます。

 

仕事は社会奉仕であり、面倒ごとのお手伝いや役に立つこと等のサービスや物を生産すること等で、皆さんの幸せに繋がるのが仕事だと思ってます。

 

そもそも商いの原点としては、物々交換から始まり、いらないものや余ったものを必要なところへ運び、価値の高いものと物々交換する事であり、その共通の対価として産まれたのが貨幣です。

物々交換していた時には、欲しいものがいつでも手に入る訳ではないので、そうした不便をなくす為に物品貨幣が作られました。

 

今では、物々交換だけではなく、サービスそのものに対する対価として、貨幣が用いられています。

つまり、できない事や面倒な事を代行するサービスの対価としてお金を頂いたりするわけです。

 

ですので、仕事というのは、社会奉仕する事で、皆さんが幸せになり、皆さんの感謝の気持ちから、その対価としてお金をいただく事と思っています。

 

例えて言うと、プロスポーツ選手は、エンターテイメントとして人々に豊かな感情を与えて、その時間を熱狂や興奮で楽しませる事だったり、推しのグッズで幸せになってもらったり、選手のブランド力による広告宣伝利用だったりで、お金を頂いていると僕は勝手に思ってます。

平たくゆうと、ディズニーやUSJなどのテーマパークのミッキーやドナルド、そして、キャストさん達と同じです。

ディズニーがバルサで、ミッキーがペドリみたいな(笑)

例えが悪いかな(;´Д`A ```

 

何が言いたいか簡単にいうと、苦手な事よりも得意な事や自分にあった仕事をした方が、社会に貢献しやすいということです。

興味のある事の方が、得意なことになりやすいとも思っています。

そうした考え方の背景があるので、息子には興味のある事や得意なことを見つけるのを優先してあげたいと思っています。

 

 

経営と雇用

僕は、会社を経営する立場なのですが、雇用されていた時とは、やはり考え方が変わりました。

 

特に雇用されていた時期は、お金を稼いだり、会社に貢献する為に仕事を頑張っているようなイメージでしたが、会社を経営するに辺り、そうした観点ではなく、社会奉仕をするイメージが大きくなりました。

 

でも、これは、社員であってもバイトであっても社会奉仕しているのは一緒なんですよね。

 

 

RPGロールプレイングゲーム)で例えると

勇者の仕事は、世界平和の為に魔王を倒すことです。

目的は、世界平和であり、魔王を倒すのは一つの解決策です。

 

この目的が違ってしまうと、大変なことになります。

世界平和が目的であれば、解決策は、魔王を討伐する事でも良いし、共生する道を模索しても良いのです。

しかし、魔王討伐が目的になると、どんな手段を用いて討伐しても良いという事になりますので、極端な話、核爆弾を開発して、魔王に打ち込んでも良いのです。

ただそんな討伐方法を用いてしまうと、大陸が汚染されますし、みんなが幸せな気分にはなりません。

 

更に、魔王討伐の為の武器や防具を買うために、たくさんお金を稼ぐことが目的となっていては、もう何をやっているんだか意味不明です。

 

 

 

なんで勉強するのか分からなかった


学校で学ぶことが、どのように社会に反映されているのか?使われているのか?

知っていたら、もっと勉強をする気持ちになれたかもしれない。

と、常々思います。

 

大人になってから、もっと勉強しておけば良かったと思った人は、多いと思います。

それは、僕もそうです。

 

何故そう思うのかというと、社会に出て、いろんな事を知ると、取りこぼしている教育が多いことに気づくのです。

日本の教育は、素晴らしいので、そこを予め教えてくれているのです。

しかし、その当時は、何故必要なのか分かっていなかったから、必要性を感じることなく、将来の自分の為ではなく、次のテストの為だけに暗記する勉強になっていたのではないかと思います。

 

だから、数学や科学、歴史、言語。

それぞれが現在、どう反映されているのか?将来のどんな職業や生活に関係してくるのか知りたかったというのがあります。

 

 

 

 

日本以外の教育システム

僕は、会社の事業内容で社会貢献する一方で、サッカースクールを通じて、育成の副業を行なっています。

育成は、やはり育成年代の事を知らないとできないので、教育のことは、やはり勉強しなければなりません。

 

欧州の教育システムの事を調べた時に出会ったのが、フィンランドの教育システムです。

そこには、通常の教育システムとは一線を画すシステムが存在していて、僕が思う疑問を解消できる教育システムでした。

 

 

 

フィンランドの教育システム

フィンランドの教育システムの根底にあるのは、社会構成主義(social constractivism)です。

総合学習と言われ、実践的で社会的な目的のために、知識や情報をインプットする事。

そして、それを自分の中で噛みくだいて理解してから、自分なりの考えを再構築し社会へアウトプットします。

主体的に行動し、社会との相互的な関係を築いて、自身の立場を深めていきます。

 

その教育システムを導入後、PISA(学習到達度)にて好成績を収めたがフィンランドです。

読解力、数学的リテラシー、科学的リテラシーの3つでランキング付けされますが、2015年までは、フィンランドが好成績を収めます。

そして、幸福度ランキングでも世界トップクラスです。

 

フィンランドの教育はなぜ世界一なのか (新潮新書)

 

 

フィンランドの教育は、教科の垣根がない

クロスカリキュラムと言われていて、1つのもの事について多角的なアプローチを行います。

英語と算数を一緒にしたプログラムだったり、科学と地理を一緒にしたプログラムだったり、一つの授業の中で複数の教科で多角的に学習します。

 

その他にもプロジェクト授業では、一つのテーマに対する授業があり、カリキュラムとして15時間(1週間)で、1回45分のグループ別に分かれた授業が組まれます。

例えば、テーマが登山(外国の山への登山)であれば、設定された山までの距離や移動方法、必要な道具の選定や、時間や予算の計算、指定された言語による登山申請書類の作成など、自分たちのグループで話し合い決定し行きます。

数学や言語(例えば英語に指定されたりする)、地理、歴史的背景や気候などの科学的な予測、思考を織り交ぜた授業となります。

 

 

解決策を模索する

教師は、子供に「何故」を多く投げかけます。

日常的に疑問を持たせ、それらの疑問を解決するための情報を探させてインプットさせます。

そして、どうしたら良いかを考え、解決策をアウトプットする機会を多く作ります。

そうすることで、理解力と思考力を育んでいきます。

 

日本の教育システムは、各単元ごとの正解に対してアプローチするので、その辺が教育のベースとして正反対ですね。

 

 

個人内での評価

子供一人一人の成長にフォーカスするので、成績評価は個人内で行います。

前期の成績と比較し、個人内でフィートバックをします。

他者との比較はしません。

因みにCrecerFAの評価表も個人内でのフィードバックに使ってもらっています。

 

 

学習時間が短い

PISAにて好成績を収めているフィンランドですが、学習環境や教育の質を確保し、効果的な学習をすることで学習時間を短くしております。

だいたい一日の授業は14時に終わり、年間の授業日数は190日と日本より40日程度少ないそうです。

学習時間は、学習到達度に相関性はあるものの、PISAのランキングを見ると、成績と学習時間は比例しないことがわかります。

日本でも短時間学習で効果が出ることは実証されているようです。

 

 

実例に基づいた教育

実例に基づき、根拠を生徒に示した上で、社会にどう繋がっているのかを学習し、知識を社会や生活に結び付ける授業をしています。

数学や理科が現在どのように反映されて、どう社会や生活を支えているのか。

歴史背景から現在の社会はどのような変化を遂げ、現在に至ったのか。

古語から現在の言葉にどのように発展し、どんな言葉が生まれニュアンスが変わってきたのか。

子どもたちが学びを実感し、知識を蓄えて応用する術を身につける機会を作ります。

 

 

フィンランド国内の保護者の懸念

2018年、2022年のPISAランキングでは、読解力は高順位をキープするも、科学的リテラシーと数学的リテラシーでは、大幅に順位を落としました。

フィンランドの保護者の懸念は、こうした学力の低下を危惧しているようです。

確かに総合学習では、数学や科学などの単一的な正解を求めるものに対しては、非常に弱い部分があるとは思います。

こういう面では、やはり日本の教育システムが良いなと思いますね。

 

 

 

スペインの教育システム

スペインは、結構日本と似ていますが、大きな違いは、義務教育にも落第がある事。

 

後、細かい事ですが、テストの点数表記が「%」で表される事です。

これは、息子が留学時に通った学校がそうだっただけかもしれませんが。

テストの形式や採点方法は同じですが、意味合いとして、その単元を何%理解できているという表し方なんだと感じました。

 

日本は、100点満点の正解から何問ミスがありました。という印象を受けます。

 

あなたの点数は70点でした。

と言われるより、

あなたは、70%理解してます。

と言われた方が、なんか気分が良いなーと感じた(笑)

 

そして、そのテストと授業態度を加味されて、評定4以下が落第となります。

 

落第というとなんだか、厳しい気もしますが、僕もスイミングスクールで指導者をしていた時に、進級させるかさせないか迷う子供がいたら、僕は間違いなく進級させませんでした。

 

これは、意地悪でそうさせていた訳ではなく。

その状態で進級させたら次のクラスで、苦労する事が見えているからです。

 

それよりかは、もう一度同じ練習をして、良い状態を作ってから、次のクラスに取り組んだ方が、次の内容がスムーズに習得できます。

 

そうした事を考えると、理解度が進んでいないなら、落第した方がその子供のためになるんじゃないかとも思えますね。

日本は、エスカレーター式に義務教育は上がっていくので理解してなくても卒業できてしまいます。

それが果たして良いのか悪いのかというのは、一考するべき事なのかもしれません。

 

 

 

日本の教育システムの変化と子供の勉強

日本も僕たちの年代の授業体系からは、少しずつ変わってきていて、詰め込み度が減少しています。

授業参観にできるだけ参加して授業を見ていると、結構ディベートする時間があったり、子供の意見を否定せずに何故?を問いかける事が多かったりと、僕たちが通ってきた学校授業とは、かなり違いがありました。

ただ今も昔も宿題は多いとは感じています。

 

学習時間が長ければ、学習到達度が高くなる可能性はありますが、より効果的なのは、その質が大切だという事です。

 

やる気がない時や必要性を感じていない時、教育者や指導者の質が低いときは、どんなに長く学習しても効果が薄くなります。

 

だから、

「勉強をしなければならない。」

とか、

「勉強しなさい。」

と強制された状態がすでに良くない。

 

「勉強したい。」

「勉強をしよう。」

と前向きな学習時間を設けることが大切です。

 

 

 

まとめ

こうしてフィンランドの教育システムと日本の教育システムを比較すると、どちらも良いところがあり、どちらもデメリットがある。

 

ただ子どもの育成の重きをどこに置くかと言われると、僕的には、やはり解決能力だったり、興味のある事を見つける時間だったりを優先したいというのが本音ですね。

結構フィンランドの学習体形にカルチャーショックを受けましたし、社会に直結する知識を学生時代に学習できると勉強も面白かっただろうなとも思いましたので。

 

だからと言って、日本の教育が悪いわけではないです。

この日本の教育で子供が得ている知識は、とても有意義なものですので。

だから、できるだけこの日本の教育システムを家庭で総合学習として、社会や生活に結び付けていきたいと思っています。

 

息子で言うならサッカーというコンテンツがあり、それらを結び付けて今の学習をサッカーに関係する社会や生活に応用したいです。

 

親として育成に悩み、勉強ややりたい事、興味のある事にどう向き合うかっていうのは、それこそ正解はないと思いますが、僕は、フィンランドが見せてくれた教育の方向性が好きです。

 

それこそプロになるならないとは別でサッカー選手の現役を終えた時に、子供の得意な事や興味のある事で社会貢献ができるようになっていて欲しいです。